本州縦断フットレースR7ステージ青森-新潟433kmその6(酒田-瀬波温泉)
リッチ&ガーデン酒田というホテルを17日9時過ぎに出発しました。残りはだいたい150kmです。19日まで使うこととしたので、1日50km移動すればいいことになります。この日は、鼠ヶ関の旅館に泊まろうかと思っていくつか電話したのですが、空いていないということなので、適当に寝散らかしながら進むこととしました。
酒田で詠まれた芭蕉の句に「五月雨を集めて早し最上川」がありますが、酒田の最上川は満水状態でした。
これからはじまる研究プロジェクトでは、スマート農機も使うのですが、国土交通省管理の一級河川では、遠隔操縦の草刈機が使われていました。
ホテルで朝食をとりましたが、すこしコンビニのない区間もあるので、コンビニでおせんべいを購入。酒田の「オランダせんべい」、東北限定です。なんでオランダなのか、裏側に説明がありました。庄内地方の方言で「私たち」を「おらだ」というから、ということです。昭和37年から愛されてきたとも書いてありました。この日は気温が上昇する気配で、コンビニごとにアイスを食べてます。写真は、少しバリエーション。
コンビニがない区間もありましたが、クリーニング屋さんを覗くとアイスが売られていました。まよわず購入。
50ケロ進めばいいので、ほぼ歩きです。足の指の痛みは、両足の靴のインソールを外したところ、すこし楽になりました。ロキソニンを12粒もってきて、すでに8粒使用しているので、できるだけ温存します。民家のないところでは歌をうたいながら歩きました。庄内空港滑走路をくぐるトンネルで、車から声をかけられました。ランニング仲間のやっさんが来てくれました。感謝です。
湯野浜の海水浴場は、波が高くて遊泳禁止でした。それなりに人出があり、天気も良かったので、寝ることにしました。30分くらいは寝てます。
加茂水族館は、クラゲの展示で有名です。中学高校のあだ名が「クラゲ」だったので親近感が湧きます。15年以上前に、ゼミ合宿の一環で来たときにはもっと違った外観だったと思います。
ずっと歩きで、時間があるので、スマホの音声入力をつかってツイッターに書き込んでみました。意外とスムーズに入力できます。なかなか認識されない単語もありますけど、専門用語以外はあまり変換しなくても入力できました。ツイッターのアカウントを新設して、最終日まで、安全に歩行できる箇所で、雨が降っていない区間では、断続的に入力を続けました。結局、テキストにして14000字分書き込めました。あとで、まとめたものが ↓ です。若干変換ミスも残ってますけど。
この間、少しショックだったことが。「仮眠中、起こさないで!」の文字を入れたタオルをどこかで落としてしまいました。ちょっとショックです。また、注文しないといけません。今回のR7では、天気が悪くて、鳥海山をみることができませんでした。また、きれいな夕日にも出会えませんでした。ただ、この日は、由良海岸の白山島をバックにきれいな写真を撮ることができました。
この後、また、雨も降ってきました。雨の区間は、携帯をぬらさないように袋に包みますので、つぶやくことができません。その区間は、歌をうたってました。
あつみ温泉を過ぎたところにある「道の駅温海」にたぶん18日の1時すぎに着いたと思います。この道の駅では、休憩室と思われる場所で、多くの人が仮眠していました。コインシャワーもありました。ここで、寝ることにしました。
朝6時ころにリスタートしようと思ったら、またひどい雨でした。二度寝することにしました。7時過ぎに出発しようとしたら、レストランが開いてましたので、朝食を食べてからリスタートすることにしました。
当初、宿泊予定だった鼠ヶ関は、朝9時半くらいに通過。旅館の予約がとれてしまっていたら、遅くとも22時には入らなければならなかったので、仮眠しながら、ゆっくり行くことはできなかったと思います。結果オーライですね。
ようやく、秋田県を過ぎて新潟県にはいります。ここもチェックポイントです。334.1km、18日10:01通過です。あと100kmを切りました。
村上で泊まることとして、宿を探します。当初、瀬波温泉の湯本龍泉というところで、昼間に休もうとおもっていたのですが、調べてみると、泊まることもできるようです(少し高かった)。運良く空いているということでしたので、予約しました。ただ、温泉が夜の10時までで、チェックインも遅くても10時までということです。この時間に間に合うように頑張ることにしました。
コースは、勝木のあたりで国道7号から海岸線を進む国道345号に入ります。少し進むとなにやらガードレールにステッカーが貼られているところがありました。これは、水曜どうでしょうで、大泉さんが、高崎のダルマを後部座席につけて、ウィリーをしてしまったところではないでしょうか。
あとで調べたら、やはり聖地巡礼する人もいるのですね。
さて、このあたりの海岸は笹川流れといわれて、いろんな形の岩が美しいです。でも、芭蕉さんが通った頃は、歩道が完備された国道もなかったわけで、さぞ厳しい道のりだったのではないかと思います。芭蕉さんが奥の細道の旅に出たときは45歳だったので、元気だったのだとおもいますけど。
JR桑川駅のところにある道の駅笹川流れで、遅めの昼食。せっかく新潟に来たので、ソースカツ丼をいただきました(このあとも動くので小盛り)。
レストランに入ったり、仮眠したりしていると、当初余裕かなと思っていた22時温泉入りが厳しくなってきました。この後、この道のりでいちばん頑張って走りました。写真は、冒頭の夕日の写真だけです。
村上市にはいるところで、少しアップダウンがあって、苦戦しましたが、なんとか、21時45分に、湯本龍泉にはいることができました。チェックインして、10分で汗をながして、足の治療をして、寝ました。ゆっくり温泉につかるのは、朝にしました。(つづきます。次回で最終回です。)