私達は常にたくさんの愛に包まれていたし今も包まれている。
今日はクリスマス。
子どもの頃、クリスマスの朝を向かえるのがとてもとても楽しみだったのを思い出す。
私の家は裕福な方ではなかったので、手袋やちょっとしたおもちゃとか、そういうプレゼントがちょこんと足元に置かれていた。
それでも「サンタさんきたっ!!」と
とてもとても嬉しかったし、毎年、今年は何だろう?と楽しみにしていた。
(うちにはサンタさんがリクエストした物をくれるシステムはなかったし、そもそもサンタさんはその子に合った物をくれるのであってリクエストをするものでもないと思っていた。笑)
お父さんとお母さんが、ちゃんとサンタさんになって、姉・兄・私、3人の子ども心を大切に守ろうとしてくれていたのを思うと、温かい気持ちになるし感謝しかない。
どんな気持ちでプレゼントをコソコソ置いてくれてたのかな。
私達のサンタさんになれることを幸せに思ってくれてたかな。
今日は朝起きたらそんな事を思い、とても幸せな気持ちになった。
クリスマスって素敵な日だ。
私は元から涙もろいのだけど、最近更にすぐに涙が出る。
これを書いている今も、父と母がそれぞれ仕事と育児で大変な状況でありながら、(父は基本的に仕事が多忙、母は2歳ずつ離れた3人の子どもをワンオペ。バブル崩壊で父がリストラされるかもという不安とたぶん収入も減っていた事もあってか2人はよくケンカをしていた時期があった…)私達3人を一生懸命育ててくれた日々を想うと何だか涙が出てしまう。
2人なりに一生懸命私達に愛を注いでくれていたし、子どもの頃の写真を見ると、誕生日は必ず手作りのご馳走やケーキがズラリ。
毎年家族皆でキャンプやディズニーランド、公園によく行っていた時の写真もたくさん。
日常のくだらない写真もたくさん撮ってアルバムに納めてあり(私が変なポーズしていて母も同じポーズのやつとか、兄が変顔で姉がお尻出してる写真とか。笑)、父と母の2人が私達子どもを楽しませてくれようとしたこと、日常のささいな場面も微笑ましく思いながら写真を撮ってくれていた事を思うと涙腺崩壊だ。
今ティッシュを鼻に詰めた。笑
最近、私はやっと精神的に自立してきたのかな。
私の親も不器用な2人なので、他の親と比べてしまいなんでうちはこうなの?!と親に対してトゲトゲしい気持ちを持っていた時期もあった。
態度に出さないにしても、心の中では割と最近まであったかもな、トゲトゲ。
けど、最近は2人にとても感謝の気持ちが湧いてきていて、子育て中真っ盛りの親の日々に想いを馳せることが多くなった。
少し大人になれたのかな。
本題の話になる前の前置きが長くなってしまった感があるけど、、笑
私は2人からたくさんの愛(不器用な愛も含め)をもらって育ててもらったのだな、と実感できるようになってきた。
それもあるし、最近、とても思うことがあったので愛について書きたいと思った。
しかもたまたま早起きをした今日。今書く必要があると思った。
私達は基本的に愛を求める生き物だ。
子どもなんて正に、親の愛がないと生きられない、命に関わる大問題とばかりに愛を渇望する。
その愛を得るために、自分の気持ちを押し殺していい子を演じたり、逆に心配させるような行動を取ったり。
親の愛をもらうために必死になる。
愛については、多くの人々が悩まされたりもするし、幸せを感じたりしたこともあるだろう。
恋愛の中で語られる言葉であったりもするし、よく親子間の話や保育の中でも『愛情』というワードは登場する。
愛はよくよく聞くワードでもあるし、ボンヤリとしたイメージはあったのだけど、私は『愛』という概念がいまいち自分の中でピンと来なかった。
けれど最近「これが『愛』か」と、愛という概念がはっきりしてきてたような感覚と、
愛というモノの偉大さ・乾くことのない美しいものが無限に湧き出るような豊かさを感じるような感覚があった。
私達は日々、親やパートナー、友人、その他自分と関わる人々、生き物、食べ物、自然、宇宙etc.…から愛をもらって生きている。
この事は前から知識としては分かっていた事ではあるのだけど、実感を伴っていなかった。
しかし最近、何だか実感が伴ってきて、自分が過去に受け取ってきた愛や、今の日常の中で受け取った愛を十分に感じて味わうことができるようになってきた自分がいる気がするのだ。
それはここ数年私が
「自分を愛して大切にしたい」
ともがいてきて、最近少しずつ自分を愛する事ができるようになってきたからなのかも知れない。
前から人に優しくしたい、という意識はあったけど、それは人に嫌われたくないからという気持ちの裏返しでもあった気がする。
今も人に嫌われたくない意識も多少はあるのだろうけど、前の自分とは何だか違う。
自分にも人にも優しく、愛を持って接したいと強く思うようになってきた。
そして更に
(ここからやっと1番書きたかった本題。笑)
私達は、
人や自然から愛を受け取っているだけではなく、私達の日常の中に当たり前のようにあるインフラや生活の中で使われている便利な物、娯楽の数々や最新技術etc.
