トラペジウムの光
ご無沙汰してますね。
5月に入って2本映画を見ました。
まず1本目はアニメ映画"トラペジウム"です。
賛否両論のこの作品で、私も最初は批判的でした。しかし数日の間咀嚼するうちに、見えてきたものがあった気がします。なので、書きます。
2本目は、これもまた話題作"関心領域"を見ました。
なかなか先鋭的な作品で、私の手にあまるといった作品でしたが、こちらも思うところは沢山あったので後日何かしら書ければと思います。
そんな感じで、
今回はトラペジウムの光について。
トラペジウム光線、ご存知ですか。
アニメ映画"トラペジウム"を見て狂ってしまったオタクたちがよく以下のような使い方をしているようだ。
"トラペジウム光線を受けて脳がやけた"
"トラペジウム光線が眩しすぎる"
などなど。
つまるところこのトラペジウム光線の正体は、トラペジウムという作品から発せられている光だと考えています。
(違ったら過激なオタクの皆様ごめんなさい)
作品から発せられる光とは、なんぞや。
まず、主人公の東ゆうが光って見える件から。
さて、この東ゆうに共感できる観客は少ないだろう。
かくいう私も、原作を読んだ今でさえ全く共感はできない。
なぜなら、東は自身の夢のためなら利用出来るものはなんでも利用するし、価値のないものは切るし口も悪い独善的なサイコパス女だがらだ。
しかし、観客は東ゆうに共感こそできなくとも、彼女に光を見出すことはできるであろう。
なぜなら、この女は自分の夢のためには常にストイックな女だからだ。
そんなストイックに夢を追い求める姿は、多くの何も持たない人間にとって眩しく、光のように見えるものだ。
何かを頑張っている人間は、眩しい。
それだけのシンプルな答えでいいだろう。
そして、この"トラペジウム"という作品そのものも光っていると感じてならない。
原作の話になる。
現役アイドルが活動の傍らで書き上げたデビュー作。
読んでいて拙いと感じる箇所は、素人の私にもあった。もっと東の動機を掘ってくれとも思った。
それでも、文章からは作者の熱を強く感じた。
まさしく、何かを目指し光を放つ東ゆうのように、この作品が完成して世に出ているという事実こそが、光って見えるものだと感じる。
このように、
トラペジウムは光に満ち溢れた作品だ。
光は影を生むが、それと同時に新たなる光を生み出すことができると私は思っている。
ここまで考えたところで、やっと私はこの作品の光を肯定できるようになったと思う。
とにかく、何かをはじめよう。
トラペジウムが生み出した光の影にならないためにも、踏み出そう。
夢に向かって歩み続ける人間は、他人から光のように眩しく見えているのだから。
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