私の医学知識方面における雑学研究
さてまたちょっと別の雑学趣味について、コメディタッチではありますがお送りします
小学校六年で読んだ古語版家庭の医学
私は医学については、けっこう昔から造詣がありました。小学校六年の頃に父の書棚にあった今で言えば家庭の医学といった、使いすぎて四隅がよれているような本でしたが、夢中になって全部読み通してしまい、人間の身体は病気の巣窟だと思って、その弊害として今に言う不安神経症の一種の心臓神経症になってしまいました。また多少のメリットとしては、古語体で書かれた本だったため、文語表現に強くなりました。これが後の古事記神話の文語体での解読に役立っています。
たえず病気への不安感があって、120回/分の拍動数がいつもで、中学高校の頃まで続きました。
高二のときに自分の思考力の低下を感じて、行き付けの医院に行き、ワッセンマン検査依頼まで。
医師は即座に大丈夫でしょうと取り合ってくれなかったため、安心できました。何かあったわけではなく、ただ医学書の某病の第何期目かの症状に似ていたため心配で行きました。医師は私が医学に詳しいことを知っていましたから、ああまたかといったことだったかも知れません。京大医学部出の韓国人の医師で地元ではとても評判のいい医師でした。医師はさすが、ドイツ語を披露し「ああ、ワッセルマンね」と姿勢を正され、そして「どうしたの?」と問われ、「はい、〇〇の第三期の症状かと思われるので調べてほしいのですが」と言うと、「大丈夫でしょう」と即答され、安心しました。
どうして医学書に興味したかと言いますと、小学五年生の時に盲腸炎をして手術し、予後不良か、腹の痛みが頻発、私も外で遊ぶことをやめて家の中にいたことが、父の蔵書に触れる原因になったようです。腹の痛みは下痢を伴うわけではなく、術後の経過不良によるものだったか、それでも母は心配して、祖母に相談。祖母は日蓮宗妙見さんの先生に問えば、「だらすけ」を飲めとの託宣。私は中学の夏休みに宮津で過ごす中で、毎日のように妙見さんの先生のところでおなかさすりしてもらったようなこと。金引きの滝に先生と共に行き、滝を登って中腹辺りで滝を横切れば、先生が下で祈祷していて見咎められたこともありました。まあ次第に、腹の調子は治っていったと思います。
まあこの心臓神経症という心臓病とも言えないほどの神経症の病名のお蔭で、中高と水泳をせずに済み、多少のメリットがありました。
心臓神経症も学校を出てからは落ち着き、長らく普通の生活をしていました。1997年頃に勤務の苛酷さから不整脈が出て、初めは抗不整脈薬で鎮まったのですが、次第に脈異常の時間が延びて、心房細動となりました。
抗不整脈薬と心臓拍動の調律関係の薬の四種類をもらって飲んでいましたが実効が上らず、そんなとき尿が赤褐色となり、別の近くの病院に見てもらえば、「あんた肝炎や。即入院せなあかん」と言われ、えっとびっくり。するとその医師は、どんな型の肝炎か調べるからと、血液検査して、「おかしい。ウイルスが見つからん。あんた顔が紅いが、酒飲んでるやろ」ときたため、いや私は仕事柄ほとんど飲みませんと答えると、「ほな、なんやろ」と。そこで私は心房細動の薬をもらってると告げると、「どんなんや、みしてみ」と。私はすべて見せますと、机の上にどこかの家庭の薬とかの本を見ながら、「ああ、この薬は肝機能障害起こすわ・・これもや・・これも」。つまり四種類とも副作用ということで決着。すると医師は「薬減らすからおいで」となりました。結局は、心房細動それ自体は治らず、その次の病院に罹るようにしたとき、山陽病院でしたが、アブレーション手術ができるとされた大阪の国立循環器病センターに紹介状書いてくれて入院したものの、10日の入院期間にしてくれたのは除細動だけ。肝腎のアブレーションなしだったため、退院前日には不整脈が出始め、退院当日の夜には200回以上/分の拍動で死ぬ思いがしました。救急車で神戸から大阪吹田までが叶うとも思えず、翌朝山陽病院に駆け込み、心拍数を下げる薬をもらいました。お蔭で100回/分にまで下がり、何とか命拾いしたようなことでした。国立病院ともあろうところが騙して・・。
しかも、退院後には半年ごとに様子確認が入るらしいのに何もなし。邪悪な限りで、国自体が信用できなくなりました。
山陽病院では依然として前からそうだったように、抗血栓剤としてワーファリンしかないかのようにして、週一回程度のトロンボテストで費用負担が多くかかっていたため、代わるような薬はないか言いましたら、アスピリンを出してくれるようになりました。ところが、1か月もすると両腕の肩の関節が傷みだし、五十肩になりました。ちょうど当時NHKで関節炎患者の関節の中がどうなっているかの映像が流れていまして、関節を覆う骨膜が破損して関節液の中に散らばっている様を映していたため、これは身体の中の物質状態が異常をきたしている、その原因はアスピリンに違いないと、飲まなくなり、通院をやめました。すると約1か月後に完治してしまいました。
そこで医原病というものもあることを知りました。まあこの頃から、医療には不信感ができました。
それで心房細動がありながらのまま不整脈薬もいっさい飲まなくなり、2006年~2018年無薬で以後ずっと通してきても何ともありません。医療というものの無駄を思いましたね。しかし2017年11月に重労働を余儀なくされたことが原因となったとみえ、2018年2月に心筋梗塞の事態となったわけでした。
しかし、通常とは異なる肩の凝りがふつうとは異質に思えたため、病院で見てもらおうと思って出向いた先で、その診断となりました。父も母も心筋梗塞時には激しい激痛を訴えたのに、私は平気で車で40分以上かけて行き、不調だからと見てもらったときの血液検査の結果、CK値が4万とか言われて緊急オペとなった次第。何のことかと思ったようなことでした。
