見出し画像

SNS時代のインフルエンサー成功物語


序章

現代は、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が人々の情報発信と交流に欠かせない時代です。YouTubeやInstagram、TikTok、X(旧Twitter)、Facebook、LinkedInなどのプラットフォーム上では、日々無数のコンテンツが生み出され、拡散されています。こうした中で、一個人でありながら莫大なフォロワーを獲得し、企業やメディアに匹敵する影響力を持つ人々が登場しました。彼らは「インフルエンサー」と呼ばれ、現代の新たなスターとして注目を集めています。

インフルエンサーと一口に言っても、そのジャンルや規模は様々です。美容やファッション、フィットネス、テクノロジー、ビジネス、エンタメ、教育など、あらゆる分野で専門性や独自の魅力を発揮するインフルエンサーが存在します。またフォロワー数の規模によって、「ナノインフルエンサー」(フォロワー数数千~1万人程度)、「マイクロインフルエンサー」(数万人規模)、「マクロインフルエンサー」(数十万規模)、「メガインフルエンサー」(100万人以上)といった分類もあります。フォロワー数はそれぞれ異なっても、自分ならではのコンテンツでオーディエンスの心を掴み、強い影響力を発揮している点では共通しています。

しかし、いかにしてゼロからそのような大勢のフォロワーを獲得し、成功を掴むに至ったのでしょうか。そこには地道な努力や創意工夫、試行錯誤の積み重ねがあり、時には挫折や困難も存在します。本レポートでは、世界中の著名なインフルエンサーたちの成功ストーリーを徹底的に調査し、その成長過程を描写します。特に、日本のインフルエンサーの事例を重視しつつ、海外の様々な言語圏・地域のケースも幅広く取り上げます。

具体的には、各インフルエンサーがどのように無名の状態からフォロワーを増やし、影響力を確立していったのか、その道のりを詳しく追います。可能な限りフォロワー数の推移や登録者数の増加ペースなどの定量データを示し、いつどのような転機が訪れたのかを明らかにします。また、本人がSNS上やインタビュー等で語った「苦労話」や「想い」、「戦略」に関する発信内容を引用・整理し、数字だけでは見えないリアルなドラマも浮き彫りにします。感情的なエピソードと数値データの両面から描くことで、読者が彼らの成長過程を具体的にイメージできるよう心がけています。

それでは早速、プラットフォーム別にインフルエンサーたちの成功事例を見ていきましょう。YouTube、Instagram、TikTok、X(Twitter)、Facebook、LinkedInといった主要SNSごとに、象徴的な成功ストーリーを紹介します。それぞれの物語から、インフルエンサーとして成功する上で何が鍵となったのかを探っていきます。

YouTube編

MrBeast(ミスタービースト):大胆な企画と再投資で1億人を超える登録者へ

世界最大級のYouTuberの一人であるMrBeast(本名:ジミー・ドナルドソン)は、十代から試行錯誤を重ねて成功を掴んだ人物です。彼はわずか13歳だった2012年に初めてYouTube動画を投稿しました。当初はゲーム実況や他の人気動画の模倣など、視聴者の関心を引きそうなコンテンツを手探りで制作しましたが、数年間は大きな注目を集めることができませんでした。

転機が訪れたのは2017年のことです。大学に進学したものの「YouTube以外のことはしたくない」と2週間で中退し、YouTube一本に専念する道を選びました。その直後、彼は自身の名を一躍有名にする動画を公開します。それはひたすら「1から10万まで数を数え続ける」というシンプルながら常軌を逸した挑戦でした。約40時間かけて数字を数え続けたこの動画は「バカバカしいがつい見てしまう」とSNS上で拡散され、公開後わずか数日で数百万回再生の大バズを記録しました。この超長時間企画の成功により、2017年11月にはチャンネル登録者数が100万人を突破します。その後も「巨大な冗談に本気で挑む」スタイルの動画を次々と投入し、視聴回数と登録者数を飛躍的に伸ばしていきました。

  • 2012年2月:13歳でYouTube動画を初投稿

  • 2016年:チャンネル登録者約3万人(約4年で達成)

  • 2017年11月:挑戦動画がバズり登録者100万人突破

  • 2022年7月:登録者1億人を達成

MrBeastの特徴は、得た収益をさらに過激で魅力的な企画に再投資していく戦略にあります。彼は「自分はまだ裕福ではない。稼いだお金はすべて次の動画制作に再投資しているだけだ」と語っており、莫大な収益を惜しみなく企画費に充てました。例えば、「100万円を最後まで手放さなかった人に賞金100万円」「無人島に100人を集めて最後の一人になるまでサバイバルゲーム」といった、常識破りの高額賞金や大規模な挑戦企画を連発しました。その結果、動画の再生数はうなぎ登りに増え続け、登録者数も2019年に2000万人、2021年には5000万人を超えます。2022年7月、ついにメインチャンネルの登録者数が1億人を突破しました。

ゼロからスタートしたMrBeastの成功要因としては、若い頃からYouTubeのアルゴリズムを研究し、何が視聴者の興味を引くかを考え抜いたこと、企画への桁外れの労力投入と継続、そして得た利益を大胆に次のコンテンツへ再投資することで動画のクオリティと話題性を雪だるま式に向上させていったことが挙げられます。本人も「他の何を犠牲にしてもYouTubeに人生を捧げる」と覚悟を決め、実際に生活のすべてをコンテンツ作りに注いできました。その結果、生まれた動画は視聴者を驚かせ続け、彼のチャンネルは10年間で一人の少年の趣味から世界最大級のYouTube帝国へと成長したのです。

ヒカキン:地道な継続と研究で日本トップYouTuberに

日本を代表するYouTuberヒカキン(HIKAKIN、本名:開發光)は、「継続は力なり」を体現した成功者です。2009年頃、スーパーの店員として働きながら趣味で始めたYouTube投稿は、当初はごく個人的な日記動画の延長でした。猫と遊ぶ様子や川に入ってはしゃぐ動画、食品レビューなど、初期の投稿には現在のような凝った編集やエンタメ性はなく、本人も「ビデオブログとして記録用に作っていた」と振り返っています。しかし、その舞台裏では、人知れず試行錯誤と努力が積み重ねられていました。

ヒカキンの最初の転機は2010年、彼が21歳の時でした。趣味でアップロードした「スーパーマリオのテーマ曲をヒューマンビートボックスで演奏する動画」が突如話題を呼び、一週間で100万再生を突破するプチ・バズを経験します。これをきっかけにYouTubeから公式パートナープログラムへの招待を受け、世界規模の動画コンテストで優勝するなど、徐々に「インターネット上の有名人」としての道が開けました。ただし、当時の彼はまだ東京のスーパーマーケットで働く普通の青年です。売り場で客に怒鳴られ、上司に嫌味を言われる日々の中で、「それでも僕にはYouTubeがある」と自分を鼓舞し、仕事と動画投稿の二足の草鞋を履き続けたといいます。

