【⚽️日本サッカーを愛そう】絶好調だし、小川航基選手を語ろう。
僕が毎週書き続けているこのnote。
既に120本を超える投稿数になったけど、過去にジュビロ磐田以外の選手個人を取り上げたのはたったの2回しかない。
一人は”キング”こと三浦知良選手。
そしてもう一人はアマチュアからチャンピオンチームへと躍進した川崎フロンターレの”ダイヤ”こと遠野大弥選手。
両選手とも静岡をゆかりとし、溢れる想いが止められず思わず筆を執った。
そして今回、
やはり溢れる想いが止められず、そして書かずにいられない選手が一人。
”エース”こと小川航基選手。
1年での昇格を命じられたチームにおいて、堂々得点王争いトップに立つ言わずと知れたストライカー。
本来であれば「3人目」などと特筆することもなく、もっと早くジュビロ磐田の選手として当たり前のように取り上げるはずだった。
あと1年、早かったなら。
■高卒
名波浩の帰還は僕たちの希望でしかなかった。
優勝争いの第一線から久しく遠ざかってしまった田舎球団にとって「名波」というブランドは相変わらず恍惚としていた。
そしてこれは、”カレンロバート”以降成し得なかった有望な若手選手の争奪戦勝利という点で早くも花開する。
年代最強の10番 藤川虎太朗(東福岡)。超大型DF 大南拓磨(鹿児島実)。稀代のテクニシャン 針谷岳晃(昌平)。
いずれも多くのチームがその獲得を望み、スカウトに乗り出したであろう逸材だ。
そして、
中でもひときわ大きな銘柄だったのが、小川航基(桐光学園)。
彼が高校卒業後の進路に磐田を選んだことは、黄金期の再来を夢見るには十分な出来事であった。
自信に満ち溢れる切れ長の目と、カメラを見下ろす大きな体躯。若者らしい無造作な髪型はやんちゃな性格を思わせたが、二ッと口角を上げるその笑顔はサッカー少年そのもの。
スター性十分。
彼には背負わされるであろう大きなモノを軽々と担いでみせる雰囲気があった。
名波さんの連れてきたスターの卵。これだけで白飯が何杯もいける。僕たちは高ぶる興奮を前に長いこと禁じられてきたチャンピオンへの欲を解放せずにはいられない。
しかし、
僕たちは少しだけ調子に乗っていた。そして、大事な事実を忘れていたに違いなかった。
この時の彼はたったの18歳。ついこの間まで学生服を着て自転車を漕いでいた年齢だ。
繰り返す。僕たちが大きなものを背負わせた彼は、あの時たったの18歳だったのだ。
■巡り合い
ここで自分の高校3年生、あるいは卒業直後のことを回顧してみる。
・・・控えめに言ってクソだった。
ようやく親の管理下を離れ自由を手に入れたと調子に乗っていたが、実際はその逆で保護区域を追い出された自分はかなり弱かった。
来るべき華やかな未来のために自身の信念を磨き・・・とか理想を言う前に、自分が何者なのかすらわからない。
皆さんの「未成年」はどうだっただろうか。
見知らぬ土地へやって来た小川青年にとっても間違いなく戸惑いはあっただろう。
それでもサッカーに打ち込める環境があれば良かったかもしれない。しかしながら現実はそんなに甘くない。ルーキーイヤーのリーグ戦出場は0。
遠州の空っ風と遠州弁に囲まれて、決して理想ではない1年を過ごしたスター候補は何を思ったか。
カップ戦で結果を残しても一向にリーグ戦出場させない名波指揮官への不満も少なからずあったかもしれない(これはあくまでも憶測)。
しかしながらこの頃の小川航基は素晴らしかった。不遇を実力で打ち返すべくナビスコ杯でハットトリックを達成。
直後に堂々とU-20日本代表に合流。しかし、そこで事件は起きた。
左ひざの前十字じん帯断裂および半月板損傷
大怪我だ。
知らない土地で、多くのものを背負わされ、戸惑いつつも、自らの力で光を見つけようともがいていた未成年の、大怪我だった。
■地元
2022年シーズンを前にして、磐田サポは少なくない衝撃を受けることとなる。
前年度エースだったルキアンがすでに福岡移籍を決めており、かつJ1昇格したチームからJ2降格したチームへの移籍。
磐田に居ればいいのに・・・と思わず漏らしたくなる茨(いばら)の決断。
しかし、小川航基選手にとってこれは単なるチーム移動ではないから納得した。
そう、
これは地元帰還。実に7年振りに、地元でサッカーすることを意味していたからだ。
新幹線でたかだか2時間。さほど遠くもない横浜と静岡の距離感。
しかしこれが18歳にして見知らぬ土地で生活してきた青年の7年振りの帰還となれば、距離だけの話ではないことは想像に難くない。
磐田で奪ったゴール数はたったの18。これは代表ゴール数より少ない。怪我やチャンスの巡り合いに苦しんできた場所を離れて生まれ育った土地へ。
(磐田へのネガティブな感情は持ってほしくないが)気持ちを切り替えるにはこの上ない移籍だったのだろう。
新婚生活をスタートさせながら馴染みある土地でまた一からやり直す。
もともと力強かった足腰は、”地元のグラウンド”というだけでより強い力でグリップしているに違いない。
故に、ゴールも多い。
はっきり言わせてくれ。
これは、
磐田サポだってずっとずっと見たかった光景なんだ!!
