【ネタバレ感想】ドクターストレンジ/マルチバースはつまらないし、マッドネスはもうたくさん
『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』を公開初日に観てきたので感想を載せておきます。やや長めなので多少頑張って読んでください。
※『ワンダヴィジョン』『What If?』などのディズニープラス独占配信作品全般および『エターナルズ』未見の状態で鑑賞しました。
・『スパイダーマン/ノーウェイホーム』に続く"マルチバース作品"としての期待
2022年に公開された実写スーパーヒーロー映画の中でも極めて鮮烈な印象を残してくれたのが『スパイダーマン/ノー・ウェイ・ホーム』(以下NWHと表記)。
こちらは『スパイダーマン/ファー・フロム・ホーム』のラストでとんでもないことをしでかしたミステリオによってピーターパーカーの生活がめちゃくちゃになってしまい、解決のためにドクターストレンジを頼った結果さらにハチャメチャなマルチバースの介入を招いてしまうというもの。これにより別シリーズの実写スパイダーマン映画のキャラクターが参戦し、ヴィランへの救済とMCU版スパイダーマンの成長を同時に成し遂げるという大傑作であった。
個人的には「エンドゲーム→ファーフロムホーム→NWH」でようやくインフィニティサーガが綺麗に幕を引いてくれたようなイメージもある。大満足。
NWHはお祭り映画的な存在でありながら過去作に手を差し伸べ、なおかつ客演キャストに食われることなく主人公を描き切る丁寧な姿勢において『仮面ライダージオウ』に通じるものがあり、大胆さの中にリスペクトを併せ持つマーベルスタジオの手腕が遺憾無く発揮されていたように感じられた。当然、ドクターストレンジでもマルチバースを取り扱うとなればNWHとは全く異なる切り口で傑作となるのだろうと大いに期待した。だって同じことやってもつまらないからね。
・ドクターストレンジは映像娯楽としても最強の魔術師
で、マルチバースオブマッドネスを観た。確かにこれは…ちゃんと面白い。
一旦まずは視覚効果の部分だけの感想を述べておこう。前提として、ドクターストレンジの戦闘魔術はわりと物理的だ。光るロープで縛り付け、魔法陣を飛び移り、宙に浮く回転ノコギリでバスを切り裂き、エネルギーで生成した剣で敵に立ち向かう。「カラテの強い者が勝つ」というニンジャスレイヤー世界の基本のように、バトルシーンは力強く、トリッキーなのに単純明快なのだ。今作もそういった視覚的な楽しさは健在である。
「超能力という荒唐無稽な題材だからこそ、決して茶化さずに全力で演出する」というMCU作品の理念が活きている。突然の空中楽譜バトルが始まるなど少々コメディチックな描写もあるが、それも至って真面目であり気まずい沈黙を埋める為の逃げの選択肢ではないのだ。おい、聞いてるかパシフィックリムアップライジング。あのロケット出撃シーンは許さないからな。
そんなわけで、ストレンジ先生のアクションが好きな自分としては映像娯楽的満足度は非常に高かった。2時間の尺で飽きる時間が無かったくらいなので間違いない。
・ドラマシリーズ未見でも大丈夫!
内心「ディズニープラス未加入勢は置いていかれるんだろうな〜…」と諦めながら観に行ったところ、意外にも親切仕様だった。ワンダの身に何が起こったかざっくり説明してくれたし、カーターが超人血清を打った世界線はマーベルレジェンド(ハズブロのアクションフィギュア)で出ているからなんとなく知っている。予告編すら見たことのない作品でさえオモチャで軽いネタバレを喰らうというのはよくある話だが、今回はその程度の軽い知識でも十分楽しめた。
これは非常にありがたかったし、今後のMCUを追う上での指標にもなる。なので『マンダロリアン』もしくは『ゲボイデ=ボイデ』が観たくなってから加入しようと思う。ゲボイデは放送分を録画してあるが。
・"マルチバース"自体がいつも面白いとは限らない
先述のNWHに限らず、今までのヒーロー作品におけるマルチバース共演といえばお祭り的な扱いになりやすく、シリーズファンの期待を超える特別な存在となるべくして作られたものが超大作の座に君臨するというのが定番だったように思う。
「マルチバース→驚きと感動」という命題が成立しているようなものである。では今作はどうだったか。
マルチバース要素はあんまり面白くなかった。
物語の大筋としては、別の宇宙での戦いからマルチバースを跳躍する力で逃げ延びた少女と、それを狙ってマルチバースを超えてストーカーとして奔走するスカーレットウィッチ、そしてその渦中のドクターストレンジが戦うというお話。だが、マルチバースである必然性はどれほどあっただろうか?
・マルチバースは"驚くべき別世界"か?