そのときオペしてくれた医師がとてもいい先生でした。どんな患者にもそうですが、ひとりひとりに懇切丁寧に具合を言ってくれ、薬の出し方も身体にひどい負担のかからないように図ってくれました。通院時に診察予定時間を2時間オーバーするようなことが多かったですが、患者さんたちは満足していたと思います。こういう先生ばかりだったらどんなに患者さんは心強いか。
私は緊急入院したわけですが、問題を抱えていました。猫3匹を家に置いてきていたのです。私は先生に、どうしても帰って猫に餌をやらねばいけないことを告げても、安静にしなければダメと制止されるばかり。
私は人も猫も一緒、同じ命ですから、どんなにダメと言われても、もしかすると脱け出しますよと伝えました。そして、入院して4日目、病院の休診の土曜日に、ちょうど床に足を下ろしてトイレまで歩けるようになったのを見て、心モニター着けたままで私服着て脱走。朝9時半に出て車で帰り着き、3匹が無事揃っているのを確認してドライフードをたっぷり出して、急いで帰還。11時過ぎについてみれば、怖い顔の婦長と先生が揃って出迎えてくれました。
せっかくの休みの日ですのによくぞ。脱走を予告していたので先生も諦め顔。しかし、診察にはいっそう力を入れてくれました。猫のことも考えねばならないねと仰って。私は高原クラブのサービスを受けることにし、数日おきに餌をやってもらえるようにしました。しかし、うまく餌やりできたかどうかは分からないと言って、サービス1回あたり千円の料金も取らずじまいに終っています。
そんなことなのに19日間の後に退院して帰ってきたとき、三匹の猫は揃って出迎えてくれました。よくがんばったなあ、と。お互い頑張ったことを褒め称えました。
そして、あるときホルター心電図を付けて帰ってその検査結果の出た診察日に、先生は夜中に何度も起きているがそのたびに心拍が止まりかけていたですよ、よく起きましたね、なぜ起きたのですかと聞かれたので、ああそれは雌猫のシャンがその時間に大声で鳴くので、また餌を要求してるのかと、餌やりしていたのです、と答えると、先生はいっそう感動してくれました。猫があなたの危急を知らせてくれていたのですねと。先生には、異種間を超えた命の繋がりがとても感動的だったようです。こういう先生なら、誰でもかかるべきです。猫の手も借りたくなるほど忙しくなるでしょうが。私も手伝わせていただきたいほどです。
シャンはときには食後1時間もすればまた鳴くこともあり、おまえ食べすぎだろ大丈夫かと心配したほどでしたが、逆に私を心配してくれていたのです。
しかし先生は、2019年の終りに退職して大阪の病院に移られました。私は、最終の診察日に先生に私の専属医になってもらいたかったと告げると、すると私には妻子がいます、生活の面倒を見てもらえるなら喜んでOKですよと言われました。申し訳ないです。先生のご多幸をお祈りします。
先生は翌年から始まるコロナ騒ぎの前に、退職して出ていかれました。
良医は2019年末を以て去り、2020年からはコロナに振り回される日本医療となっていきました。
コロナ騒ぎもインチキだったことは武漢ウイルスのゲノムがコンピューターで作られたものと発覚し、それまで怖い怖いで怖ろしさばかり喧伝されて、急遽作られたワクチンも元のウイルスが特定されないままに見切り発車されて、当然のことのように副作用ばかりで効果のないことになったようです。
公然インチキ医療時代の幕開けとなりました。それまでは密かなものだったのが、インチキ垂れ流しといったふうです。
主治医は代わり、自論をまくし立てて勝手に処置を決めてしまう10分間診療の医師となりました。それでも私にペースメーカーを入れた方がいいが、この病院で技術のある最後の医師だから、やるように説得され、同時にアブレーションもやれるとのことで、私はそれならいいかなと思ったのでした。
しかし、ペースメーカーはIH機器や電子レンジに弱いこと、とすれば5G6Gとこれから強くなる一方の電波環境にも弱いはず、また医師が勧めるのはCRT-Dという手術箇所2か所という難しいものであったこと、またさらに3~5年ごとに電池交換手術があること、そんな数年後に技術者は存在するのか、といった先の見越せぬことも多々あって、やめときますと言ったのです。そのとたん、怒りだして「あんたの心臓はもうむちゃくちゃなんやからな」と捨て台詞して退職していかれたのでした。患者に不安だけ与えて突き放すような言い方をするこんな医者は馬鹿だから、絶対かからないほうがいいという見本と言っていいでしょう。これしかいないなら転院するのがいいでしょう。
2022年にはもっと邪悪なことに多剤投与ばかりを身勝手にも推進する医師が続くこととなりました。ペースメーカーの医師にそそのかされたのか、この医師によって私は実験材料にされ死ぬような目に遭いました。
ああ、ここから先は気分が乗らないので、その話はまた後記いたしましょう。 ⇒ 邪悪とはこれを言うという見本の医師との恐怖の日々
さて、私が医学に博識では決してないのですが、妹のパーキンソン病を指摘してやったのは私です。妹はそれまで、頭からもやもやみたいなものが下りてきて肩が凝ったり、だるくなってくると言っていて、それが初期症状だったわけですが、どこの専門医に見せても原因不明と宣告されていたそうで、勤め先の大学病院はむろん、けっこう遠方の専門医にも。神経内科、心療内科、脳神経外科など5か所以上見てもらったようですが、原因が分からないと言われたそうです。
しかし、私は妹が家に入ってくる時、よちよち歩きなのに気付きました。
私はそれを見て、「おいお前、それはパーキンソンやないか」と即答してやりました。「えっ、パーキンソン?」
