同じ世界に居続けることで起こる自分への作用と反作用
私は13歳、
中学1年生の時に陸上競技部に入り、
34歳まで陸上競技を続けてきた。
昨年の7月に、左ふくらはぎを肉離れして、
人生最大の怪我した。
2週間の松葉杖生活を経験し、
競技は一区切りつけようと決意し、
22年ぶりに陸上競技から離れることを選択した。
22年間も陸上をやっていると、
その世界の常識的な概念が自分に身についており、
結果が出ない自分に嫌気を刺すことがあった。
なんのためにやっているのか?わからない時があった。
競技人生の終盤は、
やめてもいいけどやめる決断ができない
まだ結果が出るのでは?
という淡い期待も捨てきれず、
精神的にもギリギリのところで競技をしていた。
だから怪我はある意味、
辞めるという決断を促進してくれて
ありがたかった。
そこから約半年…
2022年の幕開けとともに
競技に復帰することを決めた。
半年間、競技から離れることで
俯瞰して自分を見つめ直すことができた。
「もっとハンマー投でこんなことできるやん!」
「あんなこと気にしなくてよかったな。」
など、自分の足りない部分、削ぎ落とす部分を
冷静に考えることができた。
そして2022年の日本選手権の開催地が
地元大阪とわかった瞬間、
「出たい!」
と心の底から思った。
今しかできない。
6月までと区切って、復帰しよう!と決めた。
復帰した今思うことは、
過去に自分が気にしていたことは
”全てどうでもいい”ということだ。
私は実業団選手ではなく、
過去も現在もフルタイムで働いて競技をしている。
私のとってこれはコンプレックスだった。
実業団選手にもなれない自分という…
東京オリンピックに出るために
6年間勤めた職場を辞めて、
ドイツに単身で1年間トレーニング留学をしに行った。
ドイツ人アスリートに囲まれて、
英語でコミュニケーションを行い、
私の人生を賭けた一世一代のチャレンジは
結果には繋がらず、失敗に終わった。
これも自分の中で引きずるコンプレックスだ。
日本代表になれない自分…
選抜合宿に行けない自分…
スポンサーがつかない自分…
マイノリティな練習をしている自分…
これらにすごく劣等感を感じて
自分にダメ出しをしていた。
それを覆すには結果を出すしかないと思い、
結果にこだわり、
結果に縛られることを
自らしていたように思う。
今は、これら全てがどうでもいいのだ。
結果が出ようが出まいが、
すごい選手になれようがなれまいが、
どんな練習方法であれ、
私は自分のハンマー投を表現したい。
陸上から離れることでこのマインドになれた。
過去の自分を振り返ると
結局自分で自分のことを縛って
ダメ出ししていたんだなと思う。
同じ世界に居続けると
この現象は起こりやすいように感じる。
まさに
井の中の蛙大海を知らず
ただこのことわざには続きがある。
されど空の深さ(青さ)を知る
今の私があるのは、
22年間、陸上競技を続けてきて
この世界の深さを知っているからこそだと思う。
だから過去の自分を否定する必要はない。
ただ同じ世界に居続けると、
自分に起こる出来事の捉え方を変えることや
俯瞰して自分を見ることは難しい。
勇気を出して、違う世界に行ってみることも
時には必要だということ。
それは辞めるという選択肢もあるが
自分が知らないコミュニティに入ってみる
今まで出会わなかった人に会ってみるなど
方法は様々である。
自分への捉え方が変わった時がチャンス。
私は「自分のハンマー投を表現することに徹する。」
という新しい自分で、
陸上競技と向き合っている。
新しいチャレンジはすでに始まっており、
次はどんなことに気づけるのか
今から楽しみだ。