入院して退院して秋がきた。
地獄のような暑さがようやく和らぎ、季節は夏から秋へと移りつつある中、私はついにやったのだ。
本当はもっと前に一回ぐらいnote書いておこうと思ってたんだけど結局有耶無耶になってしまった。
前回の記事で散々喚いていたアレを、ついに取りました。
そう、子宮の全摘をね…!!!!
ついに、ついにやった!!!!私はついにやったんだ!!!!!!
本当に嬉しい。長らく苦しめられていた生理の重さとそこから派生する様々な弊害から、ようやく解放されたんだ!!
全摘自体は随分前から考えていたので、先生から提案されたときは即答しました。
人生に一度しかない話なので、これはそのうち実録レポ漫画とかにしようと思います。
ざっくり経緯を説明すると、
何年も前から筋腫の治療として投薬を続けていた。
当時かかっていた婦人科の先生Aは「このまま薬で対応していこう」
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引っ越したことで通院先が変更に。
新しい先生B「今までと違う薬を使ってみよう」ジエノゲストを処方。
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薬が合わなかったらしく一か月近く不正出血と腹痛が続き、逆にグロッキーに。
重度の貧血と診断され、ジエノゲストの中断と鉄剤注射の処方。上の話何だったん??
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次はリュープロレリンという皮下注射の治療。一か月に一回、お腹に打つ。
二回目で大体の人が生理が止まると言われる→止まらないねぇ。
生理っていうか不正出血が止まらない。ほぼ毎日出てる。この辺りから腹痛と出血が日常化する。
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セカンドオピニオンとして別の病院でしっかり検査をしてもらいたいと相談し、市内の総合病院へ。
MRIで子宮内を確認したところ、引く数の筋腫が発生しており、その中にある粘膜下筋腫という奴が一番の原因と判明。
筋腫の様子は婦人科でもエコー検査で見てもらっていたが、先生によって言う事がまちまちだった。
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MRIの結果を引っ提げて元の婦人科に戻り、再びリュープロレリン注射に。
三回目の時点でもまだ血が止まっていないこと、さらに粘膜下筋腫は出血や痛みが酷くなる原因であるため、手術した方がいいとのこと。
「筋腫だけ取る手術もできるけど…」「いや全摘でいいです」迷いなく即答。
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再び総合病院に紹介状を書いてもらい、先生Cと手術の相談。
「あなたは私が受け持つ患者で、二番目に若い年での全摘になるけど本当にいいの?」
「全然いいです」もはや我が心に一切の迷い無し。
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入院し、次の日手術。一週間後退院。
という感じです。これが4~8月から9月頭にかけての出来事でした。
事が動き出すとあっという間だったけど、全摘までの道のりは本当に長かった…私にとって子宮は毎月めちゃくちゃ苦しみを与えてくる憎い臓器という認識になっていたため、先生達は何度か説得してきたけど全部振り切った。お前はこの世に存在してはいけない臓器だ。
まだ腹の傷はしっかり治ってないので、暫くは自宅療養して回復に専念します。
10月から仕事に復帰するので、今のうちにしっかり直すぞ~!