妹はその病名は知っていても、自分がまさかという感じでした。
「そうや、そんな人を見てきてるから、わかる。今まで罹った どこの医者でもいいから、病名告げて見てもらってみ」と言うと、妹は「うん、そうしてみるわ」と帰りました。そして二日後くらいに家にやって来て、「お兄ちゃん、パーキンソンやったわ」と言いました。
まあたぶん、妹は相手が専門医とはいえ医師への聞き方を間違えたかも知れません。たぶん、前のこういう専門医からは原因が分からないと言われたから診てほしい、と告げたのでしょう。そうすると次の専門医は、前の医師でわからんのなら、私もわからんとしておこうと。そんな無責任の連鎖が医師の間にはあると思われます。邪推かも知れないですが、患者が多かったり、元々大病院勤めなら、時間がかかると思えるのでしょう。たとえば紹介状を次の病院に回す。すると次の病院の医師は、前の通りにしておけば当たり障りがないと、自ら改善してやろうという意志をなくすのではないかと思います。つまり、紹介状システムは無責任の盥回しになっているという実際を私は見てきているのです。そのような例が原因不明の盥回しにもなっていると。
さて、パーキンソンは不治の病とされるので、本人にとっては半分、死刑宣告したようなものでしょう。治療法にいいのがなく、ただ進行をドーパミン系の薬で騙し騙しでこなしていくしかないのが実情ゆえ。
私はそんなときも調べました。そんなわけはない。治す方法は絶対あると。そこでオカルト的ながら、戦後間もなしに亡くなった米国のエドガー・ケーシーという、人の前世を見透す超能力者で、従来の医療だけに寄らず、5000人もの難病患者への治療法を伝えてきて、多くの治病例を持っているすごい人物がいます。その中にパーキンソン患者のケースも40例ほどありました。前世因縁は重篤なカルマによるもので、過去世で自らの身体の不自由で償わねばならないほどのことをしてきた可能性があるらしいのです。しかし、そのような患者にも治病法を伝えていました。
このタイプの人の身体は、全身的に細胞に”金”の元素が不足していて、細胞の働きがスムーズではなくなっている。この治療法は、金の元素を身体に取り込むために、直流バッテリーを使った金元素の電気的取り込みのための電極を当てて使うというもので、以前にはネット上に湿電池の組み合わせ方が設計図と共に示されていたのですが、今は財団管理となっていて、知るための然るべき手続きが要るようで、しかも末期になった妹には病院での治療が優先されるため不可能でしょう。
しかし、私は当時すでに500gの金地金を持っており、その薬効というのか、肩こりや首の痛みなど、痛い箇所や重たい箇所に地金を当てるだけで、瞬刻で凝りが治り、痛みが軽くなる経験をしており、なるほど金はこうした神経系の不調に効果があると思っていたため、妹よ、ここに金があるのだが、これを患部に当てるだけで軽くなると思うから、やってみろよと勧めたのです。
妹は話を聞いていたものの、私の素人治療法に疑いを持っていたのか、要らないと言います。たぶん病院でもらう薬はそれなりに治療効果が上っていたからでしょう。本人も医療関係者だから、医療以外に考えられなかったのでしょう。しかし、進行性の病気。いつの日か良い治療法が見つかればいいですが、ここは試してみてもいいのでは。
私は金の効用について、古代インドでは大昔から、どんな階層の人でも金のアクセサリーを、魔除けとして身に着けていたと知りました。イヤリングやネックレスとして。
私はなるほどと思いました。妹は頭の上から被ってくるようなもやもやから発症していました。つまり、オカルト的には魔が頭上から入ってきたことになるでしょう。まだ初期の頃に金地金を貸してやれば魔除けされて、何事にもならなかったのではないかと思いました。病が膏肓に入ってしまってからでは、遅いか。
私は妹と墓参りに行った帰りに二箇所ほど銀行回りに付き合ったあと、西神中央のマンションの下で、妹が前押しの乳母車に背をかがめながら押すときに、そこに掛かった二つの手提げ袋のひとつに、「妹よ、さっきがたから言ってるように、悪いことは言わんから、患部に使え。ここに入れとくぞ」と袋の中に落としてやったのです。まだその頃には、腰の痛みもひどくなく、歩くことに多少不自由はありながらも、妹は意識しっかりと見聞きしていたと思いました。しかし、使ってくれたのかどうか、やや後に、緑ヶ丘のK鍼灸院に、同じ宗教信者だから安くしてくれると言って週二回ほど通うようになりました。この時も、金地金なら外での使用は無理でも、家の中にいる間は、常時貼って使えるのにと諭したのですが、妹は仲間うちでの信仰に基づく奇跡を尊重したのです。鍼灸の効果ぐらいは保証できたのですが。
パーキンソンを見つけたのは私ですが、素人の私に見つけられたのがよほど嫌だったのかも知れません。また、こうも言えます。誰かによっていずれ見つかるとしても、知ったと知らぬでは、知らずにいた方がもしかしたら固定観念がないぶん治ったりしていたかも知れません。見つけられた段階で、決まってしまうのが病気でもあるからです。
乳癌もそうでしょう。検査して引っかからなかったらひとりでに治っていたと思います。癌というのはできれば大きくなるが、途中から縮小して治ったりするものなのです。私は今まで74年生きてきていますが、癌はできては消えできては消えを繰り返して、今まで何万回も繰り返してきたと思っています。
癌は人体にとって必要な働きをしているという学者もいます。切除されるためにできるのではなく、毒物の体外排出に役立っているとの説があるのです。
K病院で適切な手術をしてもらい助かった? ならばどうしてすぐに舌癌が現れたのですか?
