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「頑張る」の国際的考察?!
占い師として、鑑定の現場で感じるのは、みなさん本当によく「頑張っている」なぁ、ということです。
私も確かに、昔は時はよく「頑張って」いたなぁ、と懐かしく思います。今は「いち抜けた!」という感じですけれど。
「頑張る」の語源は、諸説あるものの、そのうちのひとつに「我を張る」というものがあるそうです。その流れで考えると、「頑張る」とは、「負けたくないし人にも頼りたくないので、頑固に意地を張って我慢している状態」ともいえなくないような気がします。つまり、その根底にあるのは競争原理です。
さて、私の夫はイギリス人で、長年日本で働いているのですが、ずっと昔、仕事の関係者から英語でこう言われたことがあったそうです。
”Work hard!”
夫はその言葉を思い出すたびによく激怒したものでした。「俺はあいつよりよっぽど我慢してひたすらハードワークしてたのに、なんでそんなこと言われなきゃいけないんだ?!」と。
それはおそらく、他意のない激励のための、いわゆる「頑張ってね」を直訳したものだったんだと、私は文化背景の違いから丁寧に解説する必要がありました。日本人なら感覚的にわかりますが、そもそも根底にある文化が違うわけですから、そのまま英語にしようものなら即座に誤訳になるわけです。
そう、私たち日本人は、なんの悪意もなく無邪気に言うのです、「頑張ってね」と。でも、その言葉を聞いて私たちが潜在的に察知するのは「忍耐せよ」「我慢してやり通せ」というメッセージ。だから、くだんの「頑張ってね」を、字面そのままで英訳した夫の知人は、日本語本来の意味のほうを無意識に採用してしまい、夫にとんでもない誤解を与えてしまったのでしょう。
そんな「頑張ることが当たり前」だと刷り込まれた日本人であっても、みんながみんな、頑張ることを自ら望んでいるのかといえば、それは違うと思います。ご相談者さんの中でも、頑張ることが辛い人や、頑張ることをやめたい人はとても多いのです。でも、「頑張らなきゃいけない」国に生きていると、周囲の「頑張れ」に流されてしまうのです。そして孤独な戦いに向き合うことになるのでしょう。
そういえば、夫から言われる言葉はいつも”Well done!” だの、
Take it easy!”だのであり、間違っても夫は私に”Work hard!”なんて言いません。そういう価値観がそもそもないのだから当然です。
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もちろん、イギリス人にだって、ハードワーカーはたくさんいます。みんな、勤務時間中は真面目に職務を全うしているでしょう。私は夫に聞いてみました。
「西欧人が他者にハードワークさせたい時は、何て言うの?」
すると、こんな答えが。
「アプローチの仕方が違うかな。
”Be professional.”(プロであれ)みたいには言うかもね」
「西洋人はハードワークの前提が、Work hard. Play hard(よく働き、よく遊べ)なんだよね。だから、ハードワークの先にある楽しいことを考えてる。つまり、『終わったあとパーティしたいから』、とか『バカンスに行きたいから』ハードワークするぞ、って思うんだよ。」
「脳がね、いつもCelebrateしているんだよ。アウトカムのために何かに取り組んで、そのあとお祝いする。パーッと遊ぶというポジティブさを忘れないところが、西欧人の価値観なんだろうね。日本人は、ハードワークがモラルになっていて、自分のためのハッピーなアウトカムが忘れられているんじゃないかな。」
「日本人は『私は頑張ったんだ』という事実だけのためにハードワークしている気がするんだよね。そうなると、『ネガティブなハードワーク』になりかねない。そりゃあ『頑張ります!』だけで、ハッピーなアウトカムを祝福できない状態にずっといたら、不幸を作りかねないよね。」
「イタリアの人たちなんて、もっとはっきりしてるよ。『働きたくない、ただ自由に楽しく生きたい』って。'la dolce vita'っていう言い方があるんだけど、その意味は「ドルチェ(デザート)みたいな生活」だからね。それが彼らにとってのグッドライフなんだよ」
どうやら夫によると、Work to live(生きるために働く)のが西欧人、Live to work(働くために生きる)のが「頑張っている日本人」というイメージだそうなのです。もちろん、全員がそうだとはひとくくりにはできませんが、異文化のなかで暮らす異邦人が感じる違和感は侮れないものがあり、時に痛いところを突いてくるものです。
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“ハードワークがモラルになっている”
“自分のためのハッピーなアウトカムを脳が祝福していない”
日本人がつい陥りがちな思考のクセであり、改善の余地がありそうなポイントだと思います。とはいえ私が、日本人として日本の価値観にがっちり組み込まれていたモーレツ社員時代に夫にこんなことを言われていたら、ついムッとして反撃していたことでしょう。というか、実際そんな理由で喧嘩ばかりしていたような……。
「だって、ここは日本なんだから、しょうがないじゃん!
私たちはそうやって生きていくしかないんだよ!
すぐ飲みに行くアンタにはわかんないだろうけどさ!」
なんてね。
でも、「いち抜けた」今となっては思います。
「あの時の私はもしかして、『我を張って』いたのではないか?」と。
周囲に認められるために、マウントを取られないために、誰かに迷惑をかけて肩身の狭い思いをしないために...…。競争社会から滑り落ちないように、必死になって頑に我慢する生き方を貫き通そうとしていたのではなかっただろうか……。
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必死で「頑張って」いた時代にはイラッとして仕方がなかった夫の価値観に、今となっては深く共感する私。人間は、変わるものです。
私たちは、時にこういった異文化目線のような全く別の視点を取り入れるということも大切なのかもしれません。そのことで、これまで疑いもせずにただ受け入れ続けてきた価値観に、「待った」をかけることができるから。
その「頑張り」は、純粋に自分の幸せのためになされているのか?
実は他者にばかり意識が向いていないのではないか?
自分の心がどこかに置いてきぼりになっていないか?
でも、価値観って、見直すのは難しいですよね。だってその価値観こそが、今までのあなたを守ってきてくれたのですから。だから簡単に捨てられなくて当然です。
そんな時は、これまでの価値観をいったん「そっと脇に置く」だけでも、いいのではないかと思うのです。横に置いてあるけど、それにどっぷり組み込まれているわけではない。少しだけ距離を置くだけでもグッと楽になり、別の価値観をちょっぴり面白がれたりもするものです。
頑張り屋さんは、自分に厳しい人です。だからこそ、自分をたっぷり褒めてあげてほしい。そして、その価値観をそっと脇に置いて、別の視点を面白がりながら、気晴らししてほしいのです。
新しい価値観を採用するかどうかは、すぐに決める必要はないのですから。
何かのご参考になれば幸いです。