逆転無罪でよっしゃーと叫ぶ人
近頃、有罪判決が一転、逆転無罪を勝ち取るという判例をやたらとよく目にする。
飲酒運転で少年を轢き逃げした後、口臭を隠すためにコンビニにブレスケアを買いに行った男。
心神喪失状態で車を運転し人を跳ねた中国人の女。
猪苗代湖のボート禁止エリアでクルーザーを進め、子どもを死に至らしめて母親の足を切断させた男。
サークルの飲み会後、酒に酔わせた女子学生を三人で代わる代わる回しながらハ○撮りを撮っていた男子学生。
この数日(これを書いてる12/18時点)でこうも立て続けに目にするかという頻発ぶりだが、これらの記事を確認するたびに、被害者やその家族の心情を図るに余りあるものがあり、苦いものが込み上げる。
「一体どうなってんだ、日本の司法はよぉ!?」
世間ではSNSを中心にいくつもの糾弾が上がっており、確かに自分も同感の思いがある。
もっとも、袴田事件のような冤罪や、被害者側に落ち度があった可能性もなくはないのだろうが、今回列挙した4件に関しては明らかにいずれも"クロ"ではないか?
行動も結果も証拠も被害者も頑然と存在する中で、いくらなんでも無罪はないでしょうよ。
素人目線だから法のプロから言わせればそうはならないのかもしれないが、にしても完全無罪はないと思いまっせ、裁判長どの。
(一つ目に挙げた轢き逃げに関しては救命措置に関することであり、轢き逃げ自体は有罪になっているらしいが)
無罪が言い渡された時の被告の心情及び反応はどのようなものであったか。
「よっしゃー!」とガッツポーズを決めるか天高く拳を突き上げたかったに違いない。
不注意または欲望の結果としての責任を一切取らされることなく、お咎めなしでこれからも日の光を浴びながら大手を振って歩いていけるのだ。
これが嬉しくないはずがあろうか。
どの事件にも共通することは、犯人に一抹も反省の感情が窺い知れないことだ。
いや、実際に目撃したのではなくあくまでニュースや流出情報から得た知見でしかないし、人の肚の中なんてそもそも覗くこと自体が不可能なのだけど、行動結果から導かれた印象としてはそうなる。
そもそも第一審で下された判決に不服を申し立て罪を軽減しようとする時点で、被告に反省の情などあるはずもない。
あるのは、「うわっやっちまった〜できるだけ罪軽くなんねぇかな」という自身に対する後悔のみであろう。
性悪説を狂信している自分からの憶測だが。
どだい、人に無理に反省を促すなど不可能なのである。
ごめんで済むなら警察はいらない、との浸透した文言が示す通り、ごめんなさい、反省してます、はい終わり、といかないから法治国家において強制的な罰則が設けられているのではなかったか。
反省しろとは思わないよ。
無理だよな。自己保身以外に考えていることなんてないんだから。
それにいくら口先だけで謝罪したところで所詮形だけのものであり、心の裡では舌でもペロッと出していることだろう。
だから無機質的なペナルティを受けて、形上だけでも禊を済ませる必要があると思うのだが、間違っているだろうか?
更生なんてムリムリ、人間のエゴイズム的脳内構造は変わることはないのだから、無駄に税金を使って再教育に充てることなんか止して、吟味が済んだらしっかり罰を受けさせましょ、てな具合にはやいとこならないだろうか。
殊レイプや殺人においての再犯率を見れば火を見るより明らかではないか。
彼らはそれを武勇伝とすら思っているかもしれないのだぞ。
もしこれで判決が確定した暁には、人を傷つけたり死に至らしめた上で被害者に対してなんの痛痒も抱かない人間たちが、娑婆に出てきて今までと全く同じ通りの不自由ない暮らしを送ることとなる。
被告は味を占め、法に触れることをしても優秀な弁護士さえいれば罰せられることはないんだと有頂天になるに決まっている。
世界一おぞましい成功体験だ。
そうして被害者やその家族のみが、涙を呑んで生涯苦しみ続けることになるのである。
昔、大学時代にとっていた犯罪心理学の講義で、例えば自宅で何者かに押し入られて家族を殺された人間は、警察の現場検証と遺体の搬送が済むと自ら床の血溜まりを拭かなければいけないのだと教わった。
公的機関の人間は誰も代わりにやってくれないからだ。
亡くなった家族の赤痕を本人が掃除しなければいけないだなんて。
なんと被害者に寄り添うつもりのない法制度か。
人を殺しても罪に問われない国。
人に怪我させてもお咎めなしの国。
人を犯しても今まで通り生活できる国。
そんな法治大国NIPPON、素晴らしいですね。