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【真実】徳を積むと良い事が起こる理由。

「徳を積む」。

巷でよく耳にするこれ。メジャーでホームラン連発する大谷さんは普段からゴミを拾うなどして徳を積んでいるとか。

一方で神頼み的なニュアンスがあってあまり好きではない人も多いと思うんですけど・・・個人的には肯定的です。
実際にあるな、と。


決して大谷さん万歳勢だからあやかりたい!と、盲目的に受け入れているわけではなくって、
この”徳を積む行為”ってのは、運命丸投げのスピリチュアルな世界観ではなく、しっかりとしたロジックを持って成立しているんじゃないかと考えています。


少し詳しく。




■ヒルナンデスで椅子を壊したオードリー

皆さんもよくご存じのこれ。

ヒルナンデスの生放送中に起きた、壊れないはずの椅子を壊してしまった放送事故。笑


今なお語り草になっているこの話題をなぜ突然持ち出したかというと、この事件直後に語ったとされている若林さんの考察がとても印象深かったから。


若林さんと言えば、
考察が独特かつ深めの物書きでもあって、彼の本はもれなく読ませていただいたりしてます。

トークバラエティであるはずの「あちこちオードリー」も、実態は若林視点を窺い知る番組であって、かなり面白い。


そんな若林さんが、例の椅子事件のあとに語ったとされるコメント(意訳気味)がこれ。

「問題っていうのは起こる前からずっと原因が存在していて、
起こった時の直接的な原因の、その前からあるなんらかの未熟さが原因なんだと思う」

つまり問題を起こすときってのは、
その事象は決して唐突ではなく、自分の中に未熟さがあって、それ故に(必然的に)起きているのではないかということ。

誰かと揉めるとき、トラブルに巻き込まれるとき、大きな失敗をするとき。

これら不本意な出来事が起きる時って、そもそも自分自身の感情が負の方向に振れていて不安定になってませんか、と。




■その逆が、徳を積むこと

何かに怒っていたり、何かに不満を抱いていたり。
あるいは何かを嘲笑していたり。何かを冒涜していたり。

こういう時ってのは自分自身は未熟な状態であって、そもそも心が凪じゃない。こういう時に良いことは基本的に起こらない。

そして、
その逆が徳を積むことなんですよね。


落ちているごみを拾うなんて、そもそも自分自身の感情が凪でなければ到底できない。
心に余裕が無ければ、そもそも目にすら入らないかもしれない。

ゴミ拾いのみならず、他人に対して手を差し伸べるとか、利益を求めず労を惜しまないとか。

こういうのって実行するから良いことが起こるんじゃなくて、(心と体が)実行出来る状態だから、良いことが起こるんですよね。


つまり徳を積むとは、
そういうことが出来ている心の状態にあるよってのを表現しているんです。




■まとめ

事件が起こる原因は、
自分自身がそれ以前から未熟な状態にあるから。

その逆で、
自分自身が安定し、充実していたら良いことが起こる可能性がある。

そして、そういう状態だからこそ徳が積める。


だから、
徳を積むと良いことが起こる。


こんな感じでしょうか。

徳を積むとは、自分自身の心のさざ波を落ち着かせる方法なのかもしれません。

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