寡黙な人から脱却した話(後編)
こんにちは、これが106本目の記事となったすうじょうです。さて、今回は自分の経験や思いを語るエッセイで、昨日書いたものの続きです。内容は、本題というかタイトル回収回です。小学生のころからの記憶について思い出しながら話していきます。前編のエッセイは以下のものです。
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前編のあらすじ
私は、小学生の頃は高学年まで外でみんなと遊び活発な人間だった。中学では、周りが小学校の時にあまり話さなかった人ばかりだったというのと、当時自分から話しかけてというのを苦手にしていたことから、必然的にクラス内で滅多に話さない寡黙な人になっていった。しかし、私自身の性格は寡黙ではなく、よく話していた。例えば、家ではよく親と話し、従妹の母である私の母の妹の人と話すときは、長くなってしまい電話で話すと1時間を超えることも多々ある。それでも、中学で友人ができ、たまに話していた。
そして、中学3年生のとき一つの転機が訪れた。ある日の放課後、女子2人と教室で一緒になって、そのうち一人は中学3年間同じクラスになった子でしたが、男の私が、女子に話しかけるのが男子以上に苦手だったことから会話が今まであまりありませんでした。その日、向こうから話しかけてきたのをきっかけにたまに話すようになり、友人といえるほどの関係までになりました。そこから他のクラスメイトや学年の人からも新たに話しかけられるようになるように状況が変化した。いつのまにか、ニックネームが複数できていた。
中学を終えた反省として、「このままではダメだ」と思っていました。そこで、いわゆる高校デビューというのを考えていたが、結果としては失敗しました。具体的には、高校では学年に同じ中学の人が6人いたが、中学以上に知らない人だらけでした。しかし、幼馴染の男子とは同じクラスでたまに話しました。そして、ハーフの子を初めとして新しい友だちも数人できました。けれども、基本的に自分から他の人に話しかける勇気がまだなかったので、失敗しました。そのまま高校卒業かと思われましたが、徐々に事態が変化したというのが今回の話。
今回の本編
高校1年を終えて、まだ中学の時のジレンマから抜け出せていないと思いつつ、なかなか改善の兆しが見えていませんでした。そして、高校2年生になって、中学3年の例のエピソードがあった女子のうち3年間同じクラスだったほうと幼馴染の男子と同じクラスになりました。これは、完全に好機で神さまが用意してくれた(私は特定の宗教を信仰してはいませんが・・・)ともいえるような状況でした。そして、さらにクラスにはフレンドリーな子が多かったです。そして、中学が同じ女子の子や幼馴染の男子が話しかけてくるので、周りからも話しかけられるようになりました。何か、中学3年のときの出来事と似ていますね。そして、それを援護したのはテスト前でした。私はテスト前は自習のために教室に残っていました。幸いというか努力のおかげで私は勉強が出来る方の人だったので、たまにクラスの人などから質問が来て答えました。質問が来たら基本断らずに考えることをポリシーにしており、自身の理解が深まりプラスだと考えていたので、教えていました。それについては、過去に以下の記事で書きました。
そういうことが積み重なり、クラスの人との会話が増え、友達扱いできる人は増えていきました。そして、次第にクラスの人からは中学の時に主流だったニックネームで呼ばれるようになりました。そして、周りの環境が変化したので、自分の意識を徐々に変えていきました。周りが急な変化に驚かないようなスピードで変えていきました。話しかけてくる人には自分からも話しかける、他の人が話している話題に入る、といったような今まで勇気がなくてできなかったことを周りからもらったフレンドリーな態度を受けて変化して最終的に勇気なしで話しかけられるようになりました。卒業時点では中学生のときよりも人との会話がスムーズにできるようになりました。きっと、中学の同級生のうち違う進路だった子が当時の私や今の私と会えば、その性格の変わりぶりに驚くことでしょう。また、高校2年生の夏に参加したあるプログラムでは、他校の人と話さなければいけない機会があり、それによって見知らぬ人と話すことの耐性も加えてついたのだと思います。
高校3年では、2年の時に同じクラスだった子と一部同じクラスになり、楽にスタートすることができました。そこで、新しく友だちができ、随分改善された私のコミュニケーション能力を駆使していきました。おかげで立派に青春だったとまでは言えませんが、高校2, 3年で素敵な思い出がいくつもできました。(その一部はすでにエッセイで書きました)
結局、周りの環境によって変わることができ、それに押されて自分で徐々に変化していった形でした。自分から変えていけるのがもちろん理想ですが、このエッセイを通して、周りがフレンドリーに接してくれるだけで変われる人もいるんだということを伝えたいです。自分も今後客観的に見て話しかけられやすいような人であり続けたいです。今回は久しぶりに手の込んだエッセイとなりました。(別に他のエッセイが手を抜いているという訳ではありません)
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以上、私の記憶と思いを伝えるエッセイでした。では。