
永遠の時間、夢幻の旋律
ドラクエ3や11で流れるBGM「ほこら」を初めて聴いたとき、思わず息を飲んだ。
それはただのゲーム音楽ではなく、まるで永遠の時間や夢幻を音に閉じ込めたような、美しくもどこか哀愁漂う旋律だった。
その音色は深く、広がりがあって、聴いているうちに自然と時間について考えさせられる。
時間とは何なのか、永遠とはどんな形をしているのか……そんな問いが、私の頭の中で静かに渦巻く。
「ほこら」のBGMには、確かに過ぎ去った時間の気配がある。
もう二度と戻らない瞬間、それでも心のどこかで生き続ける思い出。
そのどれもが、音の一つひとつに刻まれているように思えてならない。
聴いていると、不思議と胸が締めつけられるのは、そのせいかもしれない。
時間とは不思議なもので、目には見えないのに確実に存在していて、私たちをどこかへと連れ去っていく。
それはまるで、行き先のわからない川の流れのように。
逆らうことはできない。止まることも許されない。
けれど、「ほこら」のBGMを聴いていると、その流れが少しだけ穏やかになるような気がするのだ。
旋律は決して急がず、静かに、淡々と進んでいく。
その一音一音が、まるで過ぎ去った日々を慈しむように響く。
失ったもの、もう戻らないもの、それでも確かにそこにあったものたち。
それらに手を伸ばすことはできないけれど、音楽を通じてだけは触れられる気がする。
永遠とは何か? と問われたら、私はまだ答えは出せないかもしれない。
でも、「ほこら」を聴いていると、その答えに少しだけ近づけるような気がするのだ。
永遠とは、消えてしまったものではなく、忘れられずに残り続けるもののことかもしれない。
それは目に見える形ではないけれど、確かに存在していて、時折こうして私たちの前に姿を現す。
音楽が終わり、静寂が訪れると、ふと現実に引き戻される。
けれど、その余韻はしばらくの間消えない。
時間とは何なのか、永遠とはどんなものなのか、
その問いの答えは見つからないまま、ただ心に深く刻まれていく。
このBGMを作った方(今は亡きすぎやまこういちさん)は、きっと時間について、永遠について、私と同じように考えたことがあるのだろう。
そう思うと、少しだけ救われた気持ちになる。
私たちは皆、形は違えど、同じ川の流れに漂っているのだ。
その川のほとりで、立ち止まって過ぎ去った時間に思いを馳せる。
たとえそれが無意味だと言われても、私はきっとこれからもそうしてしまうのだろう。
「ほこら」のBGMが教えてくれたのは、そんなふうに静かに佇む時間の大切さだ。
ただ流されるのではなく、立ち止まり、耳を澄ませること。
たとえそれが一瞬のことであっても、その瞬間に宿る永遠を感じること。
そんなふうにして、私は今日も「ほこら」を聴き続けている。
夢幻のような旋律に包まれながら、答えのない問いを抱えたままで———