ストリートカルチャーの文脈でゴミ拾い
ゴミ拾いはストリートカルチャーだと僕は思います。
僕は前回の記事で、
という文章を記しました。
今回はこの部分を深堀りしていきたいと思います。
僕はタイトルにもあるようにストリートカルチャーの文脈を意識してゴミ拾いをしています。
ストリートカルチャーとはなにか、を語るには僕の知識はあまりにも乏しく、俗にいう「ヒップホップの定義」なんてのは未だに議論が続いていることで、一概にストリートカルチャーを説明するのは難しいかもしれません。
なので、ここでは僕の言葉でストリートカルチャーをどのように捉えているかを明示して、話を進めていきます。
僕にとってストリートカルチャーとは、「路地裏に追いやられた少数派が存在を証明する文化」だと思っています。
たとえば、ヒップホップは1970年代にクラブに行くお金のない黒人街の若者たちが公園に集まり、DJをしたり、踊ったりしたというブロック・パーティーが始まりだと言われています。
1970年代は、1964年に公民権法が成立されたとはいえ、黒人の方々に対する差別や格差はまだまだ色濃い時代だったと学びました。
その時代に、「お金なんかなくても自分達で楽しんでやるぜ」と始まったヒップホップ。
そこには楽しむのと同時に、多数派に対しての「見とけよ?」という意思表示をする姿勢があるように思えます。
多数派に対する疑問や不満、そして怒りをあくまで非暴力的にぶつける。
音楽に乗せて、歌で、ラップで、踊りで、グラフィティで。
そして仲間たちと楽しんでいたものがカルチャーとなり、多数派が無視できなくなる。
今では日本でもヒップホップが人気の音楽に。
落書きから始まったバンクシーの作品は高値で取引され、スケボーはオリンピック競技へ。
ストリートカルチャーを「路地裏に追いやられた少数派が存在を証明する文化」だと思うのはそういった考えです。
さて、そう考えるとゴミ拾いもストリートカルチャーになり得ると思いませんか?
サスティナブルを格好良いと思っている人は間違いなく少数派です。
「サスティナブルって格好良くね?どう?」
という思いをゴミ拾いを通すことで、多数派に向けて意思表示をすることができます。
そして、ゴミ拾いはお金がかかりません。
ラップがペンと紙があればリリックを書けるように、ゴミ拾いもゴミ袋とトングがあれば誰でもできます。
ゴミ拾いは年齢も性別も問いません。
自分たちの考えや思いを楽しみながら、誰でも参加できる形で伝えていけるという点も含めて、ゴミ拾いがストリートカルチャーになり得ると考えています。
ストリートファッションをする若者が街中を埋め尽くしている日本。
ストリートカルチャーは路地裏から街へ、街から国へ、国から世界へ。
「渋谷でゴミ拾いをする若者を見ない日はない」
もしそんな世の中になったら、ちょっと面白くないですか?
僕はめちゃくちゃ面白いなと思います。
ストリートカルチャーの文脈でゴミを拾う。
大きな夢を持って。