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ランタンの灯りに癒されて
先日ランタンイベントに参加しました。
私が利用しているシェアキッチンは、2階がシェアオフィスになっていて、そこでアロマのサロンをされている方が主催という事で知りました。
シェアスペースの玄関には、利用している皆んなのイベントのチラシが置いてあります。
キッチン利用の帰りに、そこにランタンイベントのチラシを見かけました。
パッと見て、すぐに素敵そうだなと思いました。
クラウドファンディングで開催されるらしいので、始まる前にご案内をお届けしますというメールに登録した。
これがいつのことだったのかは思い出せない。
けれど、私は夫とも、子ども達とも一緒に行きたいなと思ったので、みんなに予定を確認して空けておいてもらうことにした。
そうして、忘れていた頃にメールが届いた。
私はもう決めていたので、すぐに申し込む。
インスタでもシェアさせてもらって、必要な人に届くといいなと思った。
時々、どうなっているかなー?とサイトをのぞいたりしていたけど、クラファンは100%以上の達成率で終了となった。
ランタンの数には限りがあったけれど、全部申し込まれていた。
さて、なぜランタンをとばすのか?
インスタから引用すると
大切な人を失った悲しみ、愛する存在との別れなど、悲しみを抱えた心をランタンで暖かく照らし、癒す日にしませんか?
とあります。
主催者の山中さんは、グリーフケアの活動として「わかちあいの会」をされています。
たまたま開催される日にお会いしたこともあり、その時にはじめてグリーフケアという言葉を知りました。
わかちあいの会は、遺族や大切な人を亡くした方が抱えている辛い気持ちや葛藤していることを話せる場所づくりや、同じ境遇や悩みを持つ人たち同士で支えあう活動を行われているとのこと。
私のお母さんが亡くなってから2年とちょっとが経った。
亡くなってしばらくは、どうしてもお母さんと同年代の方たちを見るのが辛かった。
楽しそうにしている姿を見ると、お母さんだって本当は…。
そんな気持ちがどこからともなくあふれてきて悲しくなったり、悔しくなったりしてしまった。
その時の私は、この悲しい気持ちを消したいとか、癒したいと思ったことはなかった。
どうしてこんなことになってしまったんだろうと、原因を探すこともなかった。
ただ、その時にでてくる感情をぜんぶ受け止めておこうと思った。
自分にできなかったことを数えても、ああしておけば、こうしておけばと後悔しても、他人のお母さんを見ても、何を考えてしまっても、それは仕方ないことなんだと思った。
もしかしたら、そういうのを誰かに話せばよかったのかなと思う。
でも、ずっと夫が普通にしていてくれたから、よかったのだと思う。
必要以上に心配したり、励ましたり、怒ったり、悲しんだり、そんなことはなかったから。
普通でいることで、私のことを待っていてくれたように思う。
後で聞いたら心配はしていたが、特に言わなかっただけらしい。
それでも、何年たっても癒されない人もいると思う。
そんな方たちには、こういう外部の力をもらって、何かいい方向を向けたらいいなと思った。
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場所は神社でした。
暗くなるまで、音楽を聴いたり、ライブペインティング、お手紙を書いたり、マルシェをまわってご飯を食べたりした。
にぎやかなのに、穏やかな空気を感じたよ。
暗くなったら、せーのでランタンのひもをゆるめて、たくさんのランタンが空に浮かんだ。
本当にきれいで、ハンドパンの演奏が響く静かなじかんでした。
ランタンにはお手紙をくっつけてあります。
ここにいる皆さんの、誰かへの想いが届いたり、区切りがついたり、そんな風になるといいなと思った。
最後は焚火の炎を見つめて。
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どうして炎に人は惹かれるのだろう。
私は炎のゆらぎを見ると、とても落ち着くような、ざわつくような、そんな気持ちになります。
子ども達も見慣れないけれど、やっぱり近寄っていったので、なにか炎には人が本能的に惹かれるものがあるんだなと思う。
中学生の頃に仲が良かった友達に教えてもらった言葉をずっと覚えている。
その子とは違う高校に通っていたけれど、いつも誕生日に手紙のやりとりをしていた。
その中には、いつも私にはない視点や言葉を添えてくれていて、それがとても楽しみだった。
ある時、とある本の引用文が書かれてあった。
ー強制労働で外へ連れ出されて、死んだ人たちを埋めるためにスコップで穴を掘っている。そのうちに日が暮れてきて、栄養失調の体には凍えそうに寒い。そんな時、林の向こうに、真っ赤な大きな夕日が今にも沈んでいこうとする。それを見た瞬間、スコップの手を休めて「おーい見ろよなんてすばらしい夕日じゃないか。」というようなことを言う人。そして同じように仕事の手をとめて「あぁ、本当にきれいだな。」というようなことを言える人。
そんな人が極限状態のなかで比較的生き延びたというのです。
彼女はこの本を読んでとても感動した!と書いてあった。
自然の美しさに感動できる心って、生きる力なんだ!
月を見たり、虫の音を聞いたり、誰かのことを思ったり、そんな他愛のないことが、人を支えてくれる、力をくれる、勇気をくれる。
そんなこともあるのか!って。
当時の私には、まだそこまでの理解がなかったのやけど、大人になるにつれてわかってきた。
自分が辛い時って、そのことばかりに目をむけてしまって、周りのことが見えていないことが多い。
本当なら与えられているものがたくさんあるのに、そこに気づかない。
ふと、それを思い出しました。
渦中にいる時は、彼女の言葉を思い出すことはないのに、過ぎ去った頃にいつも思い出す。
そうだなぁ、そうだったんだよなぁ。ほんとう、なんで忘れていたんだろう、って。
もうひとつ、昔におじいちゃんのお見舞いに行ったときに看護師さんに言われたこと。
「お孫さんが来た翌日は調子がよくなられますよ!」
お父さんも、お母さんのベッド脇には私の写真や、私やお兄ちゃんの息子たちの写真や手紙を飾っていた。
そんな風に、写真でも文字でも絵でも、人を励ますことができるのは、そこに感動する心があるからだろうか、と思った。
人には感情があるから。
その感情が、体にも心にも大きく作用するんだろうなと思う。
誰かからもらった言葉ひとつで、勇気がわくように。
だから、きっと沢山のランタンの灯りで、癒されたり、励まされた人がいるに違いないと思う。
やっぱり、とても素敵なイベントだと思った。
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