■証
試合中に髪をいじって、誰も何も言ってくれない選手と、そのことで(なぜか)批判を受けてしまう選手がいるとすれば、圧倒的に前者が多いはずだ。
つまり、その仕打ち(批判)はスターの証でもある。
果たしてどんな輩が、どんな精神状態で、磐田に身を捧げようと誓ってくれた青年に対して誹謗中傷に近い批判をしてきたのか。
その詳細は知る由もないが、当時の小川航基選手がこのことをスルー出来なかったのも事実だったに違いない。
それは自分が18だったころの未熟さと、危うさと、脆さを想い出し、
その中で批判を受けたのだと想像すれば容易に理解できるだろう。
ただ、
今回の投稿でどうしても伝えたかったのは、それ(批判)はやたらと目に付くが全く以って磐田をサポートする人たちの感情ではないという事。
はっきり言おう。
私たち(磐田サポ)は今でも小川航基を愛している。
それは着ているユニフォームに見慣れたエンブレムが付いるとかいないとか、そういう事は問題じゃない。
高卒で知らない土地に来て、僕たちに大きな希望を運んできてくれたこと。
怪我や出場機会の巡り合いに恵まれず悔しい想いをしてきたにもかかわらず、サックスブルーを着て戦ってくれたこと。
そして地元で安らぎを得て、成るべくして再起を成し遂げていること。
小川航基の活躍は、我々磐田サポが心から望んだことであり、
つまり今現在だって嬉しくて仕方がないのだ。
「アンガーマネジメント」という言葉がある。怒りをコントロールしてエネルギーに変えよう!という考え方で、多くの人が推奨している。
個人的には、
アンガーマネジメントについてその効果は認めるものの、万能ではないという意見を持っている。
つまり怒りに任せた行動は、どこかでガス欠が来たり、結局はまた不幸(怒り)に逆戻りすることが多いからだ。
実のところ僕は、2022年度の小川航基選手を不安に思っていた。
なぜならtwitterなどにあげられた磐田へのお別れメッセージにはこの「怒り」が多分に滲み出ており、
あぁ彼が活躍するとすればそれはアンガーマネジメントによって生み出されたものになってしまうのか・・・と少し残念に思ったりしたからだ。
しかしどうだろう。
今シーズンの彼の活躍は実に健全。
それはプレーや表情を見ていればわかる。このことも僕の中ですごく嬉しかった。
今、エースは活躍すべくして活躍している。これは強い。つまり真のエースになっている。残念ながら磐田では見られなかった表情かもしれない。けれどそんなことはどうだっていい。
改めてこう聞いたら、どんな返事が返ってくるだろうか。
そしてそれは、磐田サポが聞いていい言葉なのだろうか。。。
■最後に、
小川航基選手の活躍を、ほぼ全ての磐田サポが喜んでいる。
それは地元に戻ったこと(磐田を離れた事)によって生み出されたものであっても、新たなチームメイトや指揮官との良い巡り合いによって生まれたものであっても、究極的にはどちらでもいい。
これは、たくさんスカウトの声がかかった中で、磐田を選んでくれた当時に対する最大限の感謝の気持ちに他ならない。
僕たちは小川航基の活躍を、今でも望んでいる。
この想いを踏まえ、改めて磐田をサポートする人たちに対して想いを伝えてくれたらいいのにな、と思う。
時間が経ってからでもいい。
のどかな「ゆめりあ」で感じたポジティブな感情を改めて僕たちに教えて欲しい。
本日も、最後までお読みいただきありがとうございました!
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