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ぼくの居場所はどこなの(番外編)悪戦苦闘の高校受験その1

ちょっとだけヤンチャだった僕が中2から頑張り、高校受験で都立高校合格を勝ち取った時のエピソード。普通に親の意見を聞きちゃんと勉強が出来た人からすると、それまで怠けていたから、高校受験で苦労するのは自業自得と思うような事かもしれません。。 しかし、ちょうど一年前、自分の子供を見ていて、伝えるべき時期が到来したので、子供に伝える為に思い出した事を記録に残しておこう。と思い記載します。

 はじめに【背景】として両親(特に母)の愛情を強く感じていた事が道を外れそうになった僕を軌道修正させてくれた話をします。

 まず父について昭和初期の頑固おやじ、実直で曲がった事が嫌い。自分の生き方を絶対に曲げないタイプ。父の愛情を感じれるようになったのは40歳頃になってです。(詳細は別途後日記載予定)

 父は自営で寿司屋の主人、母と2人で経営。岩手県出身、農家の長男(8人姉弟)。大学受験で東大受験に失敗するも東京に魅力を感じ、高校卒業後に上京。上京後、いくつかの営業職に従事する中で、寿司屋を目指し、沼津市と三鷹市で修行。三鷹市で修行先の店主が、体調悪くなり、居抜きで開業するチャンスに恵まれる。

 母は川口市出身。サラリーマンの次女(4人兄妹の末っ子)中学or高校卒業後、築地市場場外の海苔販売店に勤務。

 両親の出会いは、父が開業するにあたり、独身では不自由だからと言われ修行先の紹介で、築地の海苔販売店で働いていた母を紹介され入籍した。(父29歳、母23歳)1年後、長男が誕生。その後約1年半ごとに、次男(僕)と三男が誕生。男3人の子宝に恵まれた。

 僕の幼少期は、朝から深夜まで両親が仕事で多忙である事が強く記憶に焼き付いている。特に母は僕たち子供が小学校卒業までは、寿司屋が閉店した深夜に学校で必要な準備をしてくれていた事を、夜中に目を覚まし寝たふりをして良く見ていた。僕が起き上がっている事にも気づかず黙々と頑張っていてくれた事は、僕の脳裏に焼き付いており、母の強い愛情を無意識で感じとっていた。 

 その為か、後々思い出すことがあった。僕が小6から中1頃まで少し道を外れるような出来事があった時に、母を悲しませるような事をしてしまい。悲しんでいる母を見て思い出した。

 深夜に疲れて眠いのに必死になって僕たち子供のために頑張っていた姿を・・・。

 そこから、母に心配掛けないように都立高校に合格する為に悪戦苦闘しながら挑戦していきます。

【本題】
 中1まで、まともに授業聞いていなかった僕が、中2から必死になってがんばり、都立高校合格を勝ち取ろうと決意した!

 ここからが、悪戦苦闘の始まりとなる。

でも本日は以上となります。
ありがとうございます🤗

・・・その2へ続く・・・

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