2011年、YouTuberとして本格的に身を立てる決意を固めます。YouTube主催のイベントで世界的ビューティーYouTuberのミシェル・ファンと出会い刺激を受けた彼は、動画投稿に本腰を入れ始めました。同年、賞金20万ドルの国際的なクリエイターコンテスト「YouTube NextUp 2011」にチャレンジします。当時、日本で最も登録者数が多いYouTuberだったヒカキンは「これで優勝して会社を辞め、YouTubeに専念できる」と自信満々で臨みましたが、結果は痛恨の落選でした。大きな挫折を味わった彼は、動画制作の先達にアドバイスを求め、基礎から編集技術・タイトル付け・サムネイルの工夫まで徹底的に学び直します。そして再び動画投稿に打ち込み始めると、わずか3か月後にはYouTubeからの収入が会社員の給料を上回るまでになりました。こうして2012年、勤めていたスーパーを退職し、晴れてプロのYouTuberとして独立することになります。

独立後のヒカキンの活躍は目覚ましいものでした。2013年5月にはアメリカの大物ロックバンド「エアロスミス」との共演を果たし、国内外のイベントやメディア出演の機会も増えました。同年6月には日本初のYouTuber事務所「UUUM」を共同設立し、自ら最高顧問に就任するなど、業界全体の基盤作りにも携わりました。一方、自身のYouTubeチャンネルも順調に成長を続け、メインチャンネル「HikakinTV」の登録者数は2012年10月に10万人、2014年1月に100万人、そして2021年9月には日本人個人として初めてとなる1,000万人を突破しました。

  • 2009年:趣味で動画投稿開始

  • 2010年7月:マリオのビートボックス動画が1週間で100万再生を記録

  • 2012年10月:メインチャンネル登録者数10万人突破

  • 2014年1月:登録者数100万人突破

  • 2021年9月:登録者数1,000万人突破(日本人個人として初)

ヒカキンの成功の秘訣は、一にも継続、二にも継続です。彼自身、「トップYouTuberになるにはどうしたらいいか」と問われた際に「僕がやったことと言えば、とにかく長く続けただけ」と語っています。実際、ヒカキンは無名時代から少なくとも3年間は地道に投稿を続け、少しずつファン層を広げていきました。「ある程度の知名度が定着するまで最低でも3年はかかる」という実感を持っていたといい、一過性のバズよりも継続による着実な成長を重視していたのです。また、挫折から学ぶ姿勢も重要でした。コンテスト敗退後に先駆者の知恵を吸収し、自ら国内外の人気動画を研究してサムネイルや編集を工夫するようになったことで、動画のクオリティが飛躍的に向上しました。「継続して努力できる才能」と称される粘り強さと探究心で、自身のスタイルを磨き上げ、今日の揺るぎない地位を築いたのです。

Yuya(ユーヤ):16歳で始めたメイク動画がスペイン語圏No.1へ

スペイン語圏で最も成功した女性YouTuberの一人、ユーヤ(Yuya、本名:マリアンド・カストレジョン・カスタネダ)は、16歳という若さで動画投稿を始め、着実にファンを増やして世界的な影響力を手にした人物です。彼女は2009年、メキシコで開催されたYouTubeのメイクコンテストに優勝したことをきっかけに、自身のYouTubeチャンネル「lady16makeup」を開設しました。当時高校生だったユーヤは、学校生活の傍らメイクのコツや美容法を紹介する動画を投稿し始めます。スペイン語で親しみやすく語られるティーンエイジャーの等身大の美容アドバイス動画は徐々に人気を呼び、彼女のチャンネル登録者数は右肩上がりに増えていきました。

2014年には登録者10万人を突破し、翌2015年には100万人、2016年には早くも1000万人を超えるなど、ユーヤの影響力は爆発的に拡大しました。スペイン語圏のみならず世界中の若い女性が彼女の動画に親しみ、「自分もユーヤみたいになりたい」と憧れる存在となったのです。ユーヤの動画スタイルは、専門的な美容知識を押し付けるというより、視聴者の親友のようにフランクに話しかける雰囲気が特徴でした。そのため視聴者との距離が近く、コメント欄でも活発な交流が生まれ、強いコミュニティが形成されていきました。

YouTube上で絶大な人気を築いたユーヤは、その影響力を活かして活躍の場を広げました。2015年には最初の著書『Yuyaの秘密』を出版しベストセラーとなり、翌2016年には続編も刊行しました。また2017年には自身のコスメブランドを立ち上げ、アイシャドウやリップなどのプロデュース商品を発売すると、彼女の美意識に共感するファンたちに飛ぶように売れました。今やユーヤは「ビューティー系インフルエンサー」の枠を超え、起業家・作家としても成功を収めています。2023年時点で彼女のYouTubeチャンネル登録者数は約2500万人、動画総再生回数は25億回以上に達し、InstagramやTwitterなど他のSNSでも何百万人ものフォロワーを抱えています。

ユーヤの成功は、デジタル時代において言語や国境を超えて活躍するインフルエンサーの代表例と言えます。スペイン語という英語ほど世界共通ではない言語であっても、コンテンツの魅力と本人のカリスマ性次第で世界中にファンを獲得できることを示しました。16歳の少女が始めた小さなメイク動画が、10年以上の時を経て巨大なブランドとコミュニティに成長したユーヤの物語は、情熱と創意工夫があればどのような背景からでもインフルエンサーとして成功できる可能性を物語っています。

Instagram編

キアラ・フェラーニ:ファッションブログから世界的インフルエンサーへ

イタリア出身のキアラ・フェラーニ(Chiara Ferragni)は、ファッション分野で世界的な影響力を持つインフルエンサーであり、インスタグラムを活用して巨大なビジネスを築いたパイオニアです。大学で法律を学んでいた彼女は、2009年に趣味でファッションブログ「The Blonde Salad(ブロンドサラダ)」を開設しました。当初は「気が向いた時に記事を書く」という程度のマイペースな運営でしたが、ちょうどこの頃から世界的にファッションブロガーが脚光を浴び始め、フェラーニのブログにも有名ブランドから協賛や広告の依頼が舞い込むようになりました。20代前半の彼女は次第に「ウェブ上のファッションアイコン」として頭角を現し、GUESSやグッチといったトップブランドのプロモーションを手掛けるまでになります。そしてその頃から、「いつか自分のファッションブランドを持ちたい」という起業家としての夢を抱くようになりました。

フェラーニが本格的にインスタグラムで影響力を拡大させたのは2010年代前半です。ブログの人気と並行してInstagramにもおしゃれな私生活やコーディネート写真を投稿すると、たちまち多くのフォロワーを獲得しました。恋人で人気ラッパーのフェデズと世界各地を旅する写真、美しくスタイリッシュな日常の一コマ、華やかなファッションショーの舞台裏——彼女の投稿は「こんな生活に憧れる」と人々を魅了し、ファンは日々増えていきました。2017年頃にはInstagramフォロワー数が1000万人を突破し、ファッション領域で世界トップクラスのインフルエンサーとして知られる存在となりました(ちなみに彼女は2018年に結婚し、現在は一児の母となっていますが、その後も人気は衰えていません)。