「驚くべき別世界の描写」という点で、MCUはこれまで散々現行宇宙と地球上をこれでもかというくらい駆使してたっぷりと描写してきた。
北欧神話の神々は宇宙人の一種であるという設定に始まり、未開の国と思われていたワカンダは超技術国家だったり、ガーディアンズオブギャラクシーの面々は宇宙の荒波の中で旅をしたりなど、優れた異世界描写はMCUの得意技であった。
比較的新しい『シャン・チー』も地球の出来事でありながらおとぎ話のようなファンタジックな戦いへと転がり込んでいく作品であり、異世界のもつワンダーを魅せる映画となっている。
この驚きは「あくまでも同一の宇宙(=ユニバース)である」という事実によって互いをつなぎ合わせることにより、MCU作品群の最大の魅力の一つとして昇華されたものである。
世界の在り方の多様性が観客を魅了し、それらに点在していて全く異なるモノ同士がユニバースという線によって関連づけられていく。そこには大いに驚きと感動があり、紛れもなく"ユニバース(=同一の宇宙)"という揺るぎない土台の上に立つリアリティの為せる技であった。リアルと荒唐無稽が渾然一体となっているからこそMCUは面白いのだ。
「マルチバースはなんでもアリだ」
別宇宙同士を物理的に繋ぐ描写さえしてしまえば、何をやってもいいのがマルチバースである。窓を開ければその先に無限の混沌が広がっている。ユニークな描写はいくらでもできるし、元の世界(MCUユニバース)を見つめ直したり、引き立てたりすることも出来るだろう。
だが、MCUの宇宙はリアリティに裏打ちされた混沌を既に持っている。それはひとつの宇宙の内で通用する理屈を伴った高度な混沌である。
一方、マルチバースの混沌はリアリティ無視の「なんでもアリ」で、言ってしまえば"型無し"なのだ。空に穴が開いて宇宙人が攻めてくる一時期のブロックバスターSF映画の流行と同じくらい安直で、表現技法として単体で見た魅力はそれほど豊かとは言えない。
何より今までMCUが積み重ねてきた「意外性を創出するための型としてのリアリティ」を外部から台無しにしてしまっている。元々リアルである必要のないものが現実とかけ離れていたところで、そこに驚きが生じることはない。
さらに追い討ちをすると、ドクターストレンジは最初から「地球上の別の場所に続くポータルを開く」という驚異的な魔術描写を多用してきている。この作品世界に地球上ではなく別宇宙に続くポータルが開いたところで、絵的にはほとんど同じなのでパッと見の目新しさはほとんどないのだ。スパイダーマンにマルチバースが介入した時とは異なり、こればかりはストレンジ先生との食べ合わせの悪さが出てしまった。(地球上どこでも行けるんだから別宇宙に行ってもいいよね、という説得力のある扱い方と好意的に捉えることもできるが…)
・マルチバースは"己と向き合う鏡"か?
マルチバースの別の自分を目の当たりにすることで、現実の自分の在り方を問い直すというのも本作の大切な主題のひとつだ。一人でベストを尽くしたがるドクターストレンジは誰かを頼りながら戦うという新しい道を発見した。あるいは、頼ることは今までも出来ていてあとは自分の心が認めるだけだったのだろう。こういったヒーローの自問自答の材料としてマルチバースは適材である。
とはいえ、MCUは丁寧に作り込まれたシリーズなので「あり得た可能性や後悔と向き合う展開」は近年の作品に豊富に盛り込まれている。
エンドゲームでは主にアベンジャーズのBIG3(アイアンマン、ソー、キャプテン・アメリカ)に集約されていたが、彼らは過去に飛ぶことで自分自身の気持ちに結論を出し、終結(エンドゲーム)を迎えることができたのだ。NWHも歴史のIfにマルチバースでメスを入れ、別の道を切り拓くことに成功している。
それらの実績を踏まえると、本作のマルチバース活用は「エンドゲームの時のようにタイムストーンが使えなくなったからマルチバースでやるしかない」という逃げの一手に思えてしまった。合理的な選択ではあるが、直近の映画作品であるNWHと立て続けにマルチバース要素を盛り込まれてしまうと「こっちのマルチバースはそんなに面白くねえな…」と比べてしまうのが性である。作品群全体を追うファンが多いユニバース映画としては公開順も配慮した方が受け入れやすかったのではないだろうか。
異世界描写においても、キャラクターの掘り下げにおいても、MCUのやろうとしている本質は変わらない。それは結構なことである。だが、同じ題材を描こうにも「ユニバースというリアリティを描き尽くしてしまったことで、なんでもありのマルチバースに頼らざるを得なくなった」と捉えることもできてしまう。これは必然的な順応であり、ある種の退化である。
強いて言えば、今作のように「全然盛り上がらないようなマルチバース映画をやってもいい」という土台作りにはなった。これは今後マルチバースの活用法の模索の自由度が広がり、マルチバースを"お祭り映画の代名詞"から解放する助けとなるだろう。
"マッドネス"という免罪符が生み出す悪食
