ドッペル原☆画たろう①
〜原画コメンタリー&雑談ノート〜
①原画「軟骨さんの扉絵」より
《 はじめに 》
私のX(Twitter)でたまに流している「原画を再撮」。押し入れにしまっていた自分の漫画の原画を引っ張り出してきてスマホで撮影してUPするというやつですが、どうせならその原画をつまみにして私、佐藤達木が漫画や創作に対して思ってる事、やりたい事、自分の中にある言語化しないで流しているような感情、日常生活のことやらなにやらを長すぎない程度に話してみようと。そんなわりとユルいシリーズです。ちなみにタイトルには「原画」と「ドッペルゲンガー」と「漫☆画太郎」先生と「語ろう」の四つがかかってます。ヒマな時に気分次第で更新します。
今回はその第1回目。
原画は「軟骨さんの扉絵」です。
●今回の主な内容
☆原画「軟骨さんの扉絵」
〈登場ワード〉
「ヒエロニムス・ボッシュ」「快楽の園」「トランヴェール」「吉田初三郎」
☆自分にとっての原画って
〈登場ワード〉
「自己像幻視」「AI」「愚直に」
☆そもそもなんでこんな記事を書くのか
〈登場ワード〉
「今回の肝」「現在51歳」
☆忘れないように
☆おまけのイラストカット
(描き下ろし)
●軟骨さんの扉絵
初回の原画はもちろん軟骨さん(というかそれしかありませんが)からなんですが、度々言ってますが、この見開きの原画は非常に苦労しました。いや、一番最初に苦労したと言うべきなんでしょう。
編集さんに本文始まって2-3p目にドーンとインパクトのある、「これぞ佐藤達木の漫画である」「なにこれ?こんなのみたことねぇ」「何がはじまるの?」と思わせるような絵が欲しいですねとの事で色々と絵の構成とか企画の始まりの段階から考えてました。編集さんからの案としてヒエロニムス・ボッシュの「快楽の園」みたいな「わけわからん生き物が画面にうじゃうじゃいるような」やつというのはどうでしょうということで、それも頭に入れて考えてました。ボッシュの絵は魑魅魍魎がいて好きでしたし、それこそ敬愛する水木先生にも似た妖気が画面から出ています。
企画の構想中に実家に新幹線で帰省した時車内でみたトランヴェール(JRの旅冊子)をみてましたら、東北の十和田湖辺りの鳥瞰図(昔観光用に描かれたもの)が面白いなと思い(吉田初三郎だったかな?)、大正昭和の鳥瞰図風に画面を構成しようと思いました。軟骨さんの隠れたテーマに「都会と田舎」や「人工と自然」みたいなものもあったので丁度いいやと。その軟骨ジオラマ上に自分が昔から絵で描いていた色んな生き物、キャラクターを配置して、濃厚なトーンで味付けして。一ヶ月?くらいか、もっとかかったかも。
途中途中編集さんにチェックしてもらいましたが、「まだ薄いかもしれませんね」ということで密度を上げて上げて、これなら誰も文句言わないだろうという密度までなんとかもっていけました。しかしまさかこの時は、基本、このトーンでいくなんて誰が思いますか??(涙)
いや、まさかね、扉絵だけだと思ってましたよ私も。扉絵はしょうがないと。バーン!イッタレと。わかります。「基本全編このトーンで、背景のないコマもちょっとトーンつけて、濃い感じで」と編集さんに言われた時は焦りました。これがプロの世界か…。いや違うんですけどね、プロは濃い感じにコスパ無視で点を打ちまくるべし!誰よりも点を打つべし!じゃ、無いですからね。編集さんが言いたいのは、佐藤さんの絵柄ならそのトーンで貫いた方がいい、と言う事だと思うし、実際そうでした。薄い段階の原稿のコピーが残っててそれを後で見返すと、やっぱり違うんですよね。物足りない。編集さんはたくさんの作家さんの作品に触れてるから完成系が見えてるんでしょうね。感謝です。
●自分にとっての原画って?
今回のこの企画のタイトル「ドッペル原☆画たろう」のドッペルゲンガーの意味ってWikipediaで見ると「自分自身の姿を自分で見る幻覚の一種」「自己像幻視」とあり、これってつまり自分の描いた漫画だよね、この原画のことだよねと思ったんですよ。自分自身をキャラとして登場させてると言うことじゃなくて、絵自体がそう言うものじゃ無いかと。そういうものというか、そう言う性質を含んでいるだろうと。
いや、他の漫画家さんはそうじゃ無い方もおられると思います。絵はとりあえず何か説明できるものであれば良くて、全部AIに描かせても構わないという作家さんもいるだろうし、自分も最近はめんどくさいので全部AIが描いてくれよと思う時もあります。いや、冗談です。ん?まんざら冗談でも無いか?
