企画のスタート12
小雨がぱらつく涼しい月曜日。近くを走る私鉄も徐々に乗客が増えているように見えます。政府の方針がどう出るかにかかっていますが、ここまでがんばってきたのです、パーフェクトな状態にしたいですね。
1986年夏に出逢った日本サンライズの植田益朗さん、その後は数回ビールなどを飲んだきりです。マーケティング調査も好評だった「シティーハンター」は「キャッツ・アイ」を手掛けてたボクの師匠・加藤俊三さんと原作対応、シナリオ作り、そしてキャラクターデザインなどのお話を少しずつ進めていました。
そんな折にボクは入社初めての休暇をとってこれまた初めての海外渡航の予定がその動きに重なってきてました。それは11月22日から11日間。「ロボタン」で知り合った山本正之さんの采配でずいぶん前から準備してご一緒してきたのです。このアメリカ旅行の話はまた今度させて下さい。
この旅行から帰ったボクを待ち受けてたのは、出版社と制作会社の衝突でした。いわゆる見解の相違だと理解してますが、出版社としては新たな作品の原作使用契約を制作会社とは結ばないということになったのです。TV局としては企画の良さを認め放送枠を用意できたのに、その企画をストップされた事になります。ジャラジャラとポケットに入れた十円玉を握りしめ、確か市ヶ谷の公衆電話ボックスで手が冷えるのも気づかずに加藤さんと電話し続けててたのは12月5日金曜の夜の事でした。
ここから長く厳しい年末年始が始まります。まずは出版社と制作会社の問題なので、TV局が巻き込まれて作品が制作できないのは違うのではないか。そして実際に制作会社とTV局で作品を構築してきたので、よしんば制作会社が🆖になってもその作品に突き進んできたTV局は少なくとも半分を背負ってきてますと。なので良い作品が作れる別の制作会社を立てて、半分背負ってきたスタッフ(ボクですが)が責任持ってそこと作品制作を実行すれば良いのではないかと。こんな展開になった時、その別の制作会社としてボクのアタマに浮かんでたのが植田さんだったのです。続くです😓
写真は昨日とあるホテルロビー。午後3時でしたが入っても良いのでしょうか、というくらい人がいなかったです😵