韓国男子に一目惚れ、人生の祝福

出会い、2015年。
私の一目惚れだった。

私たちは日本と韓国から来た、ニューヨークへの留学生だった。

Fine Art、芸術作品の制作に携わるアーティストを養成する2年間の大学のプログラムに入った私は、オリエンテーションの前夜、顔合わせの簡単なパーティーが学生御用達のクラフトビア・バーで開かれるというので顔を出した。

何とか入学要件スレスレの点数を取れるだけの英語力しか持ち合わせず、雑談力もない(母国語の日本語でもさっぱりなのだから)私は、色々な国から集まった様々な人種の、それでいて歯並びだけは一様に良いクラスメイトたちとぎこちなく挨拶を交わし、カウンターでビールを頼んでから奥の人が少ない方のエリアへと逃げた。

そこでは、3人くらいの学生が4人掛けのテーブルに座って何やら話し込んでいた。近くと、全身タトゥーに包まれた、金髪碧眼の2m近くありそうな大男が陣取り、彼の連れらしい黒髪の美女と、アジア人の男性がいるのが分かった。

「ここ、座っても大丈夫?」とジェスチャーで聞くと、大男は鷹揚に「もちろん」というように肩を竦めた。簡単に自己紹介をした。大男の名前はピーターで、女性の名前はアンナ、アジア人の名前はジュノだった。

一番奥に座ったジュノは、「どうしてK-ポップはこんなにアメリカで人気なのか」というピーターからの質問に、誠実に答えようとしているようだった。

韓国の政府がコンテンツの輸出を後押ししている、パク・クネ大統領の一押しの男優がいる、というようなことを言っているようだったが、正直、ジュノのきついアクセントの英語をうまく聞き取れず、私は聞き取りの努力を途中で諦めてしまった。

肝心の大男も、"Right, right"と真面目に聞いているふりをしながらも理解しているようには見えなかった。

しかしどちらにせよ、彼の話す内容は私の頭の中にはほとんど入ってきていなかったのだ。

緩くパーマのかかった黒髪に、優しそうな奥二重の目、形の良い鼻、白い肌。

それでも自分の話を淡々と続ける彼の横顔を見た瞬間、目を離せなくなって、胸の高まりに自分でも混乱していたからだ。耳の奥で教会の鐘がリンゴーン、と鳴っているように思えた。この人に会うために遠路はるばるアメリカまで来たのだ、というような気さえした。

「どうしてこの人はこんなに美しいんだろう」。会ったばかりで、彼のことを何も知らないというのに、彼が生きているということ、そのものが私の人生への祝福だとさえ思えた。

一目惚れとは、人生の中で時たま起こる、天からの祝福ではないかと思っている。たとえその恋が叶おうと、叶わまいと、切ない結末を迎えようとも、一目惚れの瞬間のあの胸の高まりと頭の中の心地よい混乱は、人生の美しい彩りだと信じている。今でもその当時のことを思い出すとき、心の中が暖かくなるような、荘厳で幸せな気持ちになるのだ。

ちらほらパーティーから帰る人が出てきた頃、私もテーブルの皆に別れを告げた。「私、ここから歩いて15分の寮に住んでいるの。そろそろ遅くなってきたし、帰るね」。

ジュノが韓国アクセントの強い英語で私に尋ねる。「僕も寮に住んでるよ。何てところ?」

「ジョンズ・ホール」だと答えると、ジュノと、近くにいたフィリピン人のマリアが「自分もそこに住んでいる」と言い、一緒に歩いて帰ることになった。

雨上がりのニューヨークのストリートを3人で歩きつつ、ジュノの横顔をチラチラと見ながら、私は留学生活に対する不安が徐々に消え、興奮と希望が湧いてくるのを感じていた。

もうその時点で、どうしようもないくらい恋に落ちていたのだった。

しかし彼にはパリに留学中の韓国人の彼女が、私には日本に残してきた彼氏がいるのだ。

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