インフルエンサーとして成功を収めたフェラーニは、自身のブランド展開にも乗り出しました。2013年には念願だったシューズブランドを立ち上げ、可愛らしいウインクのロゴが特徴的な靴を発売すると、若者を中心にヒットしました。以降、アパレルやアクセサリーなど商品ラインナップを拡充し、ミラノと上海に直営の旗艦店をオープンさせるまでに成長させています。彼女の事業は年々拡大し、2015年にはハーバード・ビジネス・スクールが彼女をケーススタディとして取り上げ、「The Blonde Saladは年間900万ドル(約10億円)以上の売上を生み出している」と試算したほどです。フェラーニ本人も「人々はかつてファッションの情報を雑誌で得ていたが、今はその役割をインフルエンサーたちが担っている」と語っており、まさに自らがその潮流を体現しています。

現在、キアラ・フェラーニのInstagramフォロワー数は約2900万人(2025年時点)に達し、その発信はファッション業界のみならず社会現象として注目されています。彼女の成功は、ブログからスタートしてSNSで飛躍し、個人のブランド帝国を築いた先駆的な例として語られます。好きなこと(ファッション)を追求して発信し続け、時代の波に乗ってビジネスへ昇華させたストーリーは、多くの若い世代に「好きなことで生きていく」道の可能性を示しました。

ケイラ・イチネス:コミュニティを築いたフィットネス女王

オーストラリア出身のケイラ・イチネス(Kayla Itsines)は、Instagramを活用して世界中の女性にフィットネスブームを巻き起こしたフィットネスインフルエンサーです。彼女はもともと地元の女性向けジムで働くパーソナルトレーナーでしたが、2012年頃から自身のトレーニング指導において「体型を変えたい」という女性クライアントたちのビフォー・アフター写真を記録するようになります。その写真を整理する手段として、当時新興だったInstagramの活用を12歳のいとこに勧められ、投稿を始めました。食事管理やエクササイズで劇的に引き締まった女性たちの変身写真は見る者に衝撃を与え、ケイラのアカウントは開設から数か月で数千人のフォロワーを獲得。次々に「私も指導してほしい」「具体的な方法を教えて」といった問い合わせが舞い込むようになりました。

フォロワーからの熱心な要望を受け、ケイラはトレーニングメニューや食事プランをまとめた「ビキニボディ・ガイド(Bikini Body Guide)」という電子書籍を作成し、2014年にオンラインで販売を開始しました。本格的なマーケティングをしなくとも、Instagram上で彼女の投稿を見ていた世界中の女性たちがこぞって購入し、自らトレーニングに励み始めました。彼女のハッシュタグ「#BBG」を付けて経過を報告する投稿がInstagram上に溢れ、同じ目標を持つ女性同士がお互いを励まし合う巨大なオンラインコミュニティが自然発生的に形成されました。これによりケイラのフォロワーはさらに増加し、2015年にはInstagramフォロワー数が数百万規模に達します。その勢いはとどまるところを知らず、2016年10月時点で彼女のInstagramは約1250万人、Facebookページも約800万人のフォロワーを抱えるまでになりました。この年、米タイム誌はケイラを「インターネット上で最も影響力のある30人」の一人に選出し、世界が彼女の名を知ることとなります。

ケイラの戦略は、フォロワー「自身」の成功体験にスポットライトを当てた点にあります。彼女のSNSでは、彼女自身の派手な生活や容姿を前面に出すのではなく、むしろ彼女が指導した一般の女性たちの劇的な変化を次々と紹介しました。これによりフォロワーは自己投影しやすく、「自分にもできるかもしれない」と希望を抱かせるコンテンツとなっていました。ケイラ自身、「自分ではなくフォロワーたちの変化こそが主役」と述べ、あえて自身の写真を控えめにしてコミュニティの成果を強調する投稿方針を取っていたほどです。こうしたフォロワー視点に立った発信が共感を呼び、高いエンゲージメント(投稿に対する反応率)を生み出しました。

その後、ケイラは2015年にスマートフォン向けのトレーニング支援アプリ「Sweat」をリリースし、これも大成功を収めました。アプリは世界中のフィットネス部門でトップダウンロードとなり、月間数百万ドル規模の売上を上げるヒット作となりました。2021年には自身の会社を巨額で売却し、若くして経済的な成功も手にしています。しかし彼女にとって何より嬉しいのは、「運動を通じて女性たちが自信をつけ、健康的になる手助けができること」だといいます。地道な指導とコミュニティ作りから出発したケイラ・イチネスは、SNS時代における社会貢献型インフルエンサーのロールモデルとなりました。

渡辺直美:自己表現で9百万人の心を掴んだコメディエンヌ

日本の渡辺直美は、Instagramで爆発的人気を誇るコメディエンヌ兼ファッションインフルエンサーです。彼女はもともとテレビで活躍するお笑い芸人でしたが、2014年頃からInstagramにユニークな写真や動画を投稿し始めました。奇抜でカラフルなファッションに身を包み、時に自身を巨大な巻き寿司に見立てたトリックアート写真など、クリエイティビティあふれる投稿が若者を中心に評判を呼びました。また、海外セレブのレディー・ガガやビヨンセのものまねでブレイクしていたこともあり、そのパワフルでポジティブなキャラクターがInstagram世代にピタリとはまったのです。

渡辺直美のInstagramフォロワー数は2018年初頭で約760万人に達し、日本人として当時最多のフォロワー数を誇りました。以降も増え続け、2023年現在では約950万人を超えています。彼女の投稿は「おもしろ可愛い」と評され、笑いを交えながらもファッションの参考になると好評です。体型に捉われない大胆なファッションコーディネートや、ぽっちゃり体型を活かしたキュートなセルフプロデュースは、日本の女性たちの固定観念を打ち破り、「自分らしくおしゃれを楽しんでいいんだ」と多くの人に勇気を与えました。2014年に立ち上げた自身のブランド「PUNYUS(プニュズ)」は、多様な体型向けのカラフルな洋服を展開し大成功を収めています。これも、彼女の発信する「ボディポジティブ(自分の体型を肯定する)」なメッセージに共鳴するファンが支えた結果と言えるでしょう。

国民的人気者となった渡辺ですが、その影響力は日本国内に留まりません。2018年には米GAP社のグローバルキャンペーンモデルに日本人で初めて抜擢され、海外メディアでも「日本のステレオタイプを打ち破る女性」として紹介されました。2021年からは活動拠点をニューヨークにも広げ、世界に向けて活躍しています。渡辺直美の成功は、自身の個性や持ち味をSNS上で存分に表現し、それを武器に国境を越えた支持を得たケースです。「お笑い芸人だから」「女性だから」「ふくよかな体型だから」といった既成の枠に捉われず、自分らしさを発信し続けることで道を切り拓いた彼女の姿は、現代において多様性と自己表現の大切さを示す存在となっています。

