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假屋崎省吾とすれ違ったあの日

 子供の頃の記憶がふとした瞬間に蘇ってくることは、誰もが経験することだと思う。それはちょっとした映像だったり、切り取られた一場面だったり、はたまた自分自身が過去にみた夢だったり、その記憶の真偽のほどは定かではないが、そういったものが記憶のスイッチに触れた時に脳内を巡回し、思い出として我々を懐かしめてくれる。
 私自身にも忘れられない光景、いや普段は忘れているのにある一定の周期でリマインドされる記憶がいくつかある。そのうちの一つが、あれはまだ私が小学校二年か三年生の頃の記憶である。

 その日は家族で出かけるために車に乗り、父が運転をし、母が助手席に座り、私と妹は後部座席に乗っていた。どこに出かける予定だったのかは今はもう思い出せないが、高速道路を使い、大阪方面に向かっていたような気がする。
 高速を降り、都市部の直線道路を走る景色を私は窓からぼおーっと眺めていた。カーブもなくひたすら直進するだけだったのでスピードもなかなか出ていて、子供の視界と脳みその処理からすれば、窓の外の景色は一瞬で後方へと吹き飛ばされてしまっていた。
 その中で私はある対向車とすれ違った時に心が驚いた。その車はオープンカーで、まだ小さかった私はオープンカーなど見たことがなく「変わった車があるんだな」と注目して見ると、運転席に假屋崎省吾がいた。フチなしのメガネとブロンドの長髪にカチューシャをつけたかのような前髪のない髪型、誰がどう見ても假屋崎省吾である。
 私はすれ違いざまに「あ、假屋崎省吾」と思った。
 テレビの中の人物に遭遇した私は興奮し、そのまま家族に伝えようと思った。ただその時の私はまだ小さく、假屋崎省吾なんて難読な名前を覚えているはずもなく、ましてや假屋崎省吾が華道をたしなむような人物だとは知るはずもなかった。
 私は假屋崎省吾については二、三度テレビで見かけた何で有名かは知らないがなんとなく芸能人なんだという認識で、パーソナルについては何も知らなかった。そんな假屋崎省吾の事を家族に伝えるには、自分の中にある先ほど述べたような假屋崎省吾の見た目のチャームポイントをたどたどしく述べるほかなかった。
 家族はそんな私の少ないヒントから假屋崎省吾を導き出してくれ、私に解を教えてくれた。ただ、家族は見ていないと言った。気がついてなかったのだ。私はあれが假屋崎省吾であると激しく主張した。家族はそれを優しく肯定してくれた。

 それからの私は、小学校などで友達と生で会ったことがある芸能人の話題になると、真っ先に假屋崎省吾の顔が浮かんだ。ショッピングモールで見た芸人や音楽会場で見た歌手よりも、假屋崎省吾の柔和な笑みが私の頭の中で主張していた。
 しかし、小学生が假屋崎省吾という名前と芸能界での存在理由を認知しているはずもなく、いつもぽかんとした顔をされ、すぐに私の持ち話は流されてしまっていた。いつからか私はその話題になると、自分の中の二番手、三番手のカードを切るようになっていた。そんな私に対して假屋崎省吾はいつもの柔和な笑顔で包み込んでくれた。

 何事にも流行や潮流があるのは必然のことであり、時が経つにつれ假屋崎省吾のメディアへの露出は減少してしていった。それと同時に私の記憶の中の假屋崎省吾も徐々にその存在を消していき、海馬の奥深くへと隠れ込んでいった。
 私はもう、ほとんどの日々で假屋崎省吾という難読で硬い文字列と金髪ロン毛の縁なし眼鏡をかけた優しい顔、そしてあの日どこかの道路で彼の乗ったオープンカーとすれ違った出来事を思い出さなくなった。
 あの日の人物は本当に假屋崎省吾だったのだろうか? 
 あの日なぜ假屋崎省吾は大阪の道路を走っていたのだろう?
 そもそも假屋崎省吾はオープンカーのようなチャラついた車に乗るのだろうか?
 あの車に乗っていた人物は假屋崎省吾のファッションをしたただの富豪かもしれない。あの日の出来事はもう家族の誰も覚えていないし、そもそも假屋崎省吾という人物がいた事を覚えているかも定かではない。もしかしたらあれは私の見た夢や妄想なのかもしれない。
 考えれば考えるほど多分あれは假屋崎省吾ではない事実ばかりが大きくなっていく。
 ただ、海馬の奥に沈められたあの日の出来事を、未だに私は時たまふと思い出す。
 また雑誌や広告など何かの拍子で假屋崎省吾を見かけた時、私は心の奥に暖かな親近感と懐かしい気持ちがじわりと広がっていくことを感じる。

 あの日の出来事が夢か現か、あの日の人物が假屋崎省吾か假屋崎省吾ではないのかというのは、本質的には私にとってどうでもいいのかもしれない。
 
私はこれまでの人生、そしてこれからの人生を思い起こす。
 
あの日、あの瞬間、私は確かに假屋崎省吾とすれ違ったのだ。
 


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