それらも全て愛だと思ったのだ。
例えば冷蔵庫や洗濯機、エアコン、電子レンジ。
これはだいたいの家庭に当たり前のようにある家電だけれど、これらが当たり前のように私達の手に渡るために、どれだけの人々のエネルギーや愛があったかを想像すると何だか畏敬の念が湧いてくる。
先人が昔から少しずつ積み上げた技術の数々、それらを学びつつその中での試行錯誤、自分や人々の暮らしを便利に豊かに、快適にしたいという想い…愛。
スマホなんてもはや私達の身体の一部。
こんなにも小さな物体に最新の技術がぎゅっと詰まっていて、こうやってネットが出来たりタッチパネルで繊細な動きにも対応。極めつけにカメラはかなりの高画質。
私達は当たり前に使っているけど、スマホを作ってと言われたら作れる人なんて今生きている人の何%だろうか。
どれだけの人々の知恵や技術、想いや愛があってスマホはここまでの形に作られたのか。
そう思うと、気が遠くなる程の技術の積み重ねと人々の想い、愛が詰まっている物に感じられる。
水道やガス、電気、インターネット回線がどこの家にも届くようになったこともそう。
電話も然り。
電話を発明した人は、どれだけたくさんの人に愛を与えたのだろう。
飛行機や、電車や車も。
家やマンション、アパートが建てられ、その中で当たり前に快適な生活できるようになったことも。
ゲームや音楽、映画、動画も。
私達は先人たちが積み重ねてきた膨大の愛をすでに受け取っているし、愛が溢れている日常の中に生きているのだ。
お味噌なんかを見てても感慨深く思うところがある。
日本人に当たり前に馴染んでいる美味しいお味噌も、先日の知恵と技術、愛があって今も私達の食卓にのぼっている。
子どもでかなりの偏食の子でも、お味噌汁だけは飲むとか、お味噌汁に入っている野菜だけは少し食べれるとか、そんな事も多いからお味噌は本当に偉大ですごい。
茶色い愛の塊に思えてくる。笑
そんなこんなで
身の回りにある1つの物に対して、これまでの歴史や想いを馳せてみたり想像してみたりすると
え!!!
あれも、これも、それも…?!
と、際限ない愛を感じるようになって
私の周りはかなりの愛で溢れている…
私はずっと愛に包まれて生きてきたし
今もたくさんの愛に包まれている
と感じるようになってきた。
自分の脳は何かにやられてしまったか?!と思うくらい。
そのくらいの変化に戸惑っているが、私の日常生活の幸福度は爆上がりだし良い変化だと思うので、脳がやられていたとしても別にいいしそれはそれで幸せだ。
私が今このように感じられるようになったのも、私が私を愛したい、好きになりたいともがいてみた結果なのかも知れない。
結果と言うか、自分を好きになり始めている過渡期、なのかな。
なので、私は私に心からありがとうを言いたい。
たくさん辛いことがあって辛い想いもしてきたけれど、ここまで一生懸命生きてきたこと、自分を好きになろうと、愛したいと、もがき続けてきたことに。
そして、クリスマスにこの文章を書けたことが、自分に自分でプレゼントできたような感覚でとても嬉しい。
そう言えば最近飲んだ居酒屋さんで
志村けんの名言ワンカップというのがあって頼んでみた。
「人間には“無駄”が必要なんだ。」と書いてあった。
私もそう思う。
無駄と思われることが無駄じゃないことがたくさんある。
ぼーっとしている時間がとても大切だったり、無駄なジョークで気持ちが和らいだり、日常の忙しい日々にポッと訪れる余白が気持ちを救ってくれたりする。
志村けんという偉大な存在も、たくさんの愛に包まれ、触れたからこそあのような愛のある人になったのだろう。
正社員を続けていたら、今のこの私はいなかっただろうな。
そう思うと正社員を辞めて、余白を作ることができて本当に本当に良かった。
自分の内側と向き合う時間を作れたし
自分を大切にしようとする少しの余裕も作れたから。
今は色んな職をちょこちょこしているから、色んなコミュニティに属したり繋がりがあって、ありがたいことに色んな人からお誘いがかかる。
昔からの友達もだし、前の職場の人達もよく会いたがってくれる。
なので、ありがたいな~ぜひ!と気を抜いていると予定が詰め詰めになっている事も多く、焦る。
それもあってか、ひとりの時間がとても尊く感じてきている。
自分のためだけの、自分の心と対話する時間。
自分が心からしたいと思っていることを自由にやっていい時間。
だから、
人との繋がりも大切にしたいけど、自分ひとりの時間も大切にしたいな。
ちなみにクリスマスの今日は姉と一緒に過ごす。母にもらったデパートの商品券を使って、2人が欲しい革靴を買いに行く約束をしている。笑
美味しい物も食べようねって。
大好きな姉と過ごせるクリスマス、楽しみだな。
クリスマスや年末年始の雰囲気が好き。
皆が忙しい日常から少し解き放たれて、大切な人達との時間を過ごそうとする優しい空気感。
凛と冷えた空気の中でキラキラ光るイルミネーション。
イルミネーションもまた、寒さを少しでも温かくしたいとか、人々を喜ばせたいという愛の光なんだろうな。
クリスマスや年末年始の時間、少しでも心から安らぐ時間になりますように。
余白の時間で、心にも余白を作れますように。
自分にとって本当の幸せは何なのかを少しでも考えられますように。
たくさんの愛に気付きますように。
メリークリスマス。