私は余計なことをされているのではないかと思います。過剰検査、過剰診療です。
私は幸いなことに、医者からは心臓だけがターゲットにされていて、その他の臓器に及んでいないから助かっています。肝機能障害、低ナトリウム血症、貧血などありますが、こだわってくれたことはありません。こだわられたら迷惑です。自分で治せます。というのは肝機能障害も貧血も、薬害だから、医者の手を逃れたら治ります。
またもうひとつ顕著な見立てをしてさし上げた例があります。
三木緑ヶ丘でタクシー運転手をしていた頃、常連のパチンコ好きの母と娘さんがいて、ワンメーターながら運転手たちには好評でした。あるときパチンコ屋からの無線配車で乗せたのですが、従姉妹さんの病気が原因不明で困ってるんやとのこと。私はどんな症状か聞くと、めまいを含むいくつか言ってくれたので、私は医者が分からんというほどのものなら、それは珍しい病気だけど、真珠腫というできものができていて、回りの組織を圧迫して起きている可能性がある。真珠腫という病名を告げて見てもらったらどうかなと言うと、その話を持って帰られました。そして一週間後ぐらいに再び乗ってこられて、「〇〇さん、あんたの言う通りやったわ。真珠腫ゆうもんができとって、今手術してもらってるところや」と。「なんでそんな病気のこと分かるん」と聞かれたので、「ぼくは研究熱心やもん。昔からいろいろ調べてきたんや」と答えると、「ほーん、運転手さんにしとくの勿体ないなあ」と言うので、「そやなあ、今頃そっちしとったら大金持ちやろ」と言っときました。
三木緑ヶ丘で運転手していた頃には、いろんなことがハプニングで起きて、何を間違ったか、踏切から車が電車の軌道敷に入って腹を上にしてひっくり返ったのを、数人の運転手で戻して外に出して電車が通れるようにしたり。その加減で人命救助ののじぎく賞をもらったりも。成行きでいろんなことが映画のように展開するものです。
妹ももしかするとカルマ難病とされるように、パーキンソンの不自由を甘んじて受けねばならなかったのかと思います。そういう場合、最も適切な治療法ですらも、バイパスしてしまうということです。膏肓に入った魔が拒否させているのかも知れません。私はがっかりでした。おまけにその善意はもう戻ってこないのです。魔によって奪い去られた気分です。
そのくせ、私がオカルト的に教えたメドベッドについては唯一の希望のようにしてその実現してくるのを待っています。生体を元通りにし若返らせるというのですから、私の希望を持たせるような話にも一縷の望みを持ったようです。今は彼女の職場時代の後輩たちがメドベッド情報をかき集めて、その実在と本物度合いを調べてくれているようです。
そして、これのほうがよほどWHOや厚労省の都合の悪いことなので、妨害は絶対にあります。だから、本物らしき偽物は出回っていても、本物の登場は困難かと思われます。まず生きている間には無理でしょう。
また妹はあのウサギ小屋の家でMIBを目撃した本人なので、やはり宇宙人遭遇はしているかも知れません。妹が1990年頃にマンションにいて窓の外のまぶしいライトを一方の目で見てしまい、朝になったらその眼だけ充血していたと言っていましたが、10階の部屋から見える強烈な光とはUFOだったのでしょう。その後、妹は夢で一人乗りUFOに乗って地球を空から旅して回るということをして、UFOは全面から景色を見ることができ、しかも自分の意志で飛んだと言っていました。これは本物経験と言っていいでしょう。妹は以後、いずれUFOに乗れると思っているのです。
しかし、今生では無理。向こうの世界こそ、願いが叶うわけなので、向うで幸せに自由に空も飛び暮したらいいと思います。こちらの世界は黄泉の国で、滅びに向かう世界。向こうは理想の叶う娑婆世界なのです。
私もいずれ行かなきゃならない世界です。
インド人はさすが数千年の古代からアーユルベーダなどの化学に依らない医療技術を持ち、自然な方法で健康維持をしてきた経過があり、その中で金の効用はインド哲学の伝統の中に生きていたのです。
今の時代は正常であるべき世界とは真逆で、倫理観も何もあったものではありません。身勝手な主張をすれば通ってしまうような、真面目に生きている者にとっては苦難の多い世界になっています。
その理由も分かっています。地上界にはそれなりの理由があり、神世にもそれなりの理由があり、私はどちらも正観するようにして、理由と原因を論文にしています。そしてそれは昔から立ててきた様々な仮説と同様に正しいでしょう。まだ一度も間違った仮説を立てたという印象がないのです。私の成果は、そうした仮説集であり、私の財産として向うの世界の天帝様にも届けたいものです。最後の審判の叩き台、参考資料として戴く所存です。
前述したお約束
邪悪とはこれを言うという見本の医師との恐怖の日々
A市民病院での三度目の医師となる2022年にはもっと邪悪なことに多剤投与ばかりを身勝手にも推進する医師が続くこととなりました。キャンセルしたペースメーカーの医師にそそのかされたのか、この医師によって私は実験材料にされ死ぬような目に遭いました。
邪悪で私をまるでモルモットのように扱った医師は、通院時の診察を血液検査データーなど見ることもなく、足のふくらはぎの大きさだけで、足がむくんでいると決めつけ、水抜き入院を予約するインチキな藪医者でした。それによって投薬と入院がセットになったようなことになったのです。
投薬の多さに私は飲んだり飲まなかったりの選択をしたことを正直に告げると、医師は効果が乏しかったことを理由に更に薬量を増やしました。
投薬の問題は副作用に出てきました。口がものすごく乾き、味覚が感じられなくなり、通常食べていたものがまるで腐りもののように感じられて、廃棄することを繰り返しました。私はコロナにそのような症状があったかと思い、かといってそれ以外に熱が出たりするわけでもないことで心配になり、それでも薬を飲まねばと清涼飲料水やカロリーメイトを飯代わりにして飲むといったことをしました。当然、水分過多でむくみも出てきます。すると通院時にまたむくみが出たと水抜き入院を下命。それもドブタミンという一色の点滴のための入院で、ただそれだけのためにベッドに縛り付けられるという数日間の暮し。
