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【Googleマップ 離島巡回の旅】#17 長崎編 対馬島④ 〜対馬に眠る、もうひとつのラピュタ――天空の遺構を訪ねて〜
~ 離島巡回旅之定 ~
一、Googleマップの仮想空間を、徒歩経路にて名所巡回致す
一、名だたる名所は勿論、地図にて見出せる隠れたる場所もご案内仕る
一、お取り扱いする場所は、人の住む離れ島のみを定め申す
一、筑前(福岡)より肥前(佐賀・長崎)方面へ、反時計回りに巡り候
一、「💗」が50と相成れば、次なる島へ出発し、島が大きき場合は数度に分けてご紹介致す
対馬島
” 静 寂 を 纏 い 孤 高 に 立 つ、日 ノ 本 の 砦 ”
■ これまでのあゆみ
時は江戸。筑前国(福岡)に生まれし侍、諏訪たけしという者あり。剣術や文筆に秀でたわけではなきものの、師である伊能忠敬より測量の技を授かり、大地を巡りてその形を図に記す旅を続けておった。己が足で大地を踏みしめ、その姿を後世に残さんとする強い志だけは、誰にも負けぬものがあった。
されど時は流れ、令和の世に迷い込むこととなる。往時の測量道具に代えて、現代の「Google Map」なるものを手にし、遠き島々を巡る旅を続けることとなった。かつて己が眼で確かめ、筆に写し取った大地の姿を、今度はこの新しき道具を駆使し、世に広めんとするものなり。美しき景色を愛で、地の美味を賞味し、その風情を今に伝えるべく、諏訪たけしは今日も旅路を往く。
前回の旅路にて、拙者は美津島の「対馬絶景宿 ゆづり葉」にて一夜を明かした。名のごとく、そこからの眺めは実に見事であった。潮騒の響きを枕に、しばし旅の疲れを癒したのち、次なる目的地へと歩みを進めるはずであった。
されど、どうにも足が動かぬ。理由は他でもない——「Ghost of Tsushima」なる戦の書物(ゲーム)に心を奪われたがゆえである。かの書には、対馬を舞台とし、蒙古の襲来に立ち向かう剣士の物語が記されておる。拙者の心は乱れた。今一度、書の世界を巡り、古の対馬を偲ぶべきか。あるいはこのまま現の対馬を歩み続けるべきか——。
かくして拙者は悩み、また悩んだ。幾日も決断つかず、ついには七日が過ぎた。宿の主人もさすがに呆れ、ついには「そろそろ出立なされよ」と諭される始末。致し方なし、未練を断ち切り、拙者はようやく豊玉へと向かうことと相成った。
(前回の離島絵巻)
■ 今回巡る名所
■ 一之地 姫神山砲台跡
豊玉へと足を進めるうち、拙者は「姫神山砲台跡」なる場所の噂を耳にした。かの地は、対馬の明治期を象徴する砲台跡にして、まるで異界に迷い込んだかのごとき光景が広がるという。石造りの構造物は今なお静かに佇み、その様はまるでジブリの「天空の城ラピュタ」のごとし、と評されるほどである。
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これは見逃せぬと、拙者も一路その地を目指した。されど道のりは険しきものなり。道は細く、荒れ、馬ならぬ現代の鉄の駒(車)を操る者は、慎重に進まねばならぬ。油断すれば、崖に足を取られかねぬゆえ、細心の注意を払いながら進むほかない。
ようやく辿り着き、目の当たりにした光景は、まさしく時を超えた遺構の趣を湛えていた。朽ちゆく石壁に苔が這い、自然と人工の調和が見事な幽玄の世界を生み出しておる。対馬にて、かかる異世界のような風景に巡り会うとは、実に感慨深い。しばし時を忘れ、風に耳を澄ませつつ、この地の歴史に思いを馳せるのであった。
■ 二之地 万関橋
豊玉へ向かう道すがら、拙者は「万関瀬戸」なる地に至りたり。この瀬戸こそ、かつて一つであった対馬の大地を二つに分かつこととなった、人工の水路なり。
そも、対馬はもとより連なりし島なれど、寛文十二年(西暦千六百七十二年)、大船越瀬戸が開削され、さらに時移りて明治三十三年(西暦千九百年)、日本海軍が戦略の要として万関瀬戸を穿ちしものなり。その翌年、明治三十四年には、南下の勢いを増すロシアに備え、水雷艇を対馬海峡へと出撃させるべく、久須保水道(万関瀬戸)の開削が成し遂げられたり。
