【中国日誌】1176日目 24.11.13

凄い人がそれを発するから凄いのか。人は関係なく発するそのものが凄いから凄いのか。恐らく、私たちは、これらを分解して、見ることはできないのである。凄いの、範囲を、明確に区切ることができない。ここからここ迄が、凄く、それ以外は、凡庸、といった形で、見ることができない。これは、慣性力にも似た、または、安易に一を全としてしまうファスト思考的な、ものが原因であるように感じる。凄い人が何かを発したのだから、凄いに違いない、だとか、凄いものを発したのだから、その人は、凄いだとか。切り分けずに、因果から、本来は、不可逆で、はたまた、相関関係と混同して、前後を反転させたり、無意味な演繹法を、用いたりする。しょうがないといえば、しょうがないのである。私たちは、過去を思い出すことによって、今と同質のものにすることができる。想像という能力で、それらを、自由に、紡ぐことが、できる。だから、過去が未来に代わったり、因果関係のないものが、繋がったりする。だから、凄くないのに、凄い人が発したからと、人々が協力して、意味を勝手に付与していき、凄いものとして、凄いものへと作り変えていく。そうして、矛盾が、解消されるのである。ここからわかるのは、みんなが信じたものが、真となる、という事である。みんなが、そう信じたいから、そうなるのである。凄い人は、凄いものを発するし、凄いものを発する人は、凄い人なのである。みんなが、そう信じている。だから、両方とも、正しくなる。信即ち真の世界に感謝を。

朝4時半に起き支度と日課。8時に出社。18時に退社。22時半に寝た。

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世界観ノ創造
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