ついに2023年4月27日、一週間ほどの水抜き入院をして退院するその日、私はマーケットでたくさんの食糧を買い出し、家への帰路で、外界が白く光りだし、明らかに陽の光が眩惑しているとみて、車を走らせながらもまもなく山道に入れば日陰も多いと、そのまま入っていったのです。すると山道で何度かカーブを切っているうち、あるカーブで突然失神してしまったか、ハンドルを切ったはずが切られておらず、直進して右側にあった側溝に前後輪ともはめてしまいました。一瞬の失神でしたが、タイヤホイールを傷つける自損事故となり、地元を通りかかったプロパンガス屋のトラックで牽引してあげてもらい、事なきを得たのですが、退院した直後にそんなことになるような治療とは何なのかと思いました。
それでその次回の診察日にそれを言うといきなり、「そんなもんがなんで車の運転なんかするんじゃ」と怒鳴ったため「何をー、患者はいろんなところから来とるんじゃ。どこから来とるかもわからんと医者などようやっとるな」と言うと黙ってしまい、何事かまた悪だくみ。投薬の中にノベルジンを増やすということをしました。
ところが処方箋薬局が善意か、その薬はウィルソン病の薬との旨、但し書きをつけてくれたため、それを調べると指定難病171号で、もしそうなら薬代はたぶん安くなるはず。
しかし、そうではなく、ノベルジンという亜鉛製剤は味覚障害による亜鉛不足を補うためだった。そんなことせんでも、味覚障害を起こすアゾセミドやサムスカ、フロセミドなどの利尿剤を減らせばいいこと。むくむからと利尿剤を多用して、それで口の渇きや味覚障害が起きている。しかもまた利尿剤のドブタミンの点滴入院まで。どれだけ薬漬けにしようというのか。ぶっ殺してやりたいほどに思った邪悪な医者だということです。
さて、この医師との最後の大事件は私が救急車沙汰を起こしたことに原因します。私ははっきり言って殺されかけました。
119番通報に至る経緯はこうでした。深夜午前0時ごろに私は就寝中、全身が水の中に沈んでいくような冷え冷えとした感じになり、たぶん徐脈が顕著になっていたのかと思われます。このまま逝ってしまうのかという思いになり、大事をとって119番したのです。最初の優良医師もそうした場合は119するようにと言っていたことでしたから。
ところが、いくら経っても救急車はやってこない。山道は複雑で初めてでうまく辿り着いた車はあまりいないのです。いずれいつものことながら道案内を請う電話もあろうから、私は起きて道路端まで出て、懐中電灯を振ろうと思い、それで道路まで出ますと大雨でした。えらいときに呼んでしまったなあと思いながら、車庫の延長の天蓋の下で待つことにしたのです。
いかに天蓋の下とはいえ雨に濡れて横になるわけにはいきません。私はずっと立ち続けていると、やっと電話で道案内してほしいと言ってきました。現在地を聞いて、ではこう来てこう来てと説明すると、では向かいますとのこと。私は立っていて身体は回復して大丈夫だったし、これならキャンセルしたほうが良かったのですが、救急車はすぐそこまで来ていて迷っている。というわけで待ち続けること20分ほどでやってきました。私は懐中電灯を振れば認めてくれて、後ろから寝台に載せられて初めて横になりました。
最初から馬鹿馬鹿しい展開だったため、最後まで馬鹿馬鹿しい結果になったのがこのときということになります。
救急車内では、私の病歴から赤穂市民が本命視されていましたが、私は吉永を指定。しかし、隊員は吉永の救急の当直は内科医、赤穂は常時循環器で受け容れているいと、とても迷っている。ああでもないこうでもないと。
私は仕方なく、どっちでもいいですよと言ったもので、赤穂に。それがケチの付き初めになりました。吉永なら30分もあれば着くのに、赤穂まで1時間以上。私でも赤穂は3、40分で行くのに。そして着いてHCU室に入った時は、午前4時を回っていました。やがて明るくなり眠れもせず、看護師たちががやがややってるが、私への用事でもない。ただうっとおしいだけ。
そればかりか、10日間の入院期間はまるで殺傷を意図したものであるかのようでした。
証拠は10日間、いっさい床に足をつけさせず、ポータブルトイレで大便する時のみ可能になる程度の1日1回。
わざと点滴チューブを短くして血圧測定器具を1時間おきに作動するようセットし、眠りづらくした上で、平坦な枕で呼吸できにくくし、血中酸素濃度を93以下にしようとしたこと。
さらには左手首の動脈に、何を治療しようとしてか、穴をあけて、動脈への圧搾注射をしようとしたらしいこと。その手首の穴を塞ぐ装具を装着したものの紐を左掌で握っておくよう巻物を持たせ、巻物を保持できずに外したら血が吹き出て死ぬよと警告し、そのままにして行きました。それをした医師はあの指示を与えた医師とは別人で看護師と数人でやりました。入院後4日目ぐらいのこと。
ところが6日目の深夜に暗くなった部屋の向うから看護師数人が近づいてくるのに気付き、殺気を感じて看護師が横に立った瞬間に腹を思い切り蹴飛ばすといったんひるんで、また近づいてきたので、点滴の管をまとめて叩きつけてやったところ、諦めて去っていきました。
もし本当に治療するなら深夜の真っ暗の時にするはずもなく、また説明してからが当然でしょうに。明らかに自殺に見せかけて殺そうと謀ったに違いないと思いました。それは毎日毎晩の眠りを妨害するような連続的なベッド縛り付けに精神的に参ってしまうのが当然と思いますから、精神錯乱による事故を狙ったのかと思いました。
満足に眠れていないことが逆に自助したようです。結局、動脈から何かしようとした行為は最後までなく、7日目ぐらいに器具は外されました。後でそのような治療は何を目的としたものかネットで調べても、理由が分かりませんでした。
また7日目には見たことのない看護師がやってきて、私によく頑張りましたね、と声をかけられました。私は、即答して、こんなところで死んでたまるかと、死に物狂いで頑張りました、と言いますと、笑って去って行かれました。彼女は事情が分っていたのでしょう。
