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言語化の主観と客観。イライラを見つめたその先は…


この前、ひっさしぶりに、カッチーンときたことがあって、しばらく、イライラとモヤモヤが続いた。
わりと、引きずるタイプなもので(笑)

自分でも、なんでこんなに怒ってるんだろうって、分からなかった。

でも、今日、今さっき、分かった。

***

怒りってなんだろう。

ひとつ、気づいたのは「受け入れてもらえない」から、悲しくて、その表現方法が怒りだったということ。

相手のやり方、言い方、態度が、自分の想いとズレていたり、すれ違ったりした時、どうやらわたしは「なぜなのか?」と疑問を持ち、それが消化されないと「怒り」になるらしい。


他人と自分は違う。

そんなの当たり前だ。

仕事の役割も立場も異なれば、考えだって違ってくる。

だからこそ、話し合ったり、可能であればその仕事の一部をさせてもらうことで、お互いの見えないところが分かる。

わたしはそういう時間を、面白いと思う。だからその気持ちをへし折られると、ものすごく傷つく。

相手にその意図はないにしても、自分を邪険に扱われたように感じて、凹む。

話すこと、対話をすることは、螺旋階段をおりていくイメージ。
階段を降り終えて足を着いた先、着地点。
つまり話の本質に辿り着けると、すごく嬉しい。

わたしは納得できるし、相手は満足できる。そんな着地点だったらベスト。

だけど、それは独りよがりなのかもしれない。

話したいと思ってるのはわたしだけで
相手はそうでもない。
土俵に上がりたくない人を引っ張り上げるようなものなのかも、って思ったら、また凹んだ。

だけど、このラジオを聴いて救われた。



「北欧、暮らしの道具店」のラジオ「チャポンと行こう!」


耳を傾けていると、思わず口角が上がってしまう、ゆるりと心地よい女湯トークがたまらない。

第90話は、するっと言葉が出てこない、言語化にも主観と客観がある、という内容。

ざっくりまとめると…

うまく話ができなかった
伝えられなかった
あんな言い方したくなかった
ほんとはこう言いたかった

こんな思いは日常茶飯事。

この主語はあくまでも、自分。
主観だよね。

そう、言語化っていうと、ついつい話し手、多くの場合は自分に焦点が置かれる。

でも、相手側にたつと、意外にそうでもないらしい。

伝わらなかったーって自分は思ってても、相手は自分以上に想いを汲み取っていてくれたり

自分が重視していたポイントではなく、
違うところに重きを置いてくれてたりと

目の付け所や、印象に残る箇所は人によって違う。

言語化は大事だけど、言語だけに頼らない。雰囲気化も大事だよねって。

伝えたいという姿勢や、その空気を
相手は必ず受け取ってる。




そう、ひとりでうじうじ悩んでても、考えは堂々巡りか、一方通行。

だから、誰かに聞いてもらう。
質問してもらう。
こうやって、書いてみる。

そういう、相互のやりとりの時間は、お互いに問いかけているようで、自分に問いかけることにもなる。

言語化の主観と客観って考えを
頭の片隅に置きながら
言葉をやり取りする時間を大事にしたい。

息子の夏休みが終わって、ふと訪れたひとり時間。

ラジオを聴きながら、そう思った。

***

明日から9月。

9月に募集しまーすと言っていた言語化カフェ。

前々から受けたいと言ってくれていた友人たちに、まずはモニターをお願いすることにしました。

その結果や感想を踏まえて、これからどんなカタチで活動をしていくのか、決めようと思います。

そのため、モニター募集は一旦ストップ。

出したり引っ込めたり、ちょこちょこ変わってごめんなさい。

こればっかりは、トライ&エラーでやっていくしかないと思ってるので、ゆるりと見守ってくださいませ。

本当は、ある程度モニターさんを募集して、年内いっぱいは、それでいこうと思っていたのですが、先の読めないこのご時世。

あまり先のことを決めてしまうのもなぁ…と思って、まずは目の前の階段を一段ずつ上がることにします。

言語化カフェの様子や読み物は、出来次第アップしていくので、興味のある方は楽しみにしていてください。

コメントや感想もらえると、喜びます。

今日も読んでくれてありがとうございました。

自撮りに挑戦。
どんな風に進んでいこうか。

上を向いて、深呼吸しながら、考えていく。

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CHIHIRO|フィンランド好きの物書き
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