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30歳になって最も変わったこと

私がまだ腹の薄い大学生だったあるとき、母から言われた。
「25歳になると何が変わるって、肌が変わるよ。今までは何もしなくても大丈夫かもしれないけど、25歳を過ぎると、どんなにケアを頑張ったって、次から次へとシミも出てくるし乾燥もするし、今までのツケが回ってくるから気をつけな」と。

この言葉は呪いのように私の中に残り、びくびくしながらお肌が変化するときを待った。

しかし、25歳の誕生日を迎えても、私の肌に劇的な変化は感じられなかった。
忘れていたのだが、私は幼少期からずっとアトピー持ちで、乾燥肌かつ敏感肌なので、そもそも25歳になる前から「何もしなくても大丈夫」な状態だったことがなかった。

お風呂から上がったら髪や体から水滴がぼたぼたとしたたるのを無視して、全身に一心不乱に化粧水をぬりたくらなければぱりぱりになってしまうような、極度の乾燥肌。

化粧水を入れても入れても「すっ」と水分を吸い込み、何もなかったかのようにカサカサになる自分の肌に辟易として、救いを求めるようにグーグルの検索窓に「肌 砂漠」と入力した記憶もある。

そんなわけで、私は25歳になっても特に以前との大きな変化を感じずに生きてきた。
しかし、そんな私にもひそかに忍び寄る「年齢」の影があったことに気が付かなかった。

それは30歳を過ぎたある日、久々に実家に帰って何気なくテレビを観ていたときのこと。
仕事が忙しくなってテレビも頻繁に見なくなっていたので、「ああ、テレビを観ながら団らんって懐かしいな」なんて感傷にひたっていた。

すると、テレビはかつて毎週楽しみに観ていた「ミュージックステーション」を映し始めた。

「Mステ」を観て、私は唖然とした。

出場しているアーティストが、誰一人わからなかったのだ。
私は一瞬、意味がよくわからずに混乱した。
「Mステ」は、私が知らない間に番組の趣旨を変えて無名のアーティストを発掘する番組になったのかな、と思ったくらいだ。
そのくらい、衝撃的だった。

学生の頃、「Mステ」に出るミュージシャンなんて、全員知っているのが当たり前だった。

日本の首都を知っているのと同じくらいのレベル感で、当然の常識だった。

しかし、30歳になった私は「Mステ」で披露される流行歌や、流行のアーティストを一人も知らなかったのだ。

この事実には驚愕した。

なぜこんなことになってしまったのか。
わが身を振り返ってみると、たしかに思い当たる節はたくさんあった。

そもそも音楽をあまり聴かなくなった。
学生の頃には必須だったサブスクもやめていた。
音楽がうるさく感じられるようになった。
無音が心地よくなった。
歌詞のない音楽の良さがわかるようになった。

でも、学生の頃は音楽が空気のように大切で切実な存在だったのに、なぜ流行の音楽から遠ざかってしまうようになったのか。

そこで思い当たったのは、そもそも年齢を重ねるにつれて、「時代の風」みたいなものを必要としなくなってしまったのだ、ということだ。

学生の頃は「同時代性」が必要不可欠なエネルギー源みたいになっていて、「今」というリアルさを感じられないと生きた心地がしないような、そんな切迫感があった。
「同時代性」や「流行」が、同世代の仲間との共通言語になっていたので、その言語を習得することに必死だったし、それを使いこなして横のつながりを得ることが心地よかった。

しかし年齢を重ねると、今の時代の空気ではなく「自分」が中心軸になってきた。
同時代の横のつながりよりも、他の世代や他の時代にいる自分に似た感性の人、つまり「縦のつながり」を求めるようになったように思う。

古典の小説を読んで「なんで私のことを書いているの?」と震え、時代を超えた人物とのつながりを見いだすことの方が、今とつながるよりもよりわくわくする。

もちろん、たまたま流行のものに強い共感を得ることもあるが、それは流行しているから聴いているのではなく、自分に共鳴するから聴いているというだけで、そこに学生の頃に求めていた「今の時代とつながるエキサイティングさ」は存在しない。

なるほど、そういう理由で私は最近流行りの音楽を聴かなくなってしまったのか、と納得をした。
なんだなんだ、私は単に年齢を重ねて「自分軸を得た」だけなんだ、と安心しようとした。

しかし、そう簡単にはいかなかった。
はたから見れば、私は「若者の流行に追いつけなくなったオバサン」と何も変わらない。というか、そういうオバサンそのものであるという事実に気がついた。

そう、私は学生の頃「Mステ」を観て「最近の子たちは前髪が長いのね~」なんて的外れなコメントをしていた母と同じ層に分類されることになったのだ。

シクシク、と思いながら、成長段階によって異なる栄養素を必要とする胎児のように、年齢を重ねるにつれて人間は、年齢ごとに必要な「娯楽」も変わってくるのだろう、と思ったのでした。




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