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チンパン先生の不合格体験記 USMLE step2 CK

1. 概要
2. スペック
3. 受験にいたるまで
4. 経過
5. 結果 199 fail あと10ポイント
6. その後

1. 概要
純ジャパニーズ、半チンパン、研修医2年目のDrチンパンです。
頭の物凄く悪い自分がUSMLEを働きながら挑戦した6ヶ月間の内容を記載します。

2. スペック
苦手科目:英語・国語
TOEIC 490(大学受験直後), 250(大学3年生)
TOEFL 58(大学5年生)
CBT 107位/ 117人 (正答率 65%ぐらい?)
わかりやすく言うと言語学が嫌いなチンパンジーです。

3. 受験に至るまで
学生の頃はUSMLEなど毛頭考えていなかった。就職する前の卒業旅行で、海外10数カ国を巡る中で海外には、いろんな人がいて、いろんな文化があって面白いなと漠然と考えてはいた。研修医1年目の時は、アメリカで働きたい!とか、世界一の医者になる!とか全くなかった。目の前のことをひたすら頑張ることに集中して1年を過ごした。ある程度認められて、ある程度信頼を得て、ある程度の満足感はあった。研修医2年目になると診療科も精神科や小児科、産婦人科など楽な診療科が多くあり、何をしようか悩んでいた。このまま目の前のことを頑張るか、それとも将来進む診療科の勉強をするか、悩んでいた。その時に考えたのが10年後の自分である。10年後にどんな医者になってどこで、どのような仕事をしたいのかを考えた。周りを見渡した時に、周囲の先生方が「医局が〇〇でここにいる」「医局が〇〇でこんなことをしている」など言っているのをよく耳にする。僕はそれを見た時に、純粋にこの人たちは、主語が自分ではなく医局なのだと感じた。10年後の自分を想像した時に本当にそれでいいのだろうか、後悔はないのだろうか、考えた。丁度、その時くらいに友人のY君(ECFMG取得者)と話す機会があって、具体的な将来のビジョンがあることに「かっこえぇ」と馬鹿みたいに思った。学生の時からUSMLEを取るやつは天才だ、留学するやつは選ばれた人間だ、と感じていた。しかし、もし僕がアメリカに行けば、留学すれば、周りは僕のことを天才だと思ってくれるのではないかと思った。Y君に相談すると「本気出せば半年で2CKとれるよ」というので、馬鹿な僕はそれを信じて勉強を始めた。

4. 経過 (6/1スタート~12/13試験日)
6/1~11/10:Uworld 1周目 正答率48%
最初に立てた予定では3ヶ月でUWorldを1周する。無理だった。。。
① 日々の勉強
平日は仕事終わりの17時に勉強を始め24時ごろまで勉強した。朝は7時に病院に行き単語を覚えるという生活を続けた。休みの日は、朝起きて回診があれば回診にいき、なければ近くの図書館に行き勉強するというスタイルだった。飲み会は誘われたくないから夜は、できる限り家か図書館で勉強をし、人に会わないように意識はしていた。

② Uworldの解き方
毎日最低10問、1週間200問を目標に解いていた。最初のころは、どれだけ頑張っても平日は20問が精一杯だった。同じ分野を1問といて解説を見る、を繰り返していた。知識の確認は国試の時に用いたMedilinkのテキストを使いながら頭に入れていった。知らない知識はAnkiアプリにまとめ、知らない単語はルーズリーフにまとめるという形で進めた。単語に関して最終的に4000wordほどノートに書き出したことになる。また、ずっと英語で問題を見ていると英語が辛くなるとこともあったので、問題文をまるごと翻訳にかけて解くことも度々あった。とにかく1問にこだわるのではなくひたすら解き続けることを意識してなるべく立ち止まらないように頑張った。開いてみれば正答率は50%以下、1問約2分ペースで解いていた。純粋に頭が悪い、これが私の感想である。

