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【GoogleMap離島巡回の旅】#13 佐賀編 馬渡島(まだらしま)


松島より辰の刻七ツ四十分、「かから丸」の朝の船に乗り、十七分ほどで呼子の港へと至りぬ。

しばし休息を取り、辰の刻八ツ二十分に「ゆうしょう」の朝の船に乗り込む。名護屋港を経由し、巳の刻九ツに馬渡島の港へと到着せり。




■ 馬渡島(まだらしま)について



 馬渡島(まだらしま)は、肥前国唐津の西北端に所在し、玄界灘に浮かぶ諸島の中でも一際大なる島なり。

 その周囲十四里(約14km)にして、四方は厳しき自然に囲まれ、古の時代より人々の息づかいが今も残る地にて候。

馬渡島
提供:国土地理院


 この島、朝鮮半島や大陸との航路の要衝として、古来より遣隋使や遣唐使の船もこの地にて風を待ち、潮を待ちて、ひとときの休息を取る場なり。

 また、蒙古襲来の折には、島民が命を賭して防戦したる故事もあり、その時に大将を討ち取ったる「チョンギー石」という奇岩が、今に残り伝わるものなり。



 馬渡島には、太古より人が住まう跡が数多く残り、万年以上前の遺跡や縄文時代の石鏃などが発見されしこと、まことに興味深きことなり。

 島内には四つの集落があり、南の宮の本村には、神仏を信仰する者多く住み、そこには学校や診療所、漁協が立ち並び、島の中心地となりており候。

 一方、野中、冬牧、二タ松と呼ばれる北の集落には、江戸期以降に移り住みし隠れキリシタンが多く、その者たちの手により、キリスト教の教会が建てられたる。

 特に野中の丘に聳える教会は、長崎の平戸より移築された木造の堂であり、現代に至るまでその姿を保ちて、島の象徴ともなりぬ。


馬渡島天主堂


 また、馬渡島は魚影の濃き玄界灘に面しており、釣り場として名高く、春夏秋冬を通じて釣り客が絶え間無く訪れ候。

 さらには、渡り鳥や野鳥の観察もできる故、自然を愛でる者たちにとっても魅力溢るる地なり。



 この島の名「馬渡島」には諸説あり、その昔、源義俊という武士が、この島へ流されて「斑島」を「馬渡島」と改めさせたという話あり。

 また、異説にては、大陸より初めて馬が渡りし地にちなみて、この名が付けられたるとも伝えられ候。

 江戸の世には、唐津藩の軍馬の放牧地としても用いられしこと、また興味深きことでござる。



 島の生活は漁業が主なりて、フグ、イカ、ウニ、アワビなどの海の幸に恵まれし地なり。

 されど、時の移り変わりと共に、燃料の高騰、魚価の低迷によりて、若き者たちが島を離れ行くこと相次ぎぬ。

 それでもなお、島民は若者が再び定着し、島を活気あるものとするため、様々なる努力を重ねており候。



 馬渡島は、歴史と自然が融合し、神仏とキリスト教が共存する珍しき地にて、訪れる者を古の時代へと誘う、まことに風情ある島なり。

 一度、足を運び、この地の歴史と自然を肌に感じられたし。





■ 島の見所


名所壱 馬渡神社(まだらじんじゃ)


三百六十度の眺望を覧んと欲せば、こちらへお進み下され。👇


 神社の宝としては、かの本馬義俊公が奉じし八大竜王の御剣が今もなお伝えられおり申す。





名所弐 番所ノ辻(ばんしょのつじ)



 番所ノ辻は、馬渡島にて最も高き所にあり、その標高は二百三十八メートルに及ぶ。

 この地は古来より、時の政(まつりごと)に応じて、防衛の要所として、また捕鯨の見張り台や狼煙台として重用されてまいった。

 晴天の日には、四方の眺望が絶景にて、玄界灘の諸島はもとより、遠く韓国までも一望のもとに収めることが叶う。

 殊に、日本海に沈みゆく夕日の美しさは、言葉に尽くせぬ感動を呼び起こすものなり。



 幕末の頃、黒船来襲の恐れが世を騒がせし時、この地には沿岸を守るために遠見番所が設けられたり。

 もしや黒船を見ゆれば、烽火を上げて名護屋の大庄屋へと急報し、そこより唐津城へ早馬を走らせる手立てがなされし。

 その烽火の跡は今も展望台の北側に残りて、往時を偲ばせる。

 また、日露戦争や太平洋戦争の折には、壱岐水道を見張るための所としても用いられたり。



 このように、番所ノ辻は歴史と自然の息吹が深く交わる地であり、訪れる者には格別の価値があること間違いなし。



名所参 馬渡島教会(まだらじまきょうかい)