本作はスーパーヒーロー映画でありながらホラー映画の要素も併せ持つ。"存在しない家族"を求めて宇宙をも超えるワンダの執着心が様々な惨劇を引き起こしていく。ここはかなりサム・ライミ監督の色が濃く反映されているように感じられたし、唯一無二の魅力を放っていた。
しかし、引っかかる点は大いにあった。まず、本作のヒーロー側の論理は「宇宙は守るべきだが、アメリカ・チャベスというたった1人の少女も犠牲にはさせない」というもので、これは勝利の為の犠牲についてMCU界で最も真剣に考えていたストレンジ先生の本質に迫るものである。
当然だが、彼女を守りながらスカーレットウィッチに立ち向かうという困難に挑む過程で様々な犠牲を生じることとなる。大義の為に散っていく魔術師軍団には所謂"モブキャラ"にしか演じられないヒーローの生き様を見せつけられたものである。絵的には派手だが、軽々しく死んだわけではないと受け取ることができただろう。
ここで、最もインパクトを残したであろう別宇宙所属の集団が登場する。ドクターストレンジが訪れたマルチバースのひとつに存在したヒーロー組織、イルミナティである。
彼らはMCU映画で未登場ながら過去の実写作品に合わせたキャスティングであったり、『What's If?』で活躍したばかりの(※未視聴なので憶測です)鳴り物入りヒーローなどが名を連ねる凄まじいグループである。MCUの本筋に組み込むのが難しいキャラクターたちをマルチバースの助けを借りて本編に介入させるという、実に挑戦的な試みだ。そこまでは評価したい。
問題なのはその扱いである。イルミナティは全員かませ犬である。堂々と現れ、検討外れな推測を披露し、そしてメンバーの大半があっさりとスカーレットウィッチに惨殺されるのである。
…ブラックボルトはマトリックス1作目みたいな有様で脳を破裂させて死亡、ミスターファンタスティックはところてんになってズタズタ、キャプテンカーターは自分の投げた盾を打ち返されただけでAパーツとBパーツに分離、キャプテンマーベルは少し頑張ったけどパワー負け。
キャスティング的にも役割的にもイルミナティ一番の大物であるプロフェッサーXはお得意の精神世界で戦おうとするも、首をへし折られて死んだ。…
──なんて無様なんだろう。
…ここでの問題点は大きく分けて二つである。一つは「犠牲の重みを描くはずが、死を軽々しくおもしろホラー描写として描いてしまった」というアンバランスさ。もう一つは「キャラクターへのリスペクトを意図的に踏みにじった」という暴挙である。
前者についてはこれはもう、やりたいホラー描写とストーリーのテーマの食べ合わせが最悪である。最初から荒々しく死人を出しまくり、惨たらしさの中に光明を見出すようなダーティでダークなヒーロー作品も数多く存在しているが、ドクターストレンジはテーマはもう少し繊細で人の心に寄り添ったヒロイズムを取り扱うものだった。結果として、作品に通底する倫理観の軸が著しく揺らいでしまう結果となった。
後者についても、過去のMCUは各キャラクターのパーソナリティや立場を補強したリスペクトのある描写が主体であったはずである。たまに適当な扱いのヴィランも居た気もするが、初っ端からコケにして面白おかしく死んでもらおうというスタンスを取ることはなかった。アメコミヒーローの実写化である以上は源流であるアメコミへの敬意があり、丁寧な積み重ねがあったからこそそれぞれのヒーローを好きになることができたのだ。
それに比べて、無力さの象徴としてサクッとくたばる為だけに呼ばれてしまったキャラクターたちは悲惨である。ちょっと光ってすぐ死ぬ虫ケラのような扱いには辟易してしまったし、イルミナティのキャラのファンじゃなくて良かったと胸を撫で下ろしてしまった。ファンを喜ばせるだけがアメコミ映画の目的ではないが、そうは言っても徒にシリーズファンにウジ虫入りのピザを食わせるような真似はしてほしくなかったところである。予想外を通り越してやや不快な印象が残った。
"マルチバース"はつまらないし、マッドネスはもうたくさん
まとめると、
◎ユニバースという縛りの中で多様性を前面に押し出して作るからこそMCUは優れた作品群であったが、"マルチバースはなんでもあり"だから説得力が低下してしまった。
◎犠牲の重みを描く過程で犠牲者を軽々しく描写してしまい、食べ合わせが悪く倫理的な矛盾がノイズになってしまった。
マルチバースはつまらないし、マッドネスはもうたくさん。それが感想である。
端的に言えば本作は期待はずれだった。だが、私にとっては期待はずれだったからこそ別の層には刺さるものがあったのも間違いないだろう。
蓋しMCUは「期待通り・期待以上」のフェーズを終了し、「期待外」の探求に移行したのだ。ドクターストレンジがMCUの枠組みを破壊したのを皮切りに、あらゆる客層を開拓する運動へと繋がっていくならば大変喜ばしい。同時にMCUを追ってきたファンとしては覚悟が試される(もしくはもっと気楽に構えるべき)時代を迎えたのだろう。離れるにしろ追い続けるにしろ、無理なく付き合っていきたいものである。
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