③ 模試
Uworld 1周目を解いている最中に、英語のわからない僕は模試を開けてしまったのである。模試は一度開けてしまうと2週間以内に解かないといけないというルールがある。丁度2000問ほど終わった頃に開けてしまい仕方なく受験した。UWSA form1 40問×4set (制限時間4時間)の設定であった。僕は結局全てを終わらすのに6時間以上かかってしまった笑。結果は3 digit scoreで144(正答率40%)である。その時の僕は馬鹿すぎてショックを受けたが、すぐに切り替えてそのまま進めることができた。考えるのは苦手である。

とにかくそこから解き続け4000問を5ヶ月ほどで解き終えた。週に約200問と考えると予定通りという考えでいいだろう。試験予定を12月の頭に設定していたので、あと1ヶ月の頑張りだ!と自分を奮いたたせていた。4000問を終えたのでUWSA form2の模試を受けてみた。これだけやったのだからscoreは200ぐらいかな、と思って結果を開けると3 digit score 156(正答率43%)????????????

なんだこれは、なんだこのスコアは、5ヶ月何してたの?、絶対無理だ!と思った。しかし、頭の悪い僕はすぐに切り替え、まぁいいかと、まぁとりあえず頑張ろうと思った。バカも突き抜けると幸せである。

11/11~12/7:Uworld 2周目(間違った問題2000問の中から1000問抽出)
残り1ヶ月で、間違った問題を解こうと考えたが2000問を1ヶ月で回すのは100%無理だと考えたので半分の1000問をまずは終わらそうと考え開始した。その頃は平日20~40問、休日60~80問ペースで解けるようにはなっていた。普通2周目は、覚えていて正答率が上がるのが普通なのだが、僕は特別だった。全ての問題が新鮮で、2回目の記憶の問題はなく正答率は脅威の47%だった。驚くべきことである。2周目に入った時点でわからない単語はほぼなくなっていた気がする。この辺りで初めて英語の文章に慣れてきた感覚が訪れていた。
寄り道:丁度この時Y君は英語論文を書いていた。僕も無性に英語論文を書きたくなり、というかUSMLEに飽きを覚えていたのでUSMLEの勉強をしながら英語論文の執筆を開始した。USMLEがきつすぎて英語論文は苦労した記憶があまりない。休日のUSMLEが飽きたときに書いており、1ヶ月半ほどでベースを書き上げた。もちろん添削はY君がしてくれた
そうこうしながら1ヶ月ジャストで2周目1000問を終わらせNBME模試に挑んだ。この時点で試験まで後1週間を切っていた。この試験でだめなら、、、突っ込もう。延期という考えは僕にはなかった。いざ受験してみるとNBMEの問題文は短めで解答時間は少し余るくらいだった。感触もよく結果は3 digit score 207だった。この結果は100回ほどみた。この時、僕はいけるかもしれないという感覚はあった。模試のスコアが良かった理由を考えると、この模試の直前に溜まったAnkiカードを大量に流し読みしていた。僕の中で、このAnki流し読みがものすごく効果があると感じたので本番前もこれで知識を詰め込もうと考えた。

12/8~12/13(本番)
最初の2日間は、模試の復習をして試験3日前にFree120を解いた。たしか正答率は55%とかで合格点に届かないレベルだった気がする。2日前にFree120の答え合わせと直前でもスコアを稼げる統計と苦手な産婦人科の問題を解いた。1日前は、Ankiカード約1000枚を一日中解いて試験にのぞんだ。

12/13(本番) 1時間×8 set
きつかった記憶しかない。問題はNBMEよりUWSAの方が近く、Uworldと同じレベルぐらいの印象だった。時間をひたすら意識しながら解いたので、ものによっては問題文の途中で、この疾患だ!とあてをつけて解答を選択することも多々あった。終わった時の感覚としては、できたという感覚は全くなく、むしろ解いた記憶がない、問題を全く覚えていないという状態だった。おそらく疲れすぎていたのだろう。

5. 結果
あまり期待していなかった、が少し期待していた。
どきどきわくわくしながら、ボタンをポチ

Fail score 199

え、、、、ショック。10ポイント、、、
さすがにかなりの時間と労力をかけていたのでショックだった。。。。
その時は、「もういいや、これでダメなら諦めようと思っていたし、、、」と自分を慰めた。

チンパン2回目受験へつづく!!!!!

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