パートナーの顔って重要ではない。犬の顔が重要でないように。
犬を見て、「いやあ、不細工。タイプじゃない。可愛くない」と思う人はいないだろう。
人によって「ゴールデンレトリバーが好き」とかいった「タイプ」の差こそあれ、だからと言って「ゴールデンレトリバー以外可愛いと思えない」というわけではない。
特に、犬を飼えば、自分の犬の顔が一番可愛いと心の底から思うようになる。
ひるがえって、人間の見た目はどうだろうか。
人には好みのタイプがある。
一眼見ただけで、「なんだか知らないけれど、かっこいいいい!」なんて人がいる。
その一方で、好みでない見た目の人には、嫌悪感すら覚えるときもある。
恋愛や結婚において、見た目は重要視されている。
タイプの顔や見た目であれば、一瞬で好きになるし、ドキドキできるし、いろんなことが許せてしまう、と恋に恋する人々は言う。
好みの顔であれば顔を見るだけで幸せだが、好みの顔でなければちょっとした言動にイライラする。
だから、パートナーには見た目が好みの人を選んだ方が良いのだ、と。
それは一理あるかもしれない。
しかし私は、だからと言って、見た目の好き嫌いやタイプというのが、動かぬものだとも思わない。
つまり、犬の見た目と同じように、最初からの好みは多少はあるものの、一度絆を築いたら、その個体が一番可愛く見えるものなのだ。
犬を見て、なぜどの犬も可愛いと感じるのか。
それは、自分に向けられるまっすぐな信頼と純粋な愛が、顔や目、しっぽなどといった外見から滲み出ているから。
自分に噛みついてきたり、自分に全く興味を示さないような犬は、そこまで可愛いとは思わないだろう。
人間も一緒だ。
相手との関係性が良好であれば、その人は自分にとって可愛い顔になる。
ゴールデンレトリバーが本当は好きだけれど、飼っているうちのチワワには敵わない。
それと同じようなものだ。
そう考えると、顔や見た目が好みでないという理由だけで、パートナーの候補から外してしまうのは勿体無い。
性格、会話のテンポ、ユーモアのセンス、といったような「ソフト面」の相性の方がむしろ固定的なもので、努力でなんとか乗り越えられるものではないと思うからだ。
まずは、相手を愛し、相手に愛されること。
相手を人として好きになること。
愛と絆さえあれば、人間の見た目も犬がみんな可愛いように、可愛いと感じられるようになるのだ。
それでも、どうしても相手の見た目が可愛いと思えない場合は、「タイプでない」というよりも、相手との関係がそもそもうまくいっていないか、ソフトの面で相性が合わないと考えていいのだと思う。
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