TikTok編

チャーリー・ダメリオ:一年で1億人を魅了したティーンエイジャー

チャーリー・ダメリオ(Charli D'Amelio)は、TikTok史上最も急成長を遂げたインフルエンサーの一人であり、アメリカ・コネチカット州出身の普通の高校生が一躍世界的なスターとなった例です。ダンスが得意だったチャーリーは、2019年3月に当時流行し始めたTikTokへの投稿を開始しました。最初は友人と流行の振り付けを踊るような動画でしたが、同年秋、彼女が投稿したあるダンス動画が「かわいい」「真似したい」と爆発的に拡散されます。それは「Renegade(レネゲード)」と呼ばれる複雑なダンスを見事に踊った動画で、彼女の知名度は瞬く間に上昇しました。その後の5か月間でフォロワー数は500万人を突破し、10代の間で「チャーリーに憧れてTikTokを始めた」という声が続出する社会現象となりました。

チャーリーのTikTokフォロワー数は2020年に入るとさらに凄まじい勢いで増えていきます。彼女の親しみやすい笑顔とキレのあるダンスはパンデミック下で家にこもりがちだった世界中の若者を魅了し、2020年夏までに5000万人を突破。そして同年11月、ついにフォロワー1億人の大台を超え、当時16歳にして史上初の「TikTokフォロワー1億人」の快挙を成し遂げました。無名の高校生がわずか1年余りで世界中に1億人のファンを持つまでになったことは大きなニュースとなり、チャーリーはテレビ番組や広告にも引っ張りだこの存在となりました。彼女は2020年のスーパーボウルCMに出演し、人気トーク番組『ジミー・ファロン・ショー』に招かれて得意のダンスを披露するなど、TikTokを飛び出してメインストリームのメディアでも活躍するようになりました。

  • 2019年3月:TikTok投稿開始

  • 2019年11月:フォロワー500万人を突破

  • 2020年6月:フォロワー5000万人を突破(史上初)

  • 2020年11月:フォロワー1億人を突破(史上初)

しかし、急激な成功は大きなプレッシャーも伴いました。チャーリーは有名になるにつれSNS上で心ない中傷や批判にも晒されるようになり、一時はメンタルヘルスの問題に直面したことを明かしています。「自分でもなぜこんなに注目されているのかわからない」と彼女は戸惑いを口にし、プロフィール欄に「私だってこの盛り上がりが理解できていないから安心して」と書いたほどでした。それでも彼女は家族やファンの支えで活動を続け、炎上してしまった際には素直に謝罪し改善に努めるなど、16歳とは思えない誠実な対応で逆に支持を強めました。彼女の家族もまた人気となり、姉のディキシーもTikTokスター、両親も含めたリアリティ番組『D’Amelio Show』が制作されるほど「ダメリオ一家」は注目を集めています。

チャーリー・ダメリオの成功は、「TikTok」という新興プラットフォームの波にいち早く乗り、得意なダンスという才能を最大限に発揮したことによるものでした。高度に編集された動画ではなく、スマートフォン一つで撮影した等身大のパフォーマンスが人々の共感を呼び、「自分も踊ってみたい」「一緒に楽しみたい」という参加型のムーブメントを生み出しました。彼女の物語は、SNS時代において若者が情熱ひとつで世界的スターになり得ることを示すと同時に、その裏にある影の部分も浮き彫りにしました。

カビー・ラメ:言葉を超えて世界一のTikTokerに

カビー・ラメ(Khaby Lame)は、セリフなしの動画だけで世界中の笑いを誘い、TikTokフォロワー数世界一に上り詰めた異色のクリエイターです。セネガル出身でイタリアに移住したカビーは、2020年春にコロナ禍の影響で勤めていた工場の仕事を失いました。当時20歳だった彼は就職活動をする一方で、暇つぶしにTikTokへの動画投稿を始めます。周囲からは「早く次の仕事を探したほうがいい」と心配されましたが、カビーは「このTikTokで何かできるかもしれない」と直感し、精力的に動画を作り続けました。

カビーが投稿したのは、他の動画制作者が紹介する奇妙で非実用的な「自称ライフハック」に対して、無言のツッコミを入れるショートコメディでした。彼は一切言葉を発しません。ただ、呆れたような大げさなジェスチャーと表情で「こんなの簡単にできるだろう?」と見せてみせるのです。このシンプルながらユーモアあふれる動画がじわじわと人気に火がつき、2021年には彼のフォロワー数は数千万規模にまで膨れ上がりました。言葉がないため言語の壁を全く気にせず楽しめる点が世界中の視聴者に受け入れられ、コメント欄には各国の言葉で笑いや賞賛の声が溢れました。カビー自身も「僕の顔と表情が人々を笑わせるんだ。言葉に頼らないリアクションは『世界共通の言語』だと思っている」と語っており、まさにその通りに彼の動画は地球規模でシェアされ愛されています。

2022年6月、カビー・ラメはついにチャーリー・ダメリオを抜いてTikTokのフォロワー数世界第1位となりました。約1億4200万人という驚異的な数字で、彼は名実ともに「TikTok界の王者」となったのです。イタリアの無名の青年だった彼が、2年足らずでトップインフルエンサーに上り詰めたその歩みは各種メディアで取り上げられ、彼はカンヌ国際映画祭に招待されたり、世界的ファッションブランドと契約したりと活躍の場を広げています。それでも本人は「毎日が新しい発見の連続で、自分の物語は自分でも信じられないくらいクレイジーだよ」と笑い、「大事なのは周りを楽しませること」と初心を忘れていません。

カビーの成功は、SNS時代の新しいコメディの形を示しました。高価な機材や言語能力がなくても、アイデアと表現力次第で世界中の人々を魅了できるということです。さらに彼のストーリーは、失業や不安という状況からでも創意工夫で道を切り拓けるという希望を与えてくれます。セリフ無し動画で世界を制したカビー・ラメは、デジタル時代ならではの“サクセスストーリー”として語り継がれるでしょう。

ジュンヤ(じゅんや):体を張った一発芸で日本発世界3位の快挙

日本人TikTokerの「じゅんや」(Junya)は、言葉に頼らないフィジカルコメディで海外からの人気を集め、TikTokフォロワー数世界3位にまで上り詰めた人物です。彼は2018年頃からTikTokで活動を始めました。投稿するのは、顔に大量の輪ゴムを巻き付けてみたり、洗剤を頭からかぶって泡まみれになったりといった、誰もが思わず「何をやっているんだ!?」と二度見してしまうようなインパクト抜群の一発芸動画です。日本的な「体を張った笑い」を超短尺に凝縮したような彼の動画は、投稿当初から海外のユーザーを中心にシェアされ、コメント欄には英語やスペイン語、アラビア語など世界各国のファンからの笑い声が届けられるようになりました。

