誕生日恐怖症(1)
私は自分の誕生日を祝われたくない。数年前はInstagramのストーリーで「誕生日ありがとう!」と言っていたし、LINEやTwitterの誕生日登録をした上で公開設定をしていた。
それなのに今では誕生日祝われることに嫌悪感や面倒な気持ちを覚え、誕生日を設定しない・公開しないようにしている。
まずなぜ嫌かというのを書き出すと
・自分と他人とで誕生日における大切さが違うためのギャップにショックを受ける
・好きではないものを貰った時、リアクションするのが大変
・しかもそれが高価なものだと、満足していないのに同じ値段を返さなければならないというプレッシャー
・サプライズされたときのリアクションの正解がわからない
・サプライズでメッセージ・寄せ書きに参加してくれた人の中には特に書きたくないのに書いている人や、そんなに仲が良くない人がいるため申し訳ない
・店でケーキを運ばれたりして周りのお客さんが手拍子をしてくれていると申し訳なく思ってしまう(興味ないだろうにごめんなさい……って)
こんなものかな。最初の2つはそのままなんだけれど、サプライズは元から嫌いだったわけではない。
例えば最初に経験したサプライズは高校生の時の『みんなから集めたメッセージカード』。私が喜ぶと思ってしてくれているので気持ちは本当に嬉しかったんだけど、、
そんなに私のことを仲良いと思ってるのか??と思った人からもメッセージが来ていて、そう思ってないだろうにごめんね…となった。また当時好きだった人からのメッセージもサプライズで用意してくれていた。しかし好きだと言っても遠くから見つめる程度であったのでお互い名前と顔は知ってるけど……のレベル。その上好きバレもしていたので気まずすぎる。それから寄せ書きやメッセージを集めて動画にされたりすることがすごく苦手になった。
またこれは大学に入ってからの出来事。誕生日から1ヶ月後に当時1番仲の良かったアルバイト関係の友人と2人で遊ぶ約束をしていた。お店は予約しているよ!と連れて行かれた店で急に現れる同僚10人。困る。シンプルに。その友人とは気を遣わない仲なのでメイクも服もそこまで気合を入れなかったのに、写真をパシャパシャ撮られバッチリメイクした友人や同僚、たまたま予定が合った遠方からの同僚。みんなきっと気合を少なからずとも入れていただろうに、主役である自分が恥ずかしく思えた。
そしてまた嫌な思いもした。
このせいでサプライズが完全に嫌いになった。
今回は表面的な理由。