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朝ごはんの鍵【#2000字のドラマ】

目覚まし時計の甲高い音で目を覚ました。僕は寝ぼけ眼を擦りながら、リビングへと向かった。

「おはよう」

リビングには一足先に起きていた姉がいた。すでに制服に身を包んでいる姉はパンにジャムを塗っている。姉はここから少し遠い進学校に通っているので僕よりも少しだけ朝が早いのだ。

僕と姉の朝ごはんは毎朝、母が用意してくれている。そんな母はといえば、ママさんバレーの早朝練習があるので、誰よりも朝が早い。僕が「うわー眠いよー」と唸っているこの時間に母は公民館の体育館でアタックを決めている。

今日も母は僕の朝ごはんを用意してくれていた。テーブルに置かれているのは、茶碗に盛られた白ご飯に鮭の塩焼き、味噌汁というバランスの取れた献立。

「さあて、いただきます」と手を伸ばすと、何かが僕の指先にコツンと触れた。

「ん?」

僕は目の前の違和感の正体を凝視してみた。しかし、見れば見るほどさらに謎は深まるばかりだった。

「何だこれ?」

なぜだか、僕の朝ごはんが透明な箱のようなもので覆われているのである。その箱を軽く叩いてみたり、横に揺らしてみたりしたが、開く気配はなかった。

助けを求めるように横に視線を投げかけてみると、姉はニヤリと笑い、肩をすくめるだけだった。

仕方なくそのまま謎の箱を観察してみることにする。と、下の方に小さな紙のようなものが張り付いていることに気づいた。さらにその隣には何やら鍵穴のようなものもある。

〈息子よ、これを食べたくば、近所を一キロ走ってきなさい〉

小さな紙に記されている文字は間違いなく母の文字だった。新手の悪戯だろうか?

「走ってくるしかないんじゃない?」と姉が言った。困った僕を見てニヤリとしている姉がいつにも増して憎らしかった。姉は僕の不幸で米三倍食えると常日頃から豪語している。そう言うわりには、米ではなくパンばかり食べている気がするのだが、まあそんなことはどうでもいい。

憂鬱な月曜日の朝。僕は壁にかかっている時計を見る。あまり時間の余裕はなかった。朝特有の頭の回転の遅さで次に取る行動を考えた。今から走る? そんな気力はない。だが、腹が減っては何とやらと言うし。僕は悩んだ。そうして出した結論は、背に腹は変えられないということだった。

「よし、やってやろうじゃないか」

僕は意を決すると、勢いよく玄関から外へ飛び出した。「ピヨピヨ」、小鳥のさえずりがランナーと化した僕を応援してくれている。朝一のランニングは中々にハードだ。それでも懸命に一歩一歩足を踏み出していく。太陽に照らされた額の汗がポタポタと滴り落ち、黒いアスファルトに染みを作っていった。

段々とペースを上げながら、住宅街を駆け回る。朝から会話に勤しんでいる近所のおばさんたちの横を凄まじい勢いで駆け抜けていく。

「おはようございます」

「あら、朝から元気ね。若者よ、どこまでも突き進みなさい」

「はい。おばさん」

辺りの情景が目まぐるしく変わり、僕の足についた逞しい筋肉が段々と悲鳴を上げてきた。そのタイミングで僕は足を止め、後ろを振り返った。

「よし、確実に一キロ走っただろう」

走り終わると、息を整えながら、家へと戻った。

「ただいまー」

玄関を開け、リビングに戻ると、姉の姿は消えていた。どうやら、もう家を出たようだ。

「ん?」

朝ごはんの横に小さな物体が置かれていることに気づいた。そこにあるのは、喉から手が出るほど求めていたものだった。僕は唾をごくりと飲み込むと、その物体に手を伸ばした。

「ガチャ」

いよいよ朝ごはんを覆っていた透明な箱を解錠する。鮭の匂いが食欲を刺激し、僕の腹は獣のような雄叫びをあげた。

「いただきます」

茶碗に盛られた白ご飯を勢いよく口の中にかきこむ。走った後だからだろうか、いつもより白米が白く輝いて見えた。鮭も塩気が効いていて、ご飯が進む。

「うめー」

食べ終わると、何にも耐えがたい満足感が僕を襲った。やはり、腹が減っては戦ができぬ、なのだ。ん? 戦? あ、学校。忘れてた。僕は急いで支度を済ませ、家を出た。遅刻ギリギリ。また走る羽目になってしまった。

キーンコーンカーンコーン。

ランニングとともに始まる慌ただしい朝はそれからもしばらく続いた。母の目的はさっぱりわからなかったが、体育祭が終わった頃には、朝ごはんに鍵がかかることもなくなった。僕が体育祭の徒競走で一位になり、気になるあの子のハートを射止めたこととは、きっと関係がないはずである。

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