じゅんやのフォロワー数は加速度的に増え続け、2023年には4400万人を突破しました。この数字は、日本人のみならずアジア人個人としてTikTok最大であり、世界全体でも第3位という驚異的なものです。彼の投稿数は3000本以上にも及び、まさに「大量生産」で視聴者を飽きさせない戦略を取っています。その中で時折「大当たり」の動画が出ると、1本で何千万回という再生数を記録し、一気に数十万人のフォロワー増につながるというヒットパターンを生み出しています。

彼のプロフィールには「この世界の主人公になる」という力強い宣言が書かれており、その言葉通り彼は自分のやりたいこと(突飛な一発芸)を貫いて世界中の注目を集めてきました。セリフや高度なストーリーは一切なく、体ひとつで笑いを取りに行くスタイルは極めてシンプルですが、それだけに言語や文化の差を超えて万人に伝わるユニバーサルな魅力があります。「誰でも理解できて、思わず笑ってしまう動画」を追求した結果、彼は日本から世界へ飛び出し、数千万人規模のファンを獲得するという快挙を成し遂げました。じゅんやの成功は、TikTokというプラットフォームがグローバルなチャンスを提供していること、そしてエンターテイメントの本質はシンプルな笑いにあることを証明しています。

X(Twitter)編

ジャスティン・ハルパーン:140文字のつぶやきから書籍・ドラマ化の快挙

ジャスティン・ハルパーン(Justin Halpern)は、Twitter発のコンテンツが大ブレイクし、一夜にして人生が激変したインフルエンサーとして知られます。彼は2009年8月、失恋を機に24歳でカリフォルニアの職を辞め、故郷のサンディエゴに戻って両親と同居することになりました。自分の境遇を自嘲気味に受け止めていた彼は、日常的に毒舌でユーモアあふれる父親(当時73歳)の言葉をそのままTwitterに投稿することを思いつきます。こうして生まれたのが「Shit My Dad Says(親父の言うクソみたいな言葉)」というTwitterアカウントでした。父親が放つ辛辣だがどこか愛嬌のある言葉の数々—例えば「お前はスティーブン・ホーキングみたいに見える…もちろん麻痺してない方のね。気分良くなったか?」—を投稿し始めると、そのシュールな笑いが評判を呼び始めました。

わずか数週間でこのアカウントは爆発的なフォロワー増加を記録します。2009年10月末までにフォロワー数が約70万人に達し、Twitter上で一大人気アカウントとなったのです。これに目を付けた出版社がジャスティンに書籍化のオファーを持ちかけ、2009年末には書籍化が決定。翌2010年5月に発売された書籍『Sh*t My Dad Says』はベストセラーとなりました。さらに同年秋には、このコンセプトがアメリカの大手テレビ局CBSによってシットコム(ホームコメディ)ドラマ化され、伝説的俳優ウィリアム・シャトナー主演で放送されるという異例の展開を見せました。Twitter発のネタがハリウッドに届き、テレビ番組にまでなるという快挙に、本人が一番驚いたと言います。

ジャスティン・ハルパーンの成功は、SNS上の「バズるアイデア」が従来メディアへ飛び火した初期の例として記録されています。当時Twitterは黎明期でしたが、140文字の短いつぶやきであっても面白ければ人々の心を掴み、大きなチャンスにつながることを示しました。もちろん彼の成功には、父親譲りのユーモアセンスやタイミングの良さもありましたが、何より本人が「自分の境遇を笑い飛ばし、それを発信する」という行動を起こしたことが転機となりました。なお、彼自身はドラマの出来には満足していなかったと語っていますが、作家・脚本家としてのキャリアを築く足掛かりとなったことは間違いありません。一つの面白いツイートが人生を変えたジャスティンの例は、「ネットで見つけた面白ネタ」は現代の出版・映像業界が放っておかないことを世に知らしめました。

前澤友作:お年玉企画でTwitter日本一のフォロワー数に

2019年、新年早々にTwitter上で前代未聞のキャンペーンが実施され、大きな話題となりました。ファッション通販サイトZOZOTOWN創業者である実業家の前澤友作氏が「100名に100万円、総額1億円を現金でプレゼントする」というツイートを行ったのです。応募方法は前澤氏のアカウントをフォローしてそのツイートをリツイートするだけ——極めてシンプルでしたが、この「お年玉企画」は瞬く間に拡散され、ツイートのリツイート数は約553万件という当時の世界記録を樹立しました。そして肝心の前澤氏のフォロワー数も、企画前は約50万人だったものが数日で一気に600万人を超えるという凄まじい伸びを示しました。

それまで前澤氏のTwitterは、自社サービスや経営に関する発信が中心で、主にファッション業界関係者やユーザーがフォローする存在でした。しかし、このお年玉企画以降、フォロワーの顔ぶれは一変します。「生活に困っている」「夢を叶える資金が欲しい」といった一般の人々からの切実なリプライが殺到するようになり、前澤氏はそうした声に一つひとつ目を通して「自分にできることはないか」と考えるようになったといいます。その後も彼はシングルマザー家庭を応援する企画や、恋人同士を対象にしたプレゼント企画、クリスマスに児童養護施設へ寄付をする企画など、様々な「お金配り」キャンペーンを展開し続けました。2021年には「フォロワー全員にお金を配る」という構想まで打ち出し、自身の資産を活用した社会実験的な試みにも意欲を見せています。

前澤友作氏のTwitterフォロワー数は2023年時点で1000万人を超え、日本人アカウントとして第1位に位置しています。彼は企業経営者であると同時に、今や「インフルエンサー」としても巨大な影響力を持つ存在と言えるでしょう。その影響力の源泉となったのお年玉企画であり、「大金を個人に直接配る」という突拍子もないアイデアが多くの人々の関心を集め、結果的に自身のフォロワーを飛躍的に増やすことにつながりました。もちろん、その背景には「格差が広がる社会でお金の意義を問い直したい」という彼なりの問題意識もありましたが、SNS戦略の観点から見れば史上稀に見る成功例です。巨額の私財を投じて人々を喜ばせ、自身の影響力も高めた前澤氏のケースは、インフルエンサーの在り方に一石を投じました。