AIを活用した漫画での作画については以前Twitterでもふれたことがあるのですが、アシスタントがわりとしてなら全然ありだと思います。自分の原稿を学習させて自分の画風で描いてくれるならいいじゃないですか。特に自分のような恐ろしくコスパ、タイパの悪いタイプの絵柄ならなおさら。
脳内シミュレーションしてみた事もあります。ネームを描いて一コマごとにAIに指示を出す。それなりの絵が上がってくる。しかしですね、私はトーンすら自分でその時そのコマに合わせて即興で描く人間なんです。するとどうなるかと。気に入らない。「このコマのトーンのグラデーションはここの位置にピークがくるように変えて」とか、「集中線とグラデーションのミックスで、曲線的に」とか、いちいち指示し直しになるんです。絵は感覚的なので指示を言葉にするのも難しいことも多いでしょう。それでも自分で点を打つよりは早い(はず)なので、修正指示に時間がかかるが全部自分でやるより早いという感じになるのかなと。私は絵を描きたい人間なので、やはり最終的には自分で描いちゃいそうですけどね。
自分の漫画の大まかな作り方は、話やネームはそれなりにガッチリ考えて、絵の演出効果でプラス持ち上げる感覚です。話が強い、絵が強いというタイプでもなく、それぞれが弱いとこを補完し合ったバランスの上になんとか成り立ってる漫画という印象で作ってます。話がつまらないのも嫌だし、絵に魅力が無いのも嫌ですが、自分の漫画においては、とくだん優れたお話である必要も無し、デッサンが鬼上手くある必要も無し、と思ってるかもしれません。
下書きは嫌いでとにかくペン入れをしたいタイプです。地味な下書き作業は本当に苦行で、もっと絵がうまかったらちゃちゃっと位置だけ決めてペン入れできるのになといつも思いながら愚直に描いてます。
●そもそもなんでこんな記事を書くのか
あまり長くならないようにと最初に言いましたが、すみません、やはり初回はちょっと長くなりそうですね。自分が他人の記事を読む時もある分量をこえると「長いな」と思ってきて、集中できなくなってくるんで、手短にいきたいんですけどね。
そもそもなんでこんな記事を書こうと思ったのか。最初に書いとくべきでしたが、漫画で言うと導入部分は大事で読者をひきつける要素でひっぱりたいので、「原画」をまず見てもらう事にしました。その上で関心を持ってくれた方にここまで読み進めてくれる事を期待した構成にしました。ここからが今回の肝です。
私は現在51歳なんですよ。初めての単行本「軟骨さん」も50歳の時点で出版させていただきました。全てはここ。デビューが50歳の漫画家が何を考えるか、どう生きたいか。
自分はこれまで創作の裏話とか、日々何を考えて漫画を描いてるか、何を思って日々暮らしてるかを実はあまりちゃんとテキストで書いてこなかったんですよ。Twitterでちょろっと呟いたりはしますけど。私のTwitterを見た方は「ソフビの話ばかりしてる人」「色んな絵を描く漫画家らしからぬ謎の中年」「昭和の残党」といった印象が強いと思います。それは当たってます。が、漫画のこと、創作についてそれなりに考えてもいるんですよ、実は!(意外にも!)
自分はあまり作家風情な感じを出したく無い、アーティストなムーブをとりたくない、というのが信条でやってきてたかもしれません。創作論を熱くかましたくない、そういうのは若い頃に済ませたつもりだ、とかね。つまり逆にカッコつけてたわけなんですよ。むしろ意識しすぎるからそうなったともいえるというか。でもね、もう51歳なんです。そろそろかっこつけない、かっこ悪いこともしていかなきゃな、と最近思うわけです。聞かれても無いのにベラベラ自語りするのはダサい。けど、自分から記しとかなきゃ誰にも伝わらない、無かったことになる。もう時間が無い。
それと、テキストを読んでくれて、そっち経由で私の漫画に興味を持ってくれる方もいるかもしれない。自分もインタビュー記事自体が好きでよく読むのですが、その人、その分野についてそれまで全く興味が無かったけど、記事をよんだら関心がわくという事がよくあるので、テキストも書く意味があるなと思うわけです。
●忘れないように
なんてことを言ってますが、日々の暮らしにあくせくしていると、そんな事も忘れてしまいそうになるんです。私は漫画家だけやってるわけでもないので、日の半分は生活の事で頭が埋まっていく。自分は漫画が描けるのか?と自分を疑いそうにもなる。そんな時、自分の描いた漫画、原画、そして思いを記したこのテキストが足がかりになると。この記事は自分にとっての創作ノートでもあるのです。
●おまけ(イラスト)
おまけで描き下ろしのイラストを。最後は丸くおさめようと。ここまでお付き合い頂きありがとうございました。ではまた。
by 佐藤達木
(2024年5月)
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