
小山田壮平弾き語りライブツアー2024.11.23 大阪市中央公会堂
とんでもなかった……
4、5年ぶりに見た小山田壮平のライブは正直今まで見てきたどのライブとも違った、私の心に深く刻まれるライブとなった。
まずどうして久々に壮平くん(尊敬を込めて普段通りのくん付けで呼ばせてもらう)のライブに行こうとなったのか。
コロナ明けですぐにはライブに行く勇気がなく、まぁそんな事言いつつも大きなドームでの海外アーティストのコンサートや、地元のライブハウスに来てくれた台湾出身のバンド(DSPS)のライブには足を運んだりしていたのだけど。
ただ勇気が無かったんだよな。
色々な意味でリアルな音楽を聴く事がつらくなって、ただゆらゆら揺れて何にも考え無くていいそんな音楽に引き寄せられていた。
andymoriや壮平くんの歌は正直言うと
私が今よりも生き辛いと感じていた思春期の頃に触れていた音楽だったので
それはそれはリアルで、いまだに当時の心理状態がそのまんま思い出され
めっちゃくちゃ個人的な思い出で申し訳なくなるのだけどライブに足を運ぶのが怖かったのだ。
小山田壮平の歌は全て見透かされる気がして
きっと本人も自分のありのままを表現してくれるから、聞き手も全てを曝け出される感覚になっていたのだと思う。
そんな事まで考え無くてもいいよ、とライブを見終わった今となっては思えるのだけど、わたしが面倒くさい性格なのでしょうがないのである。
たまたま前から持っていた角田光代さんのエッセイを読んでいたら
その中で壮平氏の名前が出てきたので
そう言えば久々にライブが見たいな、と思い立ってチケットを手に入れたのだ。
場所は大阪市中央公会堂という明治時代からある由緒正しいホール(大会議室という名称だった)で、その昔アインシュタインやヘレンケラー、ガガーリンらが講演を行った場所でも知られている。
何度も前は通ったことはあるけれど中に入るのは初めて。
ひたすらに贅を尽くしたのだろうと見受けられる大理石の大きな柱や飾りの彫刻、天井から吊り下げられたシャンデリアに心が躍った。
今までこんな場所で音楽を聴く機会がなかったので、どのようなライブになるのか全く想像がつかなかった。
しかも今回チケットが取れたのは二階の自由席。立ち上がるとうっかり落ちてしまうのでは
と思うほど柵の低いバルコニーで色々な意味でどきどきしながらの鑑賞となった。
着席しておおよそ30分ほどでライブが始まる。照明が落とされ全くの灯も無いなか、ステージ上だけが照らされる。
いつものように飄々と壮平くんが登場し、温かみのある何度聞いたかわからないお馴染みのメロディーが流れる。
一曲目は「16」だった。
自分でも「16」を聞いたら泣いてしまうかもしれないな〜と思っていたのに、まさかの一曲目に歌われ初っ端から泣いた。
一緒に見にきていた母が「16」だね〜、と振り向いて私につぶやいた時には既に泣いていたので相当な早さで泣いてしまっていた。
なぜか泣いている自分に笑えてきて、声を殺しながら笑いながら泣いた。書いている今思うとなんて怖いんだろう。笑いながら涙を流す暗がりの二階席の女だ。
「16」を聞いたのがまさに私が16歳の時なのでとても思い入れがある曲なのだ。
16のリズムで空をゆく、16ビートってすごく速い。なのにメロディーはゆったりとしていて、歌詞はちょっとシニカル。
あったかくて、祈りに満ちた曲。
andymori時代から幾度となく聞いてきたけれど、聞くたびに優しい気持ちになる、優しいという言葉だけでは言い表せない。
例えるなら母親のような曲。
こんなに歌声がよく通るんだなぁ、ギターの音色も穏やかで豊かで…今までは弾き語りよりもバンドセットを多く見てきたせいもあってか、ソロだとより小山田壮平の本質が見えるような気がした。
ライブってただ歌って演奏するのを享受するんじゃないんだ、それを受け取って、今まで閉じ込めていた自分の感情や忘れていた気持ちを呼び起こして、それを表現することなんだ。
一方的なものじゃなくて相互的なものなんだなと改めて気がついた。
弾き語りの良さだな〜と存分に味わえるようなセットリストで「雨の散歩道」、「ローヌの岸辺」なんかのソロの曲も本当に染み渡った。
"飲もう"という曲、という紹介から入った「アルティッチョの夜」が凄まじかった。
あれこそ弾き語りの、壮平くんの音楽の真髄だなぁ〜と感じさせられた。
今回はライブ中のmcも含めて考えさせられる事が多くて、私もいつまでこの幸せな恵まれた状況に居られるのか、自分の事を大切にして周りのことも大事にできる環境はいつまで続くのか、そんなことを思った。
やはり人を繋ぐのも、こうやって音楽に出会えるのも勇気があるからこそなんだと思う。
何でも手放してしまうことは簡単で、ただ失ったものを取り戻すことは難しい。
だから続く限り、自分の勇気で引き留められるうちは手を離したくないな、そんなことを思った。
今までも小山田壮平のライブを見てずっと思い続けてきた、みんなが同じ景色を共有する空間がやっぱりそこにはあって
見透かされているというよりは、音楽はいつも側にあるから
君のことを見ているよ、考えているよと励ましてくれるそんな場所なんだと改めて気づいた。
andymoriを聞いていた高校生の頃、私は世界を知らない1人の女の子だった。
あれから14年が経とうと変わらない部分は多い。
それ故に世間の無情さや荒波のようなうねりに
もがいて苦しくなることが多々ある。
音楽や文学がただ好きなだけの大人にはなれないんだ。
「そのままの君でいてね」って言ってあげたいのに苦しむ当時の自分に
自分で自分が可哀想になる時がある。
でも、あなたが好きなもの、大事に思うものはずっと側にあって見守ってくれているから大丈夫と励ましてあげたいのだ。
そして「何にも考えなくていいよ、投げキッスをあげるよ」って聞かせてあげたいんだよ。
あの時同じ空間で、汗を流して音楽を楽しんだ人たちは今どうしているのだろう。
昨夜あの会場で再会して、思い思いに楽しい時間を過ごせていたら、それはとても素敵な事だなぁと思った。
二階席のバルコニーから一階のお客さんを見渡して、アンコールで嬉しそうに踊る人たちを見てすごく心が温まった。
会場から出ると11月の冬の香りと、年末を漂わせる澄んだ空気に
もう一年が終わる、また新しい年がやってくる。そう感じると同時にやってきた
その一抹の不安とちょっとした希望を胸に家路を急いだのでした。
補足:レポートは小山田壮平へのファンレターでもあります。
昔は事務所のメールアドレスに長文のライブの感想メールを送ってごめんなさい…その痛さも若さの証だよ。終