Facebook編

Brandon Stanton(ヒューマンズ・オブ・ニューヨーク):平凡な人々の物語が世界を動かす

Brandon Stanton(ブランドン・スタントン)が立ち上げたFacebookページ「Humans of New York(ヒューマンズ・オブ・ニューヨーク、以下HONY)」は、SNS時代におけるストーリーテリングの力を象徴する存在です。ブランドンは2010年夏、シカゴの証券トレーダーの職を突然解雇された24歳の青年でした。彼は「お金より時間が大切だ」と悟り、それまで趣味程度だった写真撮影に人生を捧げる決意をします。手にしたカメラを持って単身ニューヨークに移り住み、街ゆく見知らぬ人のポートレートを撮り始めました。当初の目標は「ニューヨークの住人1万人の写真を撮影し地図上に配置する」こと。しかし生活は困窮し、写真集を売ろうにも名が売れていないため収入はゼロ、6か月経っても誰からも注目されず、貯金も底を突きかけました。ブランドンは「HONYを毎日休まず1年間続けて、初めて何らかの手応えを感じた。それまでは本当に辛く、当時のことを話すと今でも泣いてしまう」と振り返っています。それでも彼が撮影を続けられたのは、「自分が心から楽しいと思えることをしている」という情熱と、「いつか必ずこのプロジェクトを成功させるんだ」という信念があったからでしょう。

1年ほど経った2011年後半、HONYに転機が訪れます。ブランドンは単に写真を撮って投稿するだけでなく、被写体となった人々との会話から生まれる“小さな物語”を写真に添えて公開し始めました。するとこれが人々の心に強く刺さり、ニューヨークという街に生きる様々な人々の人生の断片が、見る者に深い共感や感動を与えるようになったのです。「ホームレスの男性が語った夢」「高齢女性が亡き夫を想う言葉」「少年が明かした将来の志」——そうした匿名の市井の人々のエピソードが、写真とともに次々と拡散され、HONYのFacebookページには瞬く間に数百万のフォロワーが集まりました。2013年には投稿をまとめた写真集『Humans of New York』が出版され、全米のベストセラーとなりました。さらにHONYは社会に良い影響ももたらしました。ある貧しい学校の生徒の夢を紹介した投稿では、その子を支援したいという読者からの寄付が殺到し、結果的に100万ドル以上の奨学金が集まるという出来事も起こりました。ブランドン自身も2015年に国連と協力し、世界20か国を巡って各地の人々の声を紹介する企画を行うなど、活動の幅を広げています。

HONYの成功は、「誰もが物語を持っている」ことを証明しました。無名の人々の日常や想いにスポットライトを当て、それを飾らずありのまま伝えることで、SNS上に感動と共感の大きな渦を生み出したのです。ブランドン・スタントンは写真の専門教育も受けておらず、最初は見よう見まねで始めたプロジェクトでした。しかし彼の人柄と情熱が被写体との信頼関係を築き、引き出された真摯な言葉が世界中の読者の胸を打ったのです。2023年現在、HONYのFacebookページのフォロワー数(いいね数)は約1800万人、関連するInstagramアカウントも1300万人以上がフォローしており、その総影響力は3000万人を超えると言われます。HONYは「SNSで心温まるコンテンツは拡散しない」という定説を覆し、人々の心に訴える物語であればプラットフォームを問わず支持されることを示しました。

ナス・デイリー(Nas Daily):毎日1分の動画で世界を巡り掴んだ成功

ナス・デイリー(Nas Daily、本名:ヌセイール・ヤッシン)は、Facebookで1000日連続動画投稿を達成し、グローバルなファンベースを築いたインフルエンサーです。イスラエル出身のアラブ系青年だった彼は、ハーバード大学を卒業後ニューヨークの企業でソフトウェアエンジニアとして働いていました。しかし彼は25歳の時、「人生は一度きりなのにこのままでいいのか」と考え、思い切って退職します。そして「1000日間、毎日1分間の動画を作って世界中を旅する」という大胆なプロジェクトを自分に課しました。2016年からスタートしたこの挑戦は、当初周囲から無謀だと言われましたが、彼は手持ちの貯金を元手に旅を始めました。

最初の頃の動画はシンプルな旅の記録で、視聴者もごくわずかでした。それでも彼は毎日欠かさず動画を撮影・編集・投稿し続けます。様々な国でユニークな人々や文化に出会うたび、「これはみんなに伝えたい」と思うストーリーを1分間に凝縮してFacebookにアップしました。次第にその努力が実り、100本、200本と動画を重ねる頃には熱心なフォロワーが増え始めます。特に彼の300本目あたりの動画が大きくバズり、そこからフォロワーが加速度的に増加しました。彼は旅先で出会った貧困地域の子供たちの笑顔や、美しい自然景観の裏に潜む環境問題、あるいは各国のユニークな習慣など、多彩なテーマをポジティブな視点で取り上げ、「地球って捨てたもんじゃない」「世界は素晴らしい」というメッセージを一貫して発信しました。

2019年、1000日目の動画を投稿しこの挑戦を完走した時、Nas DailyのFacebookページは約1000万人のフォロワーを抱えるまでになっていました。累計再生回数は60億回以上とも言われ、彼の創り出す1分動画は世界中の人々の日課となっていたのです。現在、彼は自身のメディア企業を立ち上げ、引き続き動画クリエイターとして活動する傍ら、オンラインで動画制作を教える「Nas Academy」を運営するなど次世代の育成にも力を入れています。

Nas Dailyの成功要因は、明確な目標設定と圧倒的な継続力、そしてグローバルな視点でポジティブな物語を届け続けたことにあります。1分という短い尺にこだわったのは、現代人の集中力に合わせた工夫でした。毎日投稿というハードな挑戦を公言したことでフォロワーとの間に契約のような関係が生まれ、「今日のNasの動画は何だろう」と多くの人が日々チェックする習慣を作りました。また、彼自身がパレスチナ系イスラエル人というバックグラウンドを持ち、多様性を体現する存在であったことも、発信内容に説得力を与えました。彼は「世界中のどんな人とでも友達になれる」と信じて行動し、それがそのまま動画のテーマにもなっています。Nas Dailyの物語は、情熱と行動力があれば個人がSNS上でグローバルメディアになれることを証明し、多くの若者にインスピレーションを与えました。

LinkedIn編

ゴールディ・チャン:企業SNSで日々語りかけた“緑髪のOprah”

LinkedInはビジネス特化型のSNSであり、他のプラットフォームに比べてインフルエンサーが生まれにくい土壌と考えられていました。しかしその常識を覆し、「LinkedInにもインフルエンサーは存在し得る」ことを示したのがアメリカ人マーケターのゴールディ・チャン(Goldie Chan)です。ゴールディは2018年頃からLinkedIn上で毎日動画を投稿するという前例のない試みに挑みました。当時LinkedInが動画投稿機能を導入したばかりで誰も活用方法を確立していなかった中、緑色の髪がトレードマークの彼女は、明るく落ち着いた語り口でマーケティングやキャリア、人生観について語る短い動画をコツコツと上げ続けたのです。

彼女の優しい励ましの言葉や、仕事・自己啓発に役立つ話題は徐々に注目を集め、LinkedIn内で彼女の名前が知れ渡るようになりました。わずか数か月で投稿動画の総再生数が400万回を超え、LinkedIn上のフォロワーも5万人以上に達しました。LinkedIn公式から「トップボイス」に選出され、「LinkedInのOprah(オプラ、米国の有名トーク番組司会者)」との愛称まで付けられるようになります。ゴールディ自身も自らのブランドコンサル会社「Warm Robots」を設立し、LinkedInで培った知名度をビジネスに結びつけました。