10日間連続でHCU室に釘付けでしたから、外との連絡もいっさい取れず、いつ殺されて適当に理由付けされてもおかしくはなかったのですが、反骨根性が命を救ったのかと思います。いつも危急はリベンジの心で乗り切ってきた経験があります。その割りに運の悪いほうにばかり転んでしまうのはなぜでしょう。が、これも仮想現実(映画)ゆえ、どうにかなるものでもないでしょう。
退院前の10日目の面白出来事ですが、点滴担当の新米医師はモニターを眺めながら、「おかしいな、血圧が低すぎる、これでは退院できるかな」などと言いました。私は咄嗟に、「エンペラスを省いてもらったら上がりますよ」と告げると、医師は素直に従ってくれて、その後で、「あっ、血圧が上った」と言って私を解放してくれたのです。
しかしその後は週一回の水抜き点滴のための半日入院が課され、その入院も全日入院で翌日まで回されるところを、半日で終わらせてもらえるようにしたのです。そしてもう最後という時に、もう来なくていいですよと新米医師は言いました。ところが、従姉妹がもう一回入院してほしい、お医者さんにお礼がしたいからとのことで、最後の一回を受けたわけでした。ところが、その足で急ぐようにして宮津への施設入居になってしまったのでした。
お礼は新米医師にはいいかもしれませんが、あいつにはしてほしくないですね。私は今でもぶっ殺してやりたいほどです。あいつは。
まあこれも仮想現実の映画ですから、よほどの成行きでもなければ、そんなことはしません。しかし、やったとしても、所詮映画です。シナリオがこの先どうなってるか、ここからでは皆目分からないというのもこのゲーム、えげつなくもよくできています。
今度は宮津の医療センターに転院しましたが、また前の医師を引き継いで無責任な医師でした。
紹介状システムというのは、前任医師に責任を負わせることができるから、無責任なことも平気でやるようです。ただ前の通りしていればいいのだと。少しも、改善の余地を残してくれないのです。だからデーターを見せて何度も要求と抗議をしました。7月から10月末まで、私の体調はすごく悪化しました。脱水状態が恒常的で、体重激減、血圧低下、脈拍数低下、血中酸素濃度低下を起こし、一度だけ1日水分量を500cc増やしてくれたものの、役に立たず、この施設ではのけ者扱いで、他の老人たちには夏だから脱水が心配だからお茶を飲んでよと継いで回るのに、私だけはダメと差別ばかり受けていました。コップも半人サイズでした。3か月後に食堂で私の前に新入りの90歳の男性が座りましたが、私に同情的でした。お茶や水の支給が私の前でだけ差し止められる明らかな差別に、彼は首を傾げていました。
私は彼がスピルノラクトンという薬で乳房の腫瘤ができて痛みを発症していたとき、私も同じ症状だったため原因を言ってあげると、翌日早速かかりつけ病院に行き、「あれは薬害やった。薬を見直してもらった」と教えてくれました。彼は私と同様にここが住む環境としていいかどうか調べていたようで、いい息子さんが早めに引き取っていかれました。最後に知ったのは息子さんは現市長で、目の前にいたのはお父さんだったということです。父子そっくりで背が高い。発展性のある親子さんでした。
浴場では私はひからびた身体で入湯して、彼とはよく話しました。しかし、皮膚炎が起きて水ぶくれが潰れたりしたもので、感染源になるまいとシャワーだけにして、2024年からは入湯をやめています。が、私もここで感染したのかも知れないのは、先住の老人の多くが同じ症状だったことです。まあ、いずれ共同浴場ゆえ、汚物が漂っていても網で掬い表面だけきれいに見せていたこと(目撃していました)もあるでしょう。
そして2023年11月、ついに頭がふらついて脳梗塞かと思われる症状が起きて、部屋の中で倒れ、起き上がるのに足がすべって起き上がれず、机にすがってやっと立て直す始末となり、体力の衰えを感じました。それはそうでしょう。7月半ばに体重62Kgあったものが脱水と栄養不足で10月下旬には50Kgぎりぎりにまで落ち、血圧は100以上あったものが平均90以下になり、脈拍は60以上あったものが50台,40台、時には35にも落ちました。血中酸素濃度も80台に落ちること頻繁。血液検査データーのヘモグロビン量も標準以下。どれをとっても脳梗塞は免れないこととなっておりました。しかし、医師にそのまとめたデーターを見せてもほとんど一瞥もせず。頑固に自分の医療を継続しようとしました。
腹はぺちゃんこ、腸を腸間膜が支えられなくなり、横臥すると下にした腹が激痛してくる。私は脱水症状ではないかと言えば、脱水はない。なぜそうわかるのか問えば、血液検査データーでわかるという。横臥したとき痛むが、ヘルニアが横腹でも起きるかと医師に問えば、ヘルニアは下にしか起きない、無知な患者が下手な推測するなといったふうな見下し方をする若僧医師。私が苦しんでいることを何の理解もしようとしない態度は実に腹立たしいものでした。
しかし、赤穂で1日1500mlという水分制限を老人施設のほうで勝手に解釈して、食事で500ml使っているからと、1000mlにしていたことを知り、それを医師に告げたため、実質1500mlにようやくしてくれました。この危険な出来事には施設の身勝手解釈も関わっていたのです。誰がこんなことを身勝手にも決める権利があるのか。栄養士なのか調理師なのか、いったい誰だ。
こんな施設に命を預けていることがいかに危険か知ったようなことでした。
足がふらつき背中を打ったとき、看護師が初めてやってきて、寄りかかった窓に背中をぶつけたこと、痛みはないことを告げると、用心してくださいと言っただけであとは知らぬ顔。何者が看護師しているのか、他の老人には手厚くしているのに、私だけはなぜかのけ者でした。理由は? 私が猿に似ていたのかも知れません。獣医はいなかったのです。
その後、しばらく足がふらついて通路を手すりを頼りに歩きました。しかし、医師には看護師から何も告げられていないのか、素知らぬことでした。
血圧低下、脱水、その他は脳梗塞を誘発するとされています。それがわからない看護師や医師が大手を振っている。宮津はダメ。私には合わない土地柄です。
