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東京生まれ東京育ち→スイスの田舎に引っ越して感じたこと

東京生まれ東京育ちの私。
子供の頃から、放課後に母や友達と待ち合わせしてカフェに行ったり買い物したりした。
休日は映画館に行って観たかった映画に朝から並んだり、流行りの洋楽を視聴しにレコードショップに行ったりした。
好きなアーティストが来日すれば、東京ドームにライブを観に行った。
通勤には満員の電車に身体をぎゅうぎゅうに押し込んで、暗くなった帰り道ではビルの間から月を眺めた。
季節の変わり目にはファッションを先取りして、流行りのメイクがあれば取り入れた。

文化にあふれる東京が大好きだったし、刺激的で活気にあふれた忙しい生活を愛していた。
人間が好き。人間の生み出した文化が好き。
それこそが、私のアイデンティティだと思っていた。

しかし結婚を機に、スイスの田舎で生活することになった。

あらゆる面で東京と逆だった。

お店や娯楽施設なんて中心地まで電車に乗って出て行かないとないし、そもそも数も品ぞろえも少ないので1日あれば見終わってしまう。

公共交通機関もガラガラで、町だって人があまり歩いていない。
日曜日なんてお店がほぼ閉まっているから、外に出ても静かでがらんとしている。

おしゃれだって、化粧をばっちりしてアクセサリーをつけて街を歩くと浮いてしまうのでやめた。

さみしい、つまらない。
活気が欲しい。文化が欲しい。人間が恋しい。
来てすぐには、そう思った。

しかし、数年たって考えが変わった。
なんか、自由だ。
深呼吸がしやすいぞ。
文明の「毒素」を出し切って、生き生きとしている自分に気がついたのだ。

どうやら私は今まで、まわりにあふれるまぶしい刺激に踊らされていただけで、都会での過ごし方を心から選んでいたわけではなかったらしい。

もともと、わたしは自然が好きだったのだ。
子供の頃、水の見える公園のベンチに座って、ぼーっとするのが好きだったことを思い出した。

学生時代、悩みがあると芝生の見えるベンチに座って考えゴトをしていたことを思い出した。

だって、目の前の自然ほど、日々変化するものはない。

人間が何の手も加えなくたって、風に揺られる木々は刻一刻と形を変え、色を変え、香りを変える。

湖は、表面の模様を変え、空の色に合わせて水の色を変え、白鳥やカモといった訪問客が毎回異なる景色を描く。

一方東京のように娯楽に囲まれていると、何もしなくとも向こうからやってくる情報を受けとるのに精いっぱいで、じっくりと自分の方から楽しみを探すスイッチがオフになる。
目の前の情報を処理するのに脳は精一杯だから。

すると、静かな自然は、にぎやかで眩しくてうるさい文明の背景になってしまう。

しかしなにもない田舎に来ると、他にやることがないので自然と向き合うことになる。
すると、都会では見えなかったたくさんの小さなものが目の前に突如存在感を表しはじめる。

鳥が木に巣を作っていること。
蜂が花から花へ飛び回っていること。
木の形が毎日変わること。
空気のにおいが季節ごとに違うこと。
風の音が心地よいこと。
草の中でカサカサっと何かがうごめいていること。
太陽の角度が変わること。
水が透明なこと。
人間は小さいこと。

身の回りにいつだってあった色んな美しさが、ちっとも見えていなかったんだなあと気づいた。

超都会っ子の結論。
田舎暮らしは、いいですよ。


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