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国に味蕾から染まる
環境って本当に人を形作っていると思う。
と、味覚を通じて思う。
わたしは好みがてんで合わない友人がいる
洋服、家具、行きたいところ、男の好みなど、各々のセンスが問われる項目に関しては、もう完全に終わりだ
例えば、洋服で言えばわたしは韓国ガーリー、ストリートのような一風変わったデザインが好きだが彼女はniko andみたいなシンプルでていねいな雰囲気の服が好きだ
だからお洋服のおそろディズニーをする時なんて、もう喧嘩喧嘩大ドンパチである(ちなみにディズニーどっちに行くかも気が合わない)
しかし、唯一私たちが仲良くいられる理由、それは『食の好みがドンピシャ』であるということだ
2人とも餃子が好きなので、定期的に餃子会を開催しているし、食べたいものも似ているので一緒に出かけた際はとてもありがたい存在だ。
一方で、こんな話もある。
韓国の友人が日本に来た時に、焼き鳥屋さんに赴き、牛のすき焼き串をご馳走した。私にとってはとっっても美味しいものだとお墨付きのつもりだったが、彼は少し食べて、その後残してしまった。
どうもあまり口に合わないらしい。別の韓国の友人も同じような反応だった。
でもすき焼き好きな韓国人は多いのに、と思いたずねてみると、「日本人が韓国料理を毎日食べないように、僕たちも日本料理は口慣れないんだよ」と言っていた。珍しいから食べたいだけであって、とっても好きだから食べているというわけでは無いそうだ。(全ての韓国人がそうでは無いが)
確かに、そうだ。 私自身も興味本位で韓国の駄菓子を食べた際にどれを食べてもあまりにも味付けが口に合わなくてしょんぼりした記憶がある。
国によって魅力的だと思う味は違って、多分それはそれぞれの家庭の味なのだと思う。
今回は国単位、味覚単位の話だったが、実は私達を取り巻く環境は、私たち色に染っている。いや、私たちが環境色に染められているのだ。自分がそれを無味無臭であると思っているだけで、パクチー臭かったり、醤油臭かったりするのだ。
どれだけ違っていても同じ日本に住むわたしたちは同じ味に囲まれて育っているのだ
感慨深いね、
今日の歩数
6230歩
ちなみに、画像は学芸大学にある台湾料理屋CHI-FOさんの餃子だ。これ以外にも魯肉飯などがあり、そのどれもがとても美味しいし、器やお料理のビジュアルもとっても可愛い。しかし、やはり餃子を食べて欲しい。あのタレを口にした瞬間、個人的に餃子界の革命があったのだが、それは食べて実感して欲しい。長くなりそうなのでこの辺りで。ほいでは。