医師からは脱水はないと言われたので、なぜそれが分かったのですかと問うと、血液検査データーで分かるとのこと。私は未だにどの項目が脱水の指標なのかいくら調べても分からないでいます。インチキな医者です。そんな項目はないのです。無知だと端からかかっているから、どんなインチキでもやるという見本のような医者です。
その病院から転院し、ようやく真面目に見てくれる医師と巡り合いました。その医師はたぶんあの90歳の老人の薬の見直しをしてくれた医師のようでした。私もその該当薬を除いてもらいました。また前医師が転院直前に放った毒矢スタチン系薬の強化版ロスーゼットの見直しもしてくれました。ありがたかったです。
相前後しますが、2023年10月末、体重50キロを割る寸前でまたもやリベンジ精神を揮い起こし、こんなところで死ねるかと、洗面所の危険だからと禁止された水を飲みました。毎日1リットル以上。すると回復し出しました。同時に、血栓症のサプリなどもネットで探して飲むようにしました。その他、サプリの数は増えて、今や20種類ほどあります。ぜんぶ、ネットショップから購入しました。施設はそのたびに怪訝な顔。サプリと告げてみなパスしてもらいました。
そのような不調な時期にもかかわらず、施設は冷淡でした。ワーカーはよろめき歩く私に、幼児を迎えるような仕草までして馬鹿にしましたし、そのお蔭で私もリベンジ精神を揮い起こして立ち直ることができたのです。何が幸いするかわかりません。
洗面所の水は危険な水と聞いていて、そんな水を老人なら飲みかねないのに、どういう種類の水か、二次処理水なのかと伝えると調べるとのこと。結局は水道水ながら、煮沸しなくては危険という意味だったらしく、私はケトルを購入して毎日たくさんの水をお茶にして飲みました。
確かに多く飲み過ぎると、3月から本格化した日々の散歩の歩行時に心臓への負担を感じるので、加減するようにしています。
心臓は肥大して、心筋壊死で半分が機能していないと言われるわけですが、心機能を高める努力をしなければ、機能は衰える一方。特に75歳に差し掛かる今どきは、少し運動を怠れば、身体が固くなることを実感します。よって、全身の調子と見合いながら、自己健康管理を自己ベースで行なっています。他人は絶対にしてくれませんから。自分は自分で責任を持つ。それが私の主義であり、成り行き次第で何が起きようとも、すべて映画と見做して、面白く堪能していくという心持ちでやって行くことにしています。
そうでなくとも、心臓に負担のかかる出来事は避けたいのですが、2024年2月になって親族が横領や背任の加害行為をしていると分かり、仕方なくもその方面への対処もしなくてはならなくなりました。わざと心労を与えて殺そうとしているのでしょうか。とんでもないことを平気でしています。私は頼るべき妹を半ばなくし、医師、施設、親族の悪意の四面楚歌の中で生きています。仕方ないですよ。私はこの見たくもない映画の中では激流に呑まれる木の葉のひとつにすぎないのですから。
施設の不整備はいくつも見つかりました。2023年7月以後2024年初頭までエアコンの不調か、湿度20%~30%がいつもとなり、喉の具合が悪くなり、のど飴を食べ続けました。またエアコンに関して私は無知で、ほとんどのエアコンは外気との換気が行えていないことを知りました。この施設のエアコンは2010年製三菱霧ヶ峰で、信頼のブランド、しかし換気していない機種であり、ほとんどがそうだったとは。それを知る前年からすでに湿度がおかしいので窓を開けたりをしていたのですが、ワーカー監視員がやって来て、部屋が冷えないし、全館が冷えなくなるから閉めてくれと強制。施設に酸欠になるから部屋の定期的換気が必要ではないのかと陳情して、強制が緩和されたようなことでした。これで湿度は外気よりやや低めの60%~80%ほどとなりました。預かっている老人たちのこともあるのですから、施設職員の認識に問題ないのかと思います。
そしてついに、エアコンの具合がおかしくなり、入居後1年経って7月、エアコンのフィルターの掃除と、さらにローターの交換がなされました。施設ができて、エアコン設置後、初めてだったのではなかったか。
老人ホーム施設は終の住処なのか
私が入居しているのは平均年齢91歳という施設。私はそれからすれば息子の世代と言っていいでしょう。男性陣は無口で、食堂のテーブルにまとまっていても、会話をほとんどしない。しかし、会話する人はひとりだけいて、その人はまた自説ばかり論じて話題に汎用性がない。そしてどこか話は途方もない方向に行ってしまう。老人性痴呆という感じがありありなのです。いっぽう女性陣は話題の共通性があって、話の分かる人たちだけでまとまったりしています。しかし、私などが加わろうとすると決められたテーブルに座るようワーカーの要請があってコミも取り難く、私などは話相手の不足により、生活の面白味を感じたことはありません。テレビは食堂に大きなのがあるのですが、少しも面白くない。部屋に戻ってインターネットのほうがいくらかましといったことで、部屋ではテレビがあっても見たりせずネットのほうに執心します。
このまま死んでいくにはとても好適な環境と言っていいでしょう。それゆえか、死者と新参の入れ替えはけっこうあって、隣室などは私が入居したあと、3か月ほどいて、旅立って行った男性がいます。入所当初から味覚障害で、施設が出す料理のいずれにも味が分からないとのことで箸をつけられず、合成栄養食のメイバランスとムースを毎食にして、食後の薬を飲むということを繰り返し、点滴で栄養補給などもして、いつしか亡くなってしまったのでした。
私は彼の病状が私の前に既往したものと同じだったので、施設の職員には解決法を言い伝えたのですが、ダメ。往診の彼の受け持ちの医師がいたので、亜鉛不足なので亜鉛製剤を飲ませれば治ると報せたのですが、これも実現しなかったのでしょう。一度として施設のメシを口にすることなく逝ってしまいました。
メイバランスはフルーツ味が何種類かありましたが、みな無果汁。化学薬品であり、そうである限り、肝腎の機能に負担をかけ不具合をきたすことでしょう。味覚障害の原因は彼の常用していた利尿剤なのですが、医師は絶対にそれを止めることなく、対症療法としての人工栄養食でやってしまったのです。良医ならば即対応できたものも、藪医ではどうにもなりません。私に医師免許があれば即解決法を与えたはず。9割が藪医の世の中に、良医を見つけることは至難の業。