ゴールディ・チャンのコンテンツの特徴は、その親しみやすさと一貫性にあります。ビジネスSNSとはいえ、人が集まる場所に必要なのは結局「心を動かすストーリーやメッセージ」であると彼女は考えました。毎日の投稿では「今日はどんなことに感謝していますか?」「最近乗り越えた困難は?」など、視聴者に問いかけ共感を誘うスタイルを取り、コメント欄での前向きな議論を活性化させました。大企業のCEOから就活中の学生まで、幅広い層が彼女の投稿に反応し始め、LinkedInというフォーマルな空間に温かいコミュニティが育っていきました。

当時、LinkedInで影響力を持つ人といえば著名な実業家や政治家など「もともと有名な人」が中心でした。しかしゴールディは純粋にLinkedIn上で地道に存在感を高め、プラットフォーム生え抜きのインフルエンサーとなった点で異彩を放ちます。彼女の成功以降、LinkedInも一般ユーザーが発信を強める傾向が生まれ、他にもフォロワー数十万人規模の個人インフルエンサーが登場するようになりました。ゴールディ・チャンのストーリーは、「ニッチなSNSでもオーディエンスとの信頼関係を築けば大きな影響力を持てる」ことを証明しています。ビジネスSNSであっても人の心を動かすのはやはり人。そのことにいち早く気づき行動した彼女は、LinkedInというフィールドで新境地を開拓したパイオニアと言えるでしょう。

その他の成功事例:ナノ・インフルエンサーの可能性

ここまで紹介してきたインフルエンサーは、何百万ものフォロワーを抱える存在が中心でした。しかし、フォロワー規模が小さい「ナノインフルエンサー」(おおむね1万人未満)や「マイクロインフルエンサー」(数万人規模)であっても、独自の成功を収めているケースは少なくありません。むしろフォロワーとの距離が近いためエンゲージメント(反応・交流)が高く、企業や地域社会から重宝される存在になることもあります。

例えば、関東地方に住むあるグルメ愛好家の女性は、Instagramで日々手料理のレシピや地元の飲食店情報を発信していました。フォロワー数は約8000人と決して多くはありませんでしたが、投稿に対する「いいね」やコメント率は非常に高く、フォロワーからは「実際に作ってみたら美味しくできました!」「今度紹介されていたお店に行ってみます」といった熱心な反応が寄せられていました。彼女のアカウントは地域の隠れた人気となり、その評判が地元の出版社の目に留まります。そしてSNS発のローカルインフルエンサーとして料理本を出版することになり、発売すると地元書店で異例の平積み展開されるヒット作となりました。フォロワー数こそ1万人に満たなくても、彼女は自身の得意分野である家庭料理と地域情報で信頼を築き、影響力を地元コミュニティとリアルのビジネスにつなげたのです。

また別の例では、東京在住の20代女性が趣味のファッションコーディネートをInstagramに投稿していたところ、フォロワー5000人程度ながらそのセンスがアパレル関係者の目に留まり、大手ファッションブランドの公式Instagramに登場するゲストモデルに抜擢されたケースもあります。大規模なタレントではなくとも、特定の分野に熱狂的なファンを持つナノ・マイクロインフルエンサーは「隠れた原石」として企業に発見され、活躍の場を広げています。

ナノインフルエンサーの強みは、フォロワーとの強固な絆と専門性の高さにあります。フォロワーが数千人規模であれば、一人ひとりとのコミュニケーション密度が高くなる傾向があり、投稿に対するレスポンスやDMでのやり取りなど双方向の交流が盛んです。その結果、フォロワーからの信頼感が非常に強く、「この人の紹介する商品なら試してみたい」「この人の言うことなら参考にしよう」という共感が生まれやすくなります。企業側もそうした点に注目し、大手インフルエンサーに高額報酬を払ってPRを依頼するより、複数のマイクロ・ナノインフルエンサーに商品体験を依頼した方が費用対効果が高いと判断するケースが増えています。

事実、ある国内コスメブランドはフォロワー1万人以下の美容系インスタグラマー数十名に新商品のサンプルを提供し、率直なレビュー投稿を促すキャンペーンを行いました。大々的な広告こそ打たなかったものの、結果的にその商品の認知度はじわじわと向上し、口コミベースでヒット商品となりました。このように、ナノインフルエンサーは「規模は小さくとも影響は大きい」存在としてマーケティングの世界でも注目されています。

以上のような例から、フォロワー数が少なくてもインフルエンサーとして成功し得ることが分かります。特定のコミュニティやニッチな分野において熱心な支持を得られれば、たとえフォロワー1000人規模であっても、そのコミュニティ内では大きな影響力を持つことができるのです。インフルエンサーの世界は何も数百万フォロワーの著名人だけのものではなく、身近なSNSユーザー一人ひとりにチャンスが開かれていると言えるでしょう。

インフルエンサー成功に見る共通点と多様性

世界中のインフルエンサーたちの成功ストーリーを振り返ると、そこにはいくつかの共通する要素が浮かび上がります。同時に、成功への道のりは千差万別であり、一人ひとりの創意工夫と個性が発揮されている点も重要です。最後に、彼らに共通するポイントと、多様な成功パターンについて整理します。

共通する成功要因:

  1. 情熱を持続し、地道に継続する力
    インフルエンサーにとって「続けること」は何よりも大切です。ヒカキンが「有名になるまで最低3年はかかる」と語ったように、長期間にわたって地道にコンテンツを作り続けた人が最終的に大きな成果を得ています。MrBeastも無名の数年間を試行錯誤に費やし、Nas Dailyは1000日連続投稿という離れ業を成し遂げました。チャーリー・ダメリオも毎日何本もTikTok動画を撮り続けた結果、一年足らずでトップクリエイターになりました。彼らに共通するのは、自分の発信したい内容への強い情熱と、それを支える継続力です。もちろん途中で挫折しそうになることもありますが、そこで諦めず努力を積み重ねたことが成功につながりました。「継続は力なり」を体現した存在こそ、真のインフルエンサーと言えるでしょう。

  2. プラットフォームの特性を活かした戦略
    どのSNSで活動するかによって、有効なコンテンツの形式や拡散のされ方は異なります。成功したインフルエンサーは、自分が勝負するプラットフォームの特性を熟知し、それに最適化した戦略を取っていました。MrBeastはYouTubeのアルゴリズムや視聴者の嗜好を徹底的に研究し、引き込まれるようなサムネイルや企画構成を追求しました。チャーリー・ダメリオはTikTokで流行する音楽やダンスを素早くキャッチし、自身のパフォーマンスをタイミングよく投稿することでフォローを急増させました。ゴールディ・チャンはビジネス特化のLinkedInでは落ち着いた語り口と有益な情報提供が好まれることに着目し、毎日役立つ話題を提供しました。プラットフォームごとのユーザー層・文化・機能を理解し、それに合致したコンテンツを作ること—これが成功への近道であると、彼らの例は物語っています。

