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「外見と性格どっちが大事か」問題に決着ついた気がする

私は夫の見た目が好きだ。

見た目というのは、二重の目やぷっくりしたほっぺ、ふさふさした眉毛、子供のような丸顔、ほっそりした顎のライン、ひょろっとした細い体や、ペタンコの胸板のことをいう。

もちろん、夫のおおらかな性格やユーモアがあるところ、たまにおっちょこちょいなところも好きだ。

でも、「性格なんてどうでもいいやん」と思ってしまうほどに見た目が好みである。

見ているだけで「かわいいなあ…」といって思わず触れたくなる。

そう、子犬を見たときに思わず「かわいいなあ…」って抱きしめたくなるような、その時の心の動きと同じである。

私は高校生くらいの時まで、見た目と性格は半分くらいの重みがあると思っていた。

むしろ、見た目の好みで付き合う人を決めることを「浅はかなことだ」とすら思っていた。

「私はパートナーを外見で選ばない。性格で選ぶの」ということが、かっこいいと思っていた。

そういう人になりたいと思っていたし、自分はそういう風にしてパートナーを決めるんだと漠然と思っていた。

しかし大学生くらいになって、私は外見で人を選んでいることに気づく出来事が起こった。

というのも、ただ一目みただけで「いいな」と思う人に出会ったからである。

その先輩は、オーケストラ部の先輩で、仮入部に音楽室に入った瞬間に「あ、好き」と思った。

一目惚れというやつである。

私は今まで一目惚れをしたことがなかったが、「これが一目ぼれというやつか」とスッと理解できるほどにそれはハッキリとやってきた。

その先輩は誰もが認めるようなイケメンでもないし、昔から私が「タイプだ」と認定している嵐の二宮くんの顔のタイプともかけ離れている。

しかし話したこともないのに、見た目だけでぎゅっと胸を掴まれた。

先輩に強く心を惹かれながらも、心のどこかで自分自身を冷たい目で見る自分がいた。外見だけで人を好きになるなんて、私は面食いだったのか、、、と、がっかりすらした。

しかし、よく考えてみると、外見で決めることはそんなに悪いことなのか。

というより、外見と内面は、そんなにもかけ離れているものなのか。

そもそもなぜそんなにその先輩の外見に惹かれたのか。

考えてみると、その先輩の性格が「見た目」にじわ〜っと滲み出ていたからだと思う。

目の奥から発せられる少年のような輝きと温かさ、満ち足りている人独特の表情とオーラ…

その先輩も例に外れることなく、内面についても知れば知るほどに素敵な人だった(残念ながら縁はなかったけれど)。

そう、最近気づいたことなのだが、人の性格は外見に現れるということだ。

それは、チャラい人はチャラい見た目をしているとかそういう表面的なことではなくて、もっと深いところで、オーラというか、表情というか、佇まいというか、そういう説明できない「空気感」がさまざまなところに現れ、私たちはそれを肌感覚で感じ取っているということ。

だから、高校入学して見知らぬ人々と急に同じ部屋に投入されたときにでも、就職して新入社員が一堂に会したときにでも、「なんとなくこの人とは友達になれそうだな」ということをぱっと見で感じたりする。

実際、今でも仲良しの高校の友人は、出席番号も離れていて話す機会もなかったが、お互いに一目みた時から「同じオーラ」を感じていたとよく話す。

こんなふうに外見と性格について考えると「なんだ、人間って結構直感が機能するんだ。全然動物じゃん」なんて、当たり前のことを、思ったりするのだ。

だから、「外見と性格ってどっちが大事?」という質問はそもそもナンセンスなのだと思う。

見た目と性格は別々に存在しているものではなく、強いていうなら「いいな」と感じる直感は大体当たっているという話なのだ。

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