こんなふうに、医原病により亡くなることが当たり前のようになった医療現場なのです。病院そして老人施設そして焼き場そしてお寺そしてお墓のラインに乗せられて老人はあの世へと旅立つのです。地上のそのどこかに、孤独な老人の魂を救うことのできる場は、あるように思いますか。
人を患者と見做し、モノと見做す風潮は2020年以後のコロナワクチン施策によって加速されたように思います。このワクチンは治験をこれから行うという段階で人間を実験動物として扱ったのです。コロナ蔓延を理由にその症状が激烈で恐ろしいという印象付けを行って、人々の恐怖心を利用して、無料接種をダシにして、本人の同意もうやむやなままに接種したのです。
治験とは動物実験。小型動物ではすぐに死んで調べられないから大型の人間にしたのですね。多少は長生きするでしょうが、血中に異物が入れられるのですから、平均寿命が果たして得られるかどうかは疑問です。
そして、接種応募者(治験者)にこそ治験代が支払われるべきなのに、接種する側の病院や医師や看護師に製薬会社から多額が支払われたのです。これが医療倫理の崩壊を招く原因になっていることは紛れもありません。病院と医者は暴利をむさぼれるために、おカネで人の命を粗末に扱うことを覚えたのです。接種が下火になってからは彼らは謝礼を受け取らないという医療倫理を破ってでも、謝礼に応じて患者への薬の匙加減をするようになったようです。
私ももしかすると、そのようなおカネで命を奪われるところだったかも知れないのです。とにかく赤穂では不審な治療が施されようとしました。
赤穂では2021年から2年間に渡って、脳神経外科の医師が医療過誤で数人の患者を死なせたり廃人にしたことが発覚して職場を追われたとのことです。それでも刑事罰にはならず、別の病院で働いているとの噂です。これは医療過誤で済まされているからこうですが、接種開始後のことゆえ、謝礼の有無がなかったとは言い切れないでしょう。
しかし、ALS患者が謝礼を出して嘱託殺人を依頼されて実行した医師は懲役8年となっています。嘱託殺人だけは依頼主、受託者の双方が黙っていればいいことなので、なかなか表に出てこないのです。むろん発覚すれば双方ともが殺人罪に問われること。それゆえ死んでも口を割らないでしょう。医療訴訟で不審が見つかってこそのことになるのが通例でしょう。
しかし、厚労省や医師会はこうした事犯を表に出さないように図るはずです。マスコミ対策はワクチン宣伝の頃からの付き合いによるでしょうし、ツイッターにも過誤情報を調べさせてバンすることをしているようです。とにかく、医療の高邁な精神を覆すべく図っているのがこうした非人道的機関であるわけです。
武漢で劇症症状による悶絶死の映像と共に武漢肺炎(コロナ)の存在を示すゲノムが武漢の研究所によって発表され、瞬く間の変位株発生と伝搬路までが示されて、その猛威が伝えられたのですが、ところがそれが不審で、コンピューターによりゲノムが創作されたことが発覚。その当初は武漢ゲノムデーターをどの国の研究機関も持っていたのですが、一斉に取り下げられました。なんと、日本の国立感染研究所などはそのゲノムを追認できたとまで言っていたのです。ドヂな話です。追認同意を与えればコロナの実在説は強固になったのですがね。共倒れになっています。
そして厚労省などは、コロナの証拠がないのになぜワクチンを打つのかの答えとして、「コロナが存在するものと仮定して打ってもらっています」というお粗末ぶり。どんな作為、詐欺を働いてでも打つことをしたかったようですが、どうやら製薬会社との不利益な契約が結ばれていたようです。人命を被る損失よりも大切にできなかったのです。
信用できなくなった政府機関のトップが厚労省となったことは言うまでもありません。人の健康に直結する機関にあるまじきことです。
また厚労省は製薬会社からスパイク蛋白の有害性を教えられていながら、世間に公開していなかったのです。海外の専門家機関から依頼されてそれを出して、驚かれてしまったわけでした。専門家はこんなことなら接種を推進しなかったのにとまで言われています。つまり製薬会社も売れなくなるようなデーターは出したくなく、秘密厳守を厚労省などにさせていたようです。
カネ儲けのための結託が有り得たのです。
しかし、製薬会社は日本を最大最良、将来性ある商圏と見做したか、ワクチンもプラセボや薄い濃度のものを多用して有害事象発生率を低くし、庶民に被害の少なさとともに未だ把握されていないワクチンの効能ばかり宣伝して安心を植え付け、8割の人口に数回平均の接種を行ないました。
6回打っても、問題事象の発生のない人も多々います。
そしてついに、彼らの最終段階の仕上げでしょうか、安心し切った日本に、日本の有名製菓を使って背後から海外資本で操り、レプリコンワクチンを作らせて日本人をターゲットにして治験をしようとしているのです。治験ですから、結果が出る期間は2年ほどでしょう。それまでに生存率はいかほどになるものか。その後で、効果はなかったとか、死亡率は90%だとかの結果が出ても、治験者は文句ひとつ言えないでしょう。応募者の自己責任となる。
そしてレプリコンで懸念される増殖型mRNAの伝染があった場合、応募者が新しい発生源になって広がっていくのです。それは末広がりといって、この大津波は日本人を大域的に襲うこととなるのです。
世界はそのような事態になった日本人の入国を断るでしょう。だから、被災していない人は山里に隠れ住みながら自給自足して難局を乗り越えることとなります。3年間耐えて、人口が激減してなお助かった人々は、ゾンビ症状のない正常な人として存続が許されることでしょう。そこから産めよ増やせよとなっていくのです。
非常に怖い話ですが、それは最悪のシナリオとしておき、今この時点があと1か月ほどでレプリコン接種の局面となるだけに、私はここに日本人に贈る未来シナリオとしておきたく思います。
医療ほど詐欺的で怖いものはない。化学薬品に代表されるようにそれは毒物。効能を得るために何かもっと大事なものを損傷しなければならない。そのような関係にあるのが医療であろうと思っております。