「わきまえる思考」を見つめ直す。メキシコで考えた私の役割
日本から約1万km、時差15時間。日本でお昼ご飯を食べているとき、メキシコでは眠りにつく前のひとときを楽しんでいる人が多いかもしれない。それはメキシコに住むmihoさんと、日本に住む家族との物理的な距離だ。
「丸2年家族に会っていないことをメキシコ人の友人たちに話すと『En serio!!(信じられない)』って驚かれます」と画面越しのmihoさんは、笑いながら話してくれた。
「自分を薄情だと思ったことはないけれど、彼らが感じるような家族に会えないことによる孤独感だとか、物理的に会ってハグをしたいという欲求は生まれてこないんですよね。家族のグループLINEに実家の猫の写真が送られてきたりして、日々やりとりをしているからかな。特別な寂しさや哀愁のようなものは、感じていない気がします」
少し画面から視線を外して、日本に住む家族を思い浮かべるようにmihoさんは話を続ける。
「家族のこと、特に両親のことを話したいと思ったのは、自分がこれからやりたいことや進みたいことを探っていったときに、整理しておきたい感情が見つかったからかもしれません」
家族愛が強いといわれるメキシコ人と接するなかで、ふと思い出す日本の家族。mihoさんの家族とのキオク。そのひとかけらを、ここにキロクさせていただきます。
京都生まれの京都育ちだけど、絶対になれない「地の人」の存在
「父、母、3つ下の妹の4人家族です。両親もそれぞれの祖父母も、京都に生まれて京都で育ちました。福井から京都にご先祖様が出てきたんだよと聞いていたのですが、ある時ふと、家系図を作ろうと思い立ったことがあって。その時にひいおじいちゃんか、ひいひいおじいちゃんの代に、出てきたことを知りました。江戸時代末期くらいかと思います」
すごい、生粋の京都っ子ですね!
「いや、そうでもなくて(笑)本当の意味での地元民からしたら、江戸時代だとまだまだ新参者レベル。というのも、同じ高校には歴史の教科書に出てくる人物の末裔や、江戸時代よりずっと前から京都に住んでいた家系の人がいました。だから上には上がいるというか。
母がよく使っていた “地(ぢ)の人” という言葉を、最近になってよく思い出します。昔からその場所に住んでいる人のことを指しているのですが、『あの家おっきいなぁ、地の人やしなぁ』といった感じで日常的に耳にしていました。幼い頃はそれに対して『そうなんやー』くらいにしか思っていなかった」
それが最近の活動を通して、変化してきたのですか?
「そうですね。今ライフワークとして取り組んでいるのが、メキシコの職人さんが作る焼き物や、手刺繍が施された服などを日本の人たちに向けて紹介すること。基本的には、自分自身が心惹かれたかわいいものたちにフォーカスしていますが、背景を辿っていくと伝統文化につながるものが多くて。それで自然と『伝統を伝えていきたい』と思うようになりました。だけど本当にそれだけなのかな?と、感じる部分があって。それで昔の記憶を辿っていったら、地の人という言葉に思い当たったんです」
地の人に対して、漠然とした憧れを持っていたというmihoさん。代々伝統を守って生きている人に、尊敬の念のようなものがあったからだという。と同時に、どう抗っても越えられない一線があることも感じていたという。
自分は絶対に、地の人にはなれない。乗り越えられない存在の認識。
「自分でも、なぜそういう風に変換されたのかは分からないのですが、頑張っても乗り越えられないものがある。乗り越えるためには、特別な才能や努力が必要だと考えるようになりました」
身近な家族の発する言葉。日々意識せずに聞いていた言葉が、今の自分の考え方や判断基準を作っていくのだろうか。
自分の1番に全力投球する自信がなかった
「だからと言って卑屈になっていたわけではなくて、やりたいことがあれば挑戦してきました。両親は基本的に気持ちを尊重して、自由にやらせてくれましたし、『そんなんできるわけないやろ』と、真正面から反対にあったことは一度もありません」
16歳でメキシコに留学したmihoさん。帰国後の大学受験の際には、経済的に厳しいと言われたけれども、東京の私立大学に受かったら進学をさせてくれたという。クラウドファンディングに挑戦したときも、真っ先に支援をしてくれたのは、両親と妹だったそうだ。
「本当に感謝しかないですよね。だけどそういう感情とは別に、毎日何気なく耳にしていた言葉が、今の自分の思考や価値判断に影響していたのかも、と思うことがあります。それぞれ人によって経験していくことや感じ方が違うので、私の中で勝手に変換された部分もあると思うんですけどね」
話を聞きながら、2021年のクリスマス前に発行された、mihoさんのメールマガジンの文章が頭をよぎった。