  3. フォロワーとの共感・信頼関係の構築
    インフルエンサーはフォロワーあっての存在です。成功者たちは一方的に発信するだけでなく、フォロワーとの双方向のコミュニケーションや共感の構築に努めていました。HONYのブランドンは被写体となる市民の語りに耳を傾け、その声を丁寧に伝えることで読者の共感を呼び、結果として大勢のフォロワーから信頼を得ました。ケイラ・イチネスは自身よりフォロワーの成功(身体の変化)を主役に据え、コミュニティ全体で成果を喜び合う場を作りました。渡辺直美はファンのコメントに対して積極的に「いいね」や返信をし、親近感のあるキャラクターで愛されました。フォロワーから寄せられた意見や要望に耳を傾け、必要に応じてコンテンツ内容を改善したり新しい企画につなげたりした人もいます(例:前澤友作氏はお金配りへの反響を受け、支援を必要とする人の声を拾い上げる活動へ発展させました)。このようにフォロワーとの強い絆を築いたインフルエンサーほど長期的な支持を得て、安定した成功を収めています。

  4. 独自の個性と差別化
    インフルエンサーの世界は常に競争が激しいため、「この人ならでは」の個性が光っていることが成功の重要な鍵です。カビー・ラメの無言リアクションコメディ、ヒカキンのヒューマンビートボックス芸、渡辺直美のカラフルで豪快な自己表現、ジュンヤの体当たり一発芸など、例を挙げればキリがありません。彼らはいずれも他に替えがたい特徴を持っており、それがフォロワーに強く印象付けられています。ユーヤはスペイン語圏の中高生にとって身近なお姉さん的存在というポジションを確立し、Chiara Ferragniはブログ黎明期からのファッションアイコンという信頼と実績を築きました。それぞれ、自分の強みや好きなことを徹底的に突き詰め、それを発信の軸に据えることでブランド化しています。「この分野ならこの人」と思われる存在になることが、フォロワーから長く支持される秘訣と言えるでしょう。

  5. チャンスを逃さず拡大に繋げる戦略性
    一度得た注目や機会を、さらなる飛躍に繋げる戦略眼も成功者たちに共通しています。MrBeastはバズった収益をすぐに次の動画制作に投入し、より大型の企画で新たな視聴者を獲得する好循環を生み出しました。前澤友作氏はお年玉企画が大成功を収めると、「次はフォロワー全員にお金配り」など更に話題性のある企画を打ち出し続け、常に世間の注目を引き付けました。Chiara Ferragniはブログ人気を自身のブランド創設に繋げ、インフルエンサーから実業家へと活動の幅を広げました。Justin HalpernはTwitterで注目された際にタイミングよく書籍化・ドラマ化の話をまとめ、一発ネタで終わらせませんでした。彼らは、自分に巡ってきたチャンスを的確に掴み、次のステージへ発展させる行動を取っています。また、YouTubeからTikTokへのマルチプラットフォーム展開や、オンラインだけでなくテレビ・出版への進出など、影響力を最大化するために領域を広げていった例も多く見られます。

  6. 運とタイミングを活かす
    最後に、成功にはある程度の運やタイミングの要素も存在します。例えばチャーリー・ダメリオはTikTokが世界的にブームになるタイミングでその波に乗りましたし、ゴールディ・チャンはLinkedInが動画機能を導入した直後という空白期に活動を始めたことで先行者利益を得ました。ジャスティン・ハルパーンの父の名言ツイートも、Twitterがまだ緩いコミュニティだった時期だからこそテレビ業界の目に留まった面があります。しかし、重要なのは「幸運に出会った時にそれを活かせる準備ができていたかどうか」です。彼らはチャンスが訪れた時、すでに質の高いコンテンツを蓄積していたり、自分の強みを明確にしていたりしたため、その波に乗ることができました。運任せではなく、努力によって運を味方につけたと言えるでしょう。

成功パターンの多様性:

上記の共通点がある一方で、インフルエンサーの成功パターンは実に多様です。一夜にして有名になる人もいれば、何年もかけて少しずつ地位を築く人もいます。チャーリー・ダメリオやジャスティン・ハルパーンのように短期間で世界的な注目を浴びるケースがある一方、ヒカキンやブランドン・スタントンのようにコツコツ実績を積み上げていったケースもあります。成功までのスピードは様々ですが、いずれの場合も前述したような「継続」「戦略」「共感」「個性」がベースにあることは確かです。また、扱うジャンルによって求められる要素も異なります。ファッションや美容系であれば最新トレンドへの敏感さが重要ですし、ビジネス系であれば情報の正確性や専門知識が重視されます。エンタメ系なら笑いや驚き、教育系なら分かりやすさと信頼性、といった具合に分野ごとの工夫が凝らされています。

さらに、文化や言語の違いも成功パターンに影響します。英語圏発のコンテンツは世界中に届きやすい反面、ユーヤのようにスペイン語で発信して母語圏の圧倒的支持を得る道もあります。日本語しか話せなくても、じゅんやのように言葉に頼らない笑いで世界進出することも可能です。このように、「自分のいる場所」「自分の強み」に合わせて最適なアプローチを取れば、どのような状況からでもチャンスは開けるということが、これらの事例から読み取れます。

最後に強調したいのは、インフルエンサーという道が誰にでも開かれているという点です。かつて情報発信と言えばテレビや雑誌といった限られた媒体でしたが、今やSNS上で誰もが自由に発信し、世界中の人々にリーチできます。もちろん全員が何百万フォロワーも得られるわけではありません。しかし、今回紹介したナノ・インフルエンサーの例のように、小さな規模でも自分の専門や情熱を活かして成功を収めることは十分可能です。大切なのは、自分が情熱を持てるテーマで価値ある情報や体験を発信し続けること、そしてそれを楽しむことです。そうすれば、たとえ最初は反響がなくとも、少しずつ共感してくれる仲間(フォロワー)が増えていくでしょう。その延長線上に、大きな成功が待っているかもしれません。

SNS時代において、インフルエンサーは新たな自己実現の形でもあります。好きなことで人々に影響を与え、時にはそれを仕事にし、さらには社会を動かすことすら可能になっています。このレポートで紹介した成功者たちも、最初は皆ゼロからのスタートでした。そこから試行錯誤を重ね、自分なりの工夫で道を切り開いてきたのです。彼らの物語は、私たちに大きな刺激と学びを与えてくれます。そして、次にこのような成功ストーリーを紡ぐのは、もしかするとこの記事を読んでいるあなたかもしれません。情熱と創意工夫を持って発信を続ければ、SNSの世界には無限の可能性が広がっているのです。


いいなと思ったら応援しよう!