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【雑記】周りのサービスが私のぼんやりとした要望を叶えてくれすぎて、私自体がぼんやけそう助けて(助けなくていい)

Youtubeを観ていれば時間が潰れる。
Amazonのレコメンド機能を使えば、それっぽい欲しい本が手に入る。
Instagramもいつの間にか私が好きそうな服や家具に囲まれた生活を見せてくれる。

ここ最近、家から出る機会が減って、自宅時間がかなり充実している。
パターン化された私の趣味嗜好をSNSやらその他サービスが補完してくれている。

これは充実なんだろうか。
欲しい服がわからず、PARCO Part2や下北の古着屋へ服を探しに行った大学生の自分はものすごく主体的に選択していた。
観た映画を友人が1人も観ていなくて、言葉を尽くして、レコメンドしていた自分が懐かしい。

良くも悪くも、私もその周りもあまりに似たものを摂取していて驚く。
好きなYoutuberが、たまたま隣で飲んでいた40代と一緒で喜んでいいのかわからない。

根拠を持って選ばないでも、報酬を得られる機会が圧倒的に増えたことに危機感を覚える、今日この頃。
選択肢は増えているはずなのに、私だけの選択になっていかない虚しさが増えた。
頼りすぎていたサービスから少し距離を置こうと思った。

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