同じような選択をしてきたので、ハッと気付かされたと同時に、強く共感したのを、今でも覚えている。
何かをしたいと思ったときに、1番やりたいことではなく、2番以下を選んでしまう癖があったmihoさん。それに気づいた今は、どう考えているのだろうか。
「1番やりたいこと=実現が難しいことだと、勝手にリミットを作って、それ以上考えないように、シャットダウンしてきたように思います。地の人が自分には到達できない存在であるように、1番やりたいことは特別な何かで、手の届かないものだって、心の中で取り扱ってきたみたいです。そういう思考に気づいたら、両親が育ってきた時代背景も影響しているのかも、と思うようになりました。『フツーがいい』という考え方が、自分にも染みついていたのかもって」
いわゆる高度経済成長期に育った親の世代は、「みんな同じように頑張る」が当たり前の考えだったのでは、とmihoさんは語る。
「コツコツ努力して積み上げていくのを、悪いなんて思いません。だけどそれが、『みんなが同じように、同じ方向を向いて頑張る』という考えに変換されている気もして。特別な何かを成し遂げるのは地の人のような人たち、もしくは、恵まれた才能がある人たちで、一般市民はみんな同じように、わきまえて暮らすことが良いという概念があるのかなって」
わきまえた暮らし。その考えはどこからくるのだろう。そして、わきまえるのは、誰のためなんだろう。
積み上げてきた知見を見直す
「わきまえるのは誰のためかっていったら、周りの人のためなんですよね。それは特定の何かではなく、目に見えない誰か。『積み上げてきた知見』とも言い換えられるかもしれません」
中高と演劇部に入っていたmihoさんは、舞台芸術にも興味があったという。大学を選ぶ際に芸大も視野に入れようかと父親に相談したところ、「どうやって食べてくの?」と言われたそうだ。
「私もそこで深く調べたりせずに、そうかぁ、やっぱり普通に四年制大学にいった方がいいか、と思ってしまったんです。会社を辞めてワーキングホリデーに行く時も、英語圏とスペイン語圏ならどっちがいいと思う?という問いに、『そら、英語圏やろ』と何の根拠もなく、言われたこともあります(笑)そう、根拠はないんですよね。芸術で食べていけるのは才能がある一握りの人だけとか、英語はできた方がいいという概念って、メディアや見聞きしてきたことによる思い込み。日本人特有の、異質になりすぎないことが良いとされる風潮もあるのかもしれません。周りと調和したわきまえ方が、自分にも両親にも染み付いていたんだなと、今の自分は感じています」
わきまえることで、出る杭にはならない。決して悪いことにもならない。自分のためじゃないと言いつつ、そうやって周りと歩調を合わせることで、自分を守っているのかもしれない。
伝統文化における私の役割
「人には役割があると思っています。私はメキシコ人の職人のように、緻密な絵を焼き物に描くことはできないし、おしゃべりをしながら織物の目を間違えずに、手織りの作品を織ることはできません。でも、培ってきた伝統を伝えていくサポートはできると感じています。メキシコの伝統文化を日本の人たちに伝える。私自身が元気になれて、カラフルで手の温もりが感じられる、かわいいもの。『こんなお宝見つけたよ』って伝えていきたいです」
地の人じゃないからこそ、できる役割がある。
目に見えない世間一般の誰かを気にせず、
自分のフィルターを通して伝えていく。
mihoさんの感じたことを
mihoさんの感性で
mihoさんの言葉で。
「両親は、私や妹がやりたいことを気持ちの面でも経済面でも応援してくれた、本当に温かい存在です。感覚が似ている妹は、今でもすごく仲が良くてかわいいなって思います。メキシコ人の家族のように目に見えるような強い絆で結ばれた家族ではないかもしれない。でもそういうのって比べるものではないですよね。自分にとっては居心地の良い、一番の応援団です」
家族への想いは特殊だ。
「感謝」という単一的な言葉では、言い表せない感情が入り混じる。
mihoさんの話を聞きながら、メキシコほどの距離ではないにしろ、遠くに住む両親や兄妹を思い出す。自分が子育てをしている中で、今更ながら親の苦労を感じ、子どもたちの兄妹喧嘩を間近で見ると、自分もそんなことしたなと感傷に浸ることもある。
はっきりとした言葉で表せない感情は、ときに消化不良を起こすこともある。そんなときはゆっくりと掘り下げてみるといいかもしれない。
なぜなら、過去の認識は変えられるから。
気づいて、見方を変えて、考え直す。
自分の記憶を整理することができるのは自分だけ。
どう捉えるかは、自分の心持ち次第なのかもしれない。
写真 miho
文責 chihiro