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生きることは人間を愛すこと(1160字)

ゼミが始まり早々に外部との合同合宿を行い、大学生活を煮詰めたような今日日を生きている私。合宿は想像以上に素敵な出会いで溢れていた。


今回の合宿で訪問した方の1人は、移住してきたのち空き家を借りてアトリエ兼カフェを営んでいた。
牛舎をリメイクしたこぢんまりとしたお店はオーナーの好きが詰まった空間。オーナーが描いた絵と、オーナーが関わった方々の作品やインテリア、アクセサリー。大きなスピーカーやレコードプレーヤー。
私はこういう場所をあまりにも人間的だと思うのだ。

「お金を積まれてももう都会には住まない」と語るオーナーに「都会の何が嫌なのか」と尋ねると、『都会が嫌というより、ここの方がずっと良いからここにいる』と返ってきた。
『都会が合う人もいる。片田舎が合う人もいる。好きずきなのには変わりない。ただ俺は、ここがいい。』

具体的には、広いアトリエやカフェスペースなどを自由に構えるのに都会ほどお金がかからないことが大きな理由らしい。
田舎の人間関係は面倒だと言う人もいるが、面倒な人は都会にだっているだろう?とオーナーは言う。そんなことに気を揉むくらいなら、どのみち好きなことに没頭していたい。

私はそんな感性が心から好きだと思った。



楽しいと同時になんでこの学部この学科に入ったんだろうと思うときがある。言ってしまえば第1志望の推薦に落ちて諦めたからではあるが、学部にこだわらなければもう少し上の大学も狙えた。それでもここにいるのは、ここにいる人たちと出会えているのは、何故だろうと考えた。

私が選んだのは少し特殊な学部になるが、いわゆる社会学的で経済経営的な学問分野を広く扱う。社会学というものはどこまで行っても人を追うもので、何気ない毎日そのものが研究領域。よくよく考えてみれば、こんなにも私に合致した学問があるものかと思うのだ。

人嫌いの典型のように生き延びた思春期を過ぎた私は、回り回って人間が好きになってきた。
あらゆる人が、愛おしい。

案外みんな人間が好きなのだ。
一見して利己的だったり排他的で冷酷に見える人も、案外根本では人間を愛している。
なんなら、本人がそれに気づいていないだけだ。
私は最近そう思えるようになってきた。

信じたいだけかもしれない。
それでも、そう思えるようになっただけで人生は間違いなく豊かである。理想論だとしても、性善説は悪くない。

等しく人は面白く可愛らしく格好良い側面をもっている。それを頭ごなしに否定することのむごさは計り知れない。

私にとって生きることは、どんな人間も等しく愛すことなのだ。


いつか小さなアトリエを構えて作品を並べて、コーヒースタンドを作るのが遠い先の夢だった。

しかし今回、これは決して夢のままに終わらせたくないと強く思った。
きっと実現させてみせる。

結果的に、私はここを選んで良かったと思う。

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