かくして開かれし瀬戸に架かるは「万関橋」。初めの架橋より幾星霜を経、今渡るは平成八年に改められし三代目の橋なり。これを渡れば、かつて戦の世に生きし者たちの足跡を偲ばずにはおられぬ。
されど今や、この橋も争いの場にあらず。ただ旅人の往来を見守り、対馬の南北を結ぶ要として役目を果たすのみ。拙者もまた、風に吹かれつつ、その歴史に思いを馳せ、歩みを進めるのであった。
■ 三之地 やすらぎ
橋を渡り終えたところで、ふと腹の内より唸るような音が響いた。思えば朝より何一つ口にせず、ただひたすら歩みを進めてきたゆえ、無理もなかろう。空腹のままでは、この後の旅路にも支障をきたすやもしれぬ。ちょうど良い折、道端に「やすらぎ」と掲げられた茶屋を見つけた。
対馬にて、このような茶屋は稀少なり。軒先の佇まいは、どこか懐かしき趣を湛え、店内へと足を踏み入れれば、静かなる時が流れている。窓辺に立てば、眼下には穏やかなる海原が広がり、旅人の疲れを癒すには誠にもって好適な地なり。
膳を求め、品書きを開けば、定食の種類もまた多きことよ。それに加え、値もまた手頃。旅の身には有難きことこの上なし。拙者は早速、腹を満たすにふさわしき膳を所望した。
湯気の立つ飯が運ばれるのを待つ間、潮風を肌に感じ、遥かなる海を望む。長き旅路の折、こうして静かに茶を啜り、膳を待つひとときこそ、侍の身にとって何よりの贅沢というものよ。
■ 四之地 西漕手(小船越瀬戸)
豊玉へ向かう途次、拙者は美津島町小船越の地に足を止めたり。この地こそ、東の三浦湾と西の浅茅(あそう)湾を隔てる細き地峡にして、はるか昔より交通の要衝として栄えし所なり。
上より眺むれば、この細き地がなぜ古の遣新羅使(けんしらぎし)にとりて要路たりしか、いとも容易に見て取れよう。奈良の昔、使者たちは三浦湾にて舟を降り、徒歩にてこの狭き地を渡り、浅茅湾の奥なる「西漕手」にて再び船を出し、海を越えて異国・新羅へと向かいしという。
江戸の世に記された郷土誌「津島紀事」によれば、当時この地峡の幅はわずか一町三十八間(約百七十八メートル)に過ぎず、まさに手に届かんばかりの距離であったとか。しかしながら、時代とともに三浦湾側の埋め立てが進み、今やその幅は約三百六十五メートルに広がりしという。
いざ西漕手の地を歩むれば、今も穏やかなる波間に漁船の影が揺れる。されど、この先に広がるは対馬海峡、ひとたび沖に出れば荒波の待ち受ける厳しき海路なり。往古の遣新羅使もまた、ここより舳先を西に向け、はるか異国の地へと漕ぎ出でたりと思うと、誠に感慨深きものあり。
地元の者によれば、かつて国道を拡げんと土を掘りし際、地中より貝殻の出でしことありとか。奈良の昔、この地はさらに狭く、両の海はなお近きものなりしやもしれぬ。斯様に、時を経るごとに姿を変えし地なれど、その歴史の面影はいまだ風に語られ、波間に囁かれておる。
拙者もまた、ここに佇み、古の船旅に思いを馳せつつ、再び歩みを進めるのであった。
【ドローン空撮】対馬・西漕手 (1:42)
此れを見るこそ最も分かりやすきゆえ、ぜひご覧じ召されよ。
■ 五之地 豊玉の猪垣
白子浜の北岸にそびゆる山の頂より、白浜へと通ずる鞍部、さらに西北の頂上へと延びる石垣あり。長さおよそ二百四十間、高さ一丈一尺にして、今もなお堅牢なる姿を留める。
この石垣、元禄・宝永の野猪狩りにて築かれし「猪垣」と伝わる。されど、獣を追い込むのみならば木柵で足るはず。これほどの石垣を設ける道理には合わぬ。また、同様の遺構が他に見られぬことから、かつて対馬最大の放牧地「長崎牧」の遺構に非ざるかとも推測されておる。
猪狩りか、馬の放牧か——いまだ定かならぬものの、確かなるは、この地が今もなお歴史の息吹を伝え続けておるということ。拙者もまた、古き石垣に手を触れつつ、時の流れに想いを馳せるのであった。
■ 六之地 三留 (さんとめ)
今宵の宿へ向かう前に、まずは腹ごしらえといたそう。宿のおかみが勧めし一軒あり、少々遠き道のりなれど、これもまた旅の縁。いざ、足を運ぶこととする。
聞けば、此処は令和元年の「ミシュランガイド」なる名高き書にも記されし店とか。焼き物、揚げ物、鍋と、いずれも見事な腕前。
されど、なかでも拙者の舌に最も合いしは、唐揚げなり。外は香ばしく、噛めば肉汁滴る。これは、ただの揚げ物にあらず、もはや一品の妙技といえよう。
