【雑記】ダッシュボードめっちゃ見ちゃう癖にモヤっていたら、ある漫画に救われた話
最近、書いたものを、noteに投稿するようになった。
書くことが楽しい!自分の考えが整理されて、自分に対する理解が深まって、ちょっと生きやすくなっている気がする。
そんな気持ちで書き続けているのに、やめられてないことがある。
noteのダッシュボード、めっちゃ見ちゃう!!
noteダッシュボードでは、以下の値を見ることができる。
自分の投稿に対する通信簿のようなものだ。
(という私の前提が、まずいのかもしれないけど)
これを1日に5回以上は見てしまう。つまり、1日あたりの投稿数を上回る回数、確認してしまう。
自分でも、書いたことを淡々とアップするだけで満足すればいいのと思う。それでも、他人の評価ばかり気にしてしまう。
この”〜してしまう”の連続。
自分で選んだ行動のはずなのに、そういう実感がない。この状態は、なんだ。おならするときと、似てる。
「別に見たいなら見ればいいじゃん」
「やりたくてやっているんでしょ」
これは半分あたりで、半分はずれだ。
なぜなら、
止めてくれる人がいるなら、誰か私を止めてくれ!!
という気持ちだから。
おならするときと似ている(2回目)。
他人の評価は気になるけど、全然、私、望んでないの!
だって、、、
いえーい!書くの楽しい!の時間が短く、すぐBAD入っちゃう!!!
BAD入っちゃう。
入りたきゃ、入れという感じかもしれない。
でも、楽しみが、趣味が、どんどん億劫になるのだ。
私の場合、
noteで感想を書き始める
書き切ったぞ\(^o^)/楽しい\(^o^)/
noteのダッシュボードをクリックする
ダッシュボードを見る
落ち込む
下書きを消す
不貞寝する(BAD!!)
の繰り返し。
楽しい\(^o^)/の先に、不貞寝があるので、趣味が億劫になり、楽しみが減っているパターンに気がついてきた。
「noteで生計立てているわけじゃないのに、気にしている私は馬鹿なんじゃなかろうか」
「集中力足りないから、こうなるのでは?」
と頭の中の声がうるさくて、胃の調子が悪くなる。
ここまで書いてみると、なんで3を選ぶのか、自分でも本当に不思議だ。
心の奥底から選んでいるわけではなく、自然とやってしまう。
誰か、俺を止めてくれ、、、
”ダッシュボードを見ちゃう”を違う言葉に変換すると、
”他人の評価を確認してからじゃないと、次の作業に移れない”だと思った。
この文章、アップして大丈夫?
意味わからない文章になってない?
そればかり気にしすぎて、動かなくなるのは、趣味だけでなく、仕事でもよくあったので、まあいいか、いつもの光景か。とも思っていた。
と、ここまで考えたのはいいものの、自分の何を治すべきなのか、よくわからなかった。
だから、自分の中にこの癖を置いたままにした。ポンッ
それに、この話は、誰とも共有しなかった。だって、他人からのリアクションも決まり切っているし。
「やりたいなら、気にせずやりなよ〜笑」
「考えすぎ〜笑」
(こういう時、心の中の他人の声には、必ず”笑”がつくのなんでだろう)
突然だけど、友人から漫画を勧められたぞ!!
久しぶりに会った友人と雑談していたら、漫画を勧められた。
「なんて言っていいかわからないけど、すごくいい」
と言われて勧められたのは、この漫画↓
私は、世の中にある”奮闘”と”友情”は疑うことにしているので、あらすじを読んで、一旦スルーしてしまった。
1ヶ月経った。
また、おすすめしてくれた友人と会う約束があったので、読むことにした。
読んだ!うわーーーーー!!
落ち込んだり辛くなる前に、自分がまだやっていないことに気づけたぞ!!
漫画の中の登場人物は、みんな苦手やできないことが多かったりする。
その度、できないしな〜で流しちゃう人もいれば、できないことに無自覚な人もいる。
その中で、主人公である”変わり者”の宇野ちゃんの対処は、少し異質だ。
〇〇したいけど、△△しちゃう!癖については、”してもいい場合”と”ガマンする時”にストイックなほど整理して、アクションを事前に決めている。
私がよくやりがちな「はいはい、私が悪いってことでしょ」というスーパーイージー自責モードだけにとどまらず、以下を着実に行なっている。
1. 不快なケースの明確化
2. ケースごとの対処法の検討・決定
3. 2の内容をノートに記録
実生活であるほど、これをやるのは難しいのではなかろうか。
なぜなら、多くの人は反射的に判断しており、暗黙知化しやすいからだ。
つまり、多くの人の場合、「なぜできるか」も曖昧だ。だから、”できる人”は、”できていない人”を見ると、その訳を質問攻めしたり、”できない人”の意思の弱さを指摘したりするのだろう。
そして、一巻の途中では、宇野ちゃんがその異質な対処をしている理由の断片が明かされる。
「わからないことがある時は一人で宇宙に浮いているみたいです」
「でも僕は宇宙を歩きたい!」
宇野ちゃんは、”できない”を自覚して、”できる”までの方法を考え続けている。
私は、最近、それをサボっていたことに気がついた。
(スーパーイージー自責モードには、よくなるよ( ✌︎'ω')✌︎)
今、私は割と多くの人と関わりながら、生活している。
今まで、その中で楽しいことも嫌なことも、半分半分くらいあった。
すごく幸せなことだ。
でも、嫌なことを避けるため、私は自分の気持ちよりも、他人の評価を気にする奴になっていたのではないか。
そんなことに気づいた。
仕事や学校は、自分の体の外の”他人の評価”を間に受けまくる環境だ。
私よ、そこに過剰適用しすぎてはいないか。
迷惑かけるのも、ダメなのも、頭悪そうな文章になるのも、全部全部恥ずかしいのが、私だ。
私よ、それに負けて、楽しさを捨ててはいないかね。
と少しずつボワボワと元気が出てきた。
ちなみに、漫画を読んで以降、私のダッシュボードを見る癖は全然治ってない。
でも、今は見ても、ふーん、そりゃ記事をアップしてないもんねーって感じだ。
やったね。
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