ほぼ日がくれた気づき。いろいろやらかす小1息子に向き合って分かったこと
2021年は一言で表すと「向き合う年」だったように思う。
自分のカラダ、本当にやりたいこと、これからの働き方について、どうしたいか、どうなりたいのかを考えた。
そしてもう一つ、自分以外で向き合った対象は今年小学生になった息子だ。
長子の年齢=母親になった年齢だから、息子の初めては、わたしも初めて。小心者のわたしは、ささいなことでも息子以上にオロオロしてしてしまう。
11月までの間に3回も、同級生の家に頭を下げに行くなんて想像してなかった。
ちょっと元気過ぎる息子と向き合って感じたことを、振り返ってみようと思う。
人のものを壊してしまう
決して悪気はない。力加減がわかってないのだと思う。
5月のGW明けに、同じクラスの女の子と傘を壊してしまったことを皮切りに、よく遊んでいるクラスの男の子のなわとびや、水筒のカバーのホックなどを壊してしまった。
事情を聞くと、なわとびと水筒のカバーに関しては息子だけに非があるわけではない。それでも壊れてしまったのは相手のもの。相手の家に謝りに行った。
「ただいま」の声のトーンで、何かあったと分かるくらい隠し事のできない息子。最近は息子が帰ってくる時間になると「今日は大丈夫かな…」と、ソワソワする日が続き、なんだか疲れてしまっていた。
穏やかな日常をください
子ども時代のわたしは、他人に迷惑をかけることや、先生に叱られることを極力回避してきた。
だから息子の言動にはたびたび驚かされる。120%の力でその場を楽しもうとする様子は、まるで鉄砲玉みたいだ。
リミットをしらないそのパワーを尊重したいと思いつつも、内心「穏やかに過ごさせてくれよ…」とため息をついてしまう。
13時までの勤務を終え、家に帰ってから遅めのお昼ごはんをかきこむ。ソファに寄りかかり、スマホを眺める。更新された「ほぼ日アプリ」をタップすると、糸井重里さんの今日のダーリンの言葉が飛び込んできた。
釣り針をのんだ魚のように、この文章に釣り上げられてしまった。
「目的があるわけではないので、失敗も不満もない」を逆に考えると「目的があれば、失敗も不満もある」ってこと。
傘やなわとび、水筒のカバーのフックを壊してしまったのは事実。それを「失敗」と捉えることは簡単だ。でも息子にも「目的」があったはず。母親的な視座を取っ払って、あらためて考えてみた。
息子は何がしたかったのか
傘の件は伏線がある。先に傘を振り回して、傘の骨を逆向きにさせた子がいたのだ。小学生男子がよくやるやつである。
面白そうだったからと言っていたので、好奇心が抑えきれなかったのだろう。なぜ自分の傘でやらなかったのかは、謎でしかない。
なわとびに関しては完全な悪ふざけ。ノリがいい息子は、ついつい縄を回しすぎてしまい、持ち手の部分にヒビが入ってしまったのだそう。
まさかこんなにも簡単に壊れるとは、想像できなかったのだろう。
水筒の件は、正義感の強い息子の手が思わず出てしまったみたい。
1年生は集団で帰るのだけど、ひとりで走って行ってしまった子を追いかけて、「待てよー!」と、その子のランドセルを思わず引っ張ってしまったのだそうだ。そのはずみで水筒のカバーのホックが取れてしまったらしい。
手を出してしまったことは良くないけれど、声をかけても止まらなかった友達を、なんとか止めたかったのだろう。
母親目線を外して考える
母親目線を外して、事実を書き並べていくと、ふっと気がゆるんできた。他人の子なら「男子なんてそんなもんだよー」と笑い話ですむのに、自分の子となるとそうはいかない。頭に血が上り、視野が狭くなってしまう。「こうすべきだったのに」というが気持ちがムクムク湧いてきて、ついつい説教したくなる。
そんな風に受け止める。
ワンクッションおくだけで、少し見方が変わる。
わたしも呼吸ができる。
どうなるんだろうと自然と湧き上がる、興味と好奇心。
これくらいなら大丈夫の力加減を探り、身につける時期。
無意識ながらも行っている「トライアンドエラー」が、息子の目的なのだろう。
それを踏まえて今のわたしにできることは、一体何だろう。
見守る気持ちと切り替え力
見守ることだと思う。
いろいろ言いたいのをグッとこらえて、見守る。
どうすればよかった?今度からどうしたらいい?を一緒に考える。
ついつい正解らしきものを、差し出してしまいがちだけど、息子が自分で考えて、答えを出すことに意味があるはずだ。
そして私に必要なのは、切り替える力。
「なんでそんなことを…」とぐちぐち言いたくなるけど、起きてしまったことは仕方ない。そこからどうするかを、息子が自分で考えるしかない。経験するしかない。
人は自分で気づいたことしか、できるようにならないのだから。
見守る。切り替える。来年の抱負になりそうだ。
穏やかな日常はやってくるのか
何もなく平穏な日々なんて程遠い。大なり小なり、いつも何かが発生する。だけどそれが「暮らし」なんだと思う。
毎日ぽかぽかの小春日和だったら、その陽だまりのありがたさを忘れてしまう。曇天、雨降り、雷、あられと、目まぐるしく変わる空模様に対応していく。
傘を忘れてびしょ濡れになった冷たさも経験。次は忘れないように、自分で気づきを重ねていくしかない。
失敗続きの日もある。でもその後のおひさまの温かさは格別だと思う。
空にかかった虹に、歓声をあげる日だってきっとある。
「ただいまー!」
もう15時か。
今日は元気な声で帰ってきたぞ。
さぁ、どんな話が飛び出してくるかな。
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このnoteはhttps://sentence.inquire.jpのアドベントカレンダー「2021年の出会い」の8日目の記事です。