店構えも洒脱にして、内のしつらえも趣深し。もてなしも心こもりており、実に心地よし。さらには、不定期なれど昼の膳も供されると聞く。これはぜひとも、昼の刻にも足を運びたきもの。
美味を堪能し、満足とともに店を後にする。さて、いよいよ今宵の宿へ向かうとしよう。
■ 七之地 民泊吉栄
今宵の宿と定めしは 「民泊吉栄」。千尋藻(ちろも)の地にあり、目の前には大海原広がる漁家の宿なり。宿の主は元イカ釣り漁師・吉村殿。幼き頃より海とともに生きし者がもてなす宿と聞けば、これを訪れずしてどうするか。
満腹の身も、思わず箸が進む美味
実のところ、ここへ至る前に「三留」にてごちそうをいただき、すでに腹は満たされておった。されど、吉栄にて膳に並ぶ料理を前にすれば、その満腹感などどこへやら。まさに別腹とはこのこと。
魚、貝、イカ、いずれも主自ら漁に出て獲りしもの、あるいは地元の漁師より直に仕入れしものなり。その瑞々しさ、言わずもがな。刺身は海より上がったばかりのごとく新鮮、焼き物は香ばしく、揚げ物はさくりと歯ごたえよし。煮付けは味わい深く、噛めば口の中に海の滋味広がる。
されど何よりも心に残りしは 「アラカブ味噌汁」 なり。脂の乗りたる魚の旨味が味噌に溶け合い、朝の体にじんわりと染み渡る。まさしく海の国・対馬ならではの味わいなり。
また、宿にては「海と食」を楽しむ体験も用意されておるとのこと。拙者も 「海鮮ピザ作り」 なるものに挑むこととした。対馬の魚介をふんだんに用い、焼き上げたるピザは、いまだかつて味わったことのない贅沢な一品。さらには 「たたきイカ」 なる珍しき技も体験。干しイカを石で叩き、柔らかくし、旨味を引き出すという対馬の古き習わしなり。試しに口に運べば、噛むほどに味わい深く、なるほど、これは理に適いし調理法なりと合点せり。
宿を彩る家族の情
されば、この宿の魅力は、ただ美食にあるにあらず。宿を営むは、主の吉村修治・明美夫妻、さらにはその子らも加わり、一家総出でもてなしてくれる。その心のこもりしもてなし、まことにありがたきことなり。
かくして、波音を枕に旅の疲れを癒やし、静かなる一夜を過ごす。風そよぎ、月明かりに照らされる海の景。旅の途上にこの宿を得たこと、これまた何かの縁に違いなし。
【宣伝】拙者が宿の手筈を整え申す
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■ 次の目的地
次回 #17 長崎編 対馬島⑤ では、豊玉の地を巡り候。楽しみにしておるがよい。
付録:大日本沿海輿地全図(離島巡回の旅)
■拙者が吟味せし旅の土産
拙者、このたび旅路にて巡りし土地のゆかりある逸品をここにご紹介仕る。いずれもその地の誇りを宿し、風土と人の技が織りなす珠玉の品々にござる。旅の記憶を胸に刻みつつ、手に取るたびその情景を偲ぶべし。斯様なる一品、ぜひともお手に取られよ。
❖長崎県対馬産選べる干物セット 4種類選択
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❖長崎県対馬産 塩うに 60gビン入×2本
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■ 参考資料
『本物が息づく島 対馬観光物産協会』(https://www.tsushima-net.org/)2025年2月1日17時(日本時間)現在での最新版を取得
『【公式】長崎しま旅行こう-長崎の島々の観光・旅行情報ならココ!』(https://www.nagasaki-tabinet.com/islands)2025年2月1日17時(日本時間)現在での最新版を取得
『動画】対馬・西漕手 二つの海つなぐ古代港跡 - 長崎新聞 2020/03/13 [20:53] 公開』(https://www.nagasaki-np.co.jp/kijis/?kijiid=610078472812282977)2025年2月1日17時(日本時間)現在での最新版を取得
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