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「孤独」は解決するものか?
在宅勤務で問題視されることも多くなってきたが、働き方や社内のコミュニケーションもここ数年でだいぶ変わり「孤独」を感じている社員が多いからケアすること。との上層部から、お達し。
個人の生き方は尊重されるけど、同時に他人の干渉が遠のきがちになるのはしょうがない。一昔前にいた、人の予定そっちのけでズカズカ割り込んでくる愉快なオッサンはすっかり姿を消して、個人的にはさびしい。
そして「孤独」も嫌いじゃないからケアと言われてもピンとこないので、このお題にどう解決するものかと、あえて若手社員に聞いてみたら孤独の反対って何ですかねっと逆質問!なるほど、そのアプローチはアリかも!調べてみると「連帯」という結果が…ぜんぜんピンッとこないので勝手に「みんな」という定義をしてみたら若手もしっくりきたらしい。例えば、みんなと一緒の時間や一体感みたいなのを感じられるコトがケアになるのか。というと、それは違うみたい…
そもそも、みんなといる時間は楽しいけど、孤独な時間だって私にとっては愛すべき時間。
そのバランスは個人個人で違ってて、孤独がその境界線を超えて比率を増してくると「孤独」につぶされちゃうのかもしれないし、逆だとわずらわしかったりウザいという怒りを買うんだろう。っと、もっともらしく話していたがなんか違う。現に自分は「孤独」な時間も愛すべき時間だから、増えてもつぶされることなく、けっこう楽しんでる。
もしかして「孤独」ってネガティブな印象なのが良くなくて、自分に向き合える時間、自分が今まで見つけられなかった何かを見つけられるかもしれない時間、なーーんにもしなくていい時間といった愛すべき時間だよってことに気がつけるようにしていくことなんじゃないか。
モノゴトを楽観的に捉えるのも、悲観的に捉えるのも個性。一元的にケアすることはやっぱり無理で、一人一人の声を全力で受けとめていくことがスタートなのだけど、他人が解決することでも、きっとない。
自分で見つけられるように「手を差し伸べられる距離感」にいてあげることが大切で、明日からその距離感を一人ひとりに意識してみよう。