 時は明治の世、南蛮の国よりもたらされた異国の宗教、天主教の信仰がこの地にも広がりし頃、この島にも一つの教会堂が建立された。


 この教会堂、元は長崎の平戸、紐差なる地にて建てられたものであり、神々のご加護を祈るべく集う信者たちのための聖堂であった。

 時代移り変わり、昭和の御代に至り、この堂は海を越え、馬渡島の地に移されることとなりぬ。

 人々はこれを「御堂天主堂」と称し、異国の神を敬う場所として今に至るも崇め続ける。



この地の住民らは、遠く異国の風を感じつつも、かの天主堂にて平和と安寧を祈り、信仰を深め続ける日々を送るなり。古き世の風情を残しつつも、新たなる時代の風を受け入れし、この教会堂は今もなお、馬渡島にて静かに立ち続ける。




■茶屋・料理屋・宿屋


名所四 山下旅館(やましたりょかん)



 この「山下旅館」では、離島ならではの新鮮な海の幸を用いた料理が自慢で、旅人の心と体を癒します。

 島の風土とともに育まれた味わい深い膳が、旅の疲れを忘れさせてくれることでしょう。


 



名所五 民宿旅館一福(みんしゅくりょかんいちふく)



 「民宿旅館一福」では、新鮮なる海の幸を自慢と致し、殊に雲丹、鮑、栄螺が評判となっておりまする。

 これらの海の幸は、朝な夕なにこの島の海より採り上げられ、鮮度は誠に抜群にてござる。

 また、宿の周辺では、波止場にて釣りを楽しむことも叶い、島内の自然を満喫しながらの散策も推奨致し候。


 一福の宿は、訪れし者がゆるりと時を過ごせるよう、宿泊の時間も自由に調整可能にてござる。

 忙しき日常を離れ、この島にて心身を癒し、ゆるりと時を楽しむに絶好の場所と存じまする。




名所六 カフェ&民宿まだらや(かふぇあんどみんしゅくまだらや)



 「カフェ&民宿まだらや」は、まるで江戸の風情を漂わせるような、島の隠れた趣ある処でございます。



 このカフェにおいては、島の海より朝な夕なに揚がる魚を用い、料理を仕立てておりまする。

 新鮮そのものの魚料理は、江戸の町人たちにも劣らぬ美味さで、島に訪れし者の舌を楽しませることでございましょう。


 また、民宿は、一日一組のみ、最大五名までのお客人(おきゃくにん)をお迎え申し上げております。

 ゆったりとした時の流れを感じさせるその宿では、島の静けさと自然を存分に味わうことができ、江戸の庶民が憧れた悠然たる時の過ごし方を堪能いただけます。



 釣り道具も一式揃えており、手ぶらでお越しいただいても釣りを楽しむことができまする。

 釣り上げた魚は、その場で調理し、旬の味を味わうもよし、お土産として持ち帰るもまた一興でございましょう。

 島の豊かな自然と海の恵みを存分に堪能できる、この隠れ家での一日を、どうぞご堪能くださいませ。




■ 次の目的地

次回 #14 向島(むくしま) を巡り候。楽しみにしておるがよい。

付録:大日本沿海輿地全図(離島巡回の旅)



烏賊(いか)が恋しくなりし方々へ

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ご自宅にて、呼子の味わいを楽しむべく、ぜひ一度お試しあれ。(宣伝)



■ 参考資料

  • 「馬渡島」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)2024年8月25日16時(日本時間)現在での最新版を取得。

  • 「番所の辻(馬渡島)」『浜を楽しむ 唐津、伊万里、玄界』(https://www.karatsu-hama.net/)2024年8月25日16時(日本時間)現在での最新版を取得。

  • 「佐賀県の島=玄海諸島>馬渡島」『日本の島へ行こう』(https://nihonshima.net/)2024年8月25日16時(日本時間)現在での最新版を取得。

  • 『馬渡島 日本にはじめて馬がやってきた謎の島』(https://madarajima.jimdofree.com/)2024年8月25日16時(日本時間)現在での最新版を取得。

  • 『民宿旅館一福 』(https://minshuku-ichihuku.info/)2024年8月25日16時(日本時間)現在での最新版を取得。

  • 『カフェ&民宿まだらや』(https://r.goope.jp/madaraya/)2024年8月25日16時(日本時間)現在での最新版を取得。



■ GoogleMap離島巡回の旅 "佐賀編"



拙者、Amazonアソシエイトなるものに挑む所存なり


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