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本を読み残すということについて

Suicaは言うまでもなく、チャージして使うものである。しかし、それは私にとっては当たり前ではなかった。
というのも、地元で以前使っていたPiTaPaはチャージしなくても使えるからである。使った分だけ銀行から後で引き落とされるポストペイ方式を採用しているためだ。残額が0円と改札に表示されているのに問題なく乗ることができるのは、慣れていない人の目からは奇異に映るのかもしれない。

残額0円状態に慣れていると、逆に「カードにお金が入っている」という状態が気味悪く思えてくる。1000円札を一度チャージしてしまうと、それをぴったり0円になるように使い切ることは、普通に使っていればまずできない。それゆえに、常に半端なお金が残っていることに耐えられず、「早く使い切ってスッキリしたい!」という衝動に駆られる。とはいえ、使い切ってしまったら電車に乗れないので、Suicaには常に残高を残さなければならない。非常に複雑な気分になる。

残さなければならないといえば、手持ちの本もそうだ。手元に読む本がないと途端に手持ち無沙汰になってしまう。電車の中では見られて構わないことだけをしたいので、スマホはあまり触りたくない。そうすると、手持ちの本を常に切らさないように、そろそろ読み終わりそうだとなったらかばんに新しい本を入れておかなくてはならない。

常に読み残した本があるというのは気味悪く感じるだろうか、とふと考える。リアルの本棚だけでなく、Kindleの本棚にも読みかけがあるので、実際のところ手持ちの本が切れる、という状態は考えにくい。しかし、電子書籍というのはスマホだと小さくて読みづらいし、車内でタブレットを取り出してわざわざ読みたい本を呼び出すのは手間だから、手元の文庫本を読んでしまったら、その後は暇を持て余す。そして余計なことを考え始める。これってチャージ残高に似てるな、と。

ICカードはいずれ使わなくなるかもしれないけれど、本はおそらく人生を通して読むことになる。では本はずっと読み残しておかないといけないのか。もう本が読めない、というときにまだ読むべき本が残っているなんて、チャージ残高より後味がよろしくない。

駅に着いたので、電車を降りて図書館に向かう。本を読みに来たというよりは勉強をしに来たのだけれど、ついでに本棚も覗いてみる。面白そうな本がちらほら。
そうして本をつまみ読みしていると、さっき考えていたことを思い出す。確かに手元には、未読の本が残っている。人生を通じて読み残した本は常にどこかにあるのだろう。でも、図書館にはこんなにまだ読んだことのない本がある。それに比べたら、読み残しがあることもそう大したことではない、かもしれない。
なんだか無限の星空の下で、かえって安心を覚えるのに似ているな、と思った。