「KREVA CLASS」配信受講記録(1479字)
お恥ずかしながら、KREVAさんのことをしっかり認識したのはここ最近のこと、まさにこの作品が動き出したときのことだった。
昔の賢太郎さんとの共演経験とか、ヒプノシスマイクに楽曲提供しているとか、CMに楽曲提供しているとか、探れば私ですら聞いたことがあるような曲もいくつかあった。
rapやHIPHOPというものは、かっこいいと思いながら遠くで覗き見るジャンルである。少なからず私にとっては。ラップバトルともなれば時に荒々しい言葉をぶつけ合い、まるで言葉のプロレスみたいだ。血気盛んなものが得意でない私には、少々別世界である。
それでも、会場が一体になっているところとか、心地よいリズムと韻とか、そういうものに惹かれる気持ちはよく分かる。だから、動画とか楽曲とかでこっそりそれを享受して、遠くから、なんだかかっこいいなぁと思ったりする。
そういう私も、この「KREVA CLASS」の受講対象者なのだろうか。異文化交流をしても良いのだろうか。現場にこそ行けなかったが、配信を用意してくださった。どうも気になる。 お値段には結構ビビったが、背は腹に代えられぬ。思う存分、生徒になってみよう。
ここまでが、視聴前6/4の記録。
ここからが、視聴後6/14の記録。
実にアツい異文化交流だった。
こんなにも真っ直ぐな言葉のエールを送られたのはかえって久しぶりかもしれない。
KREVAさんというのは、本当にアツい方なのだとよくよく分かった。
バークレーくんの声を聞いてすぐに賢太郎さんだ!!となったのは私だけじゃないはず。
教材用ビデオのようにテンポよく進んでいくラップの授業。想像していた以上に授業で、頷きながら観ていた。
そこにメタ的に差し込まれるコントの数々。カラッとした「ラップ指数」のコントもジトっとした「過去がほしい」コントも、上手く演じ分けられていた。
学生時代の自分に語りかけるKREVAさんには良き大人の余裕が漂っていて、少年漫画みたいに爽やかだった。
終盤のライブシーン以降を観ていてこみ上げた気持ちの昂りは、K.K.P.「TAKE OFF」を初めて観たときに似ていた。全員起立して、会場がひとつになって、演者がいい顔をしている、それを見てジーンとする。思えばTAKEOFFは小林作品の中でも随一のアツい話である。
透明な学校、という形容には思わず目頭が熱くなった。
今まさに人生の岐路に立たされている私は、好きを仕事にすべきかどうかとか趣味のウェイトがどうあるべきかとか、そういうことをよく考える。私が熱心になっている趣味たちはまさに、透明な学校なのである。その透明な学校に通うことを真っ向から肯定してくれて、応援してくれて、背中を押してくれた。何だかとても頼もしく思えた。
あとはなんというか、賢太郎さんはどう生きても賢太郎さんで、表現をしない人生が想像できないのだけれど、KREVAさんはもしかしたら別な人生も有り得たかもしれないと思った。ヘッドホンを仕舞い込んだり、憧れのままにして別の居場所を見つける選択もあったかもしれない。それでも、いろんな学びや出会いを経てもなお共にあったのが音楽でありラップだったのだろう。太い軸のように彼を支えている音と言葉が響いてきた。
もしかしたら今はただの遊びに過ぎない趣味も、私の中に住み続けて、それなしでは生きられないままに生きていくのなら、どこかで日の目を見ることがあるかもしれない。誰かに必要とされることがあるかもしれない。誰のためでもなく自分を満たすためだけの学びでも、絶対に価値があると思えた。
独りよがりに、作り続けたいと思う。