こんな時だからこそ2008年夏に連載開始された原作版ワールドエンドヒーローズの話がしたいんじゃ
※最初に言うておきますが、以降、ここに書かれていることはすべてが大ウソであり本当のことは『ワールドエンドヒーローズ』が(少なくともわたしにとっては)素晴らしいゲームであるという一点のみです。あと磯田は今サンクトペテルブルクにおるし限界書店のじいさんはまだまだ元気。
『ワールドエンドヒーローズ』というゲームがある。
未プレイ人(み-ぷれいんちゅ)の諸兄にとっては『あーあのサ終が告知された奴??知らんけど………』『2年持ったの??持ってないんだ……』ぐらいの存在でしかないだろう。
前者の認識は、まあ正しい。ワールドエンドヒーローズは8月20日を以って完結することが既に告知されており、残る2カ月であらゆるストーリーがモリモリモリモリ森鴎外とばかり更新されてゆく予定である。
しかし、後者の言葉には敢然として反論させていただきたい。
諸兄は、原作版ワールドエンドヒーローズをご存じないのか??
私はもう、このコンテンツを追って11年になるのだ。
なので、この度は、暇を持て余している諸兄に向けて『原作版ワールドエンドヒーローズ』の話をしようと筆を執った次第である。
(暇を持て余してない諸兄は最後のとこだけちょろっと読んでいただけたら十分です そう、『ここだけ読んでくれたら後はもうどうでもいいです』だけ………)
その夏も限界だった
2008年。
13歳の私は九州とかいう文明未開の地の、5年人口減少率が9%という何もかもが終わった限界離島で平々凡々とした中学校生活を送っていた。
この年の3月には、みんな大好きAxis Powers ヘタリア(幻冬舎版)の第一巻が発売されていた。しかし、島に一軒しかない限界書店には夏に入ってもヘタリアが入荷されることなく、私は唯一のオタク仲間であった磯田氏(高校に入ってからも頑なに自分のことを我-われ-と言いつづけていた)と二人、東京で開催されるというヘタリア初のオンリーイベントのことや、それに際し計画された日本列島を横断しながら各地のオタクを拾い集めてオンリーに向かうバスツアーの計画がバチクソに炎上したことなどについて思いを馳せ、いつかヘタリアがアニメ化した暁にはイギリスの声を関智一が担当するという確信を深めていた。
限界離島でオタクとして生きることは、なにかと厳しい。
何せ、コミック入荷が4日遅れなのだ。その上、島唯一の文明スポットである限界書店のじいさんは耳が遠く、しょっちゅう予約を聞き間違えたし、私たちのようなジャリガキが店内に長居していると『詰将棋に集中できんから帰れ』とわざわざ進言しに来た。店を開けるな。(うそ♡わずかでも文化との接点を持たせてくれてサンキュー♡)
その夏は、おおむね、そのような有様だった。磯釣りなどをしながら、シュレディンガーのヘタリアに焦がれていた私達の前に、それは彗星の如き鮮烈さで現れた。
そう、原作版、つまり『某週刊少年誌連載版のワールドエンドヒーローズ』である。
マイラブスウィート限界離島にコンビニと呼べる店は9時~19時営業のデイリーヤマザキストア(日曜定休)しかなかったが、幼少のみぎりより私は、ここで少年漫画誌の立ち読みをすることを至上の楽しみとしていた。同居する祖父母が自宅の一角で雀荘を経営していたため、副流煙に満ちた店内でビッグコミックスペリオールなどは自由に読むことができたが、義務教育中の女にはいくらなんでもシブすぎた。なかよし派だったかりぼん派だったかでオタクの作風が決まるよなwwwwではない。ビッグコミックスペリオールはどうせえ言うんじゃ。(どうもできん)
一方、磯田氏のおうちは島に珍しい知識労働者階級であり、磯田氏は両親のことを『パパ』『ママ』と呼んでいた。自分のことは我-われ-なのに………。と思わんでもなかったが、当時の私は返事するとき『はい』の代わりに『―――理解』って言うのがめちゃくちゃかっこいいと思っていて、祖母から裏の畑で大根を抜いてくるよう頼まれても『―――理解』と言っていたのでどっこいどっこい、大鯛どっこいである(熊本県の伝統的遊戯)。
(近所の夏祭りで行われていた大鯛どっこいでミッキーマウスの目覚まし時計を当てたことがあるが、3日で動かなくなった。)
そして何より、磯田氏の自室にはパソコンがあった。令和のキッズには信じがたいことかもしれないが、当時、家にパソコンがあることはそれだけで特権階級の証だった。しかも磯田氏の家のパソコンはインターネットに繋ぐ時ビガービガーって音がしないやつだった。
私たちは毎週、月曜日の授業が終わると真っ直ぐに磯田氏の家に向かい、Windows98を起動した。
2人、ニヤつきながら、2ちゃんねるの少年漫画板を開いて、何を行っていたかと言えば女オタク叩きである。
限界離島女子中学生連合とよくないインターネット
私と磯田氏は、共に少年漫画を愛するオタクだった。
同級生たちが種村有菜を貸し借りする横で、二人、ミスターフルースイングキャラクターブック球春白書を人目に触れぬよう交換し合い、目が合うとただニチャア……と笑った。
インターネット完備の磯田家には、家に引きこもりがちな磯田兄のために3大週刊少年誌すべてが買い揃えられており、中1の春に磯田氏と出会って以来、私は毎週そのおこぼれを頂いていた。賤しいジャリである。
あいにく、我が家は定期的にお小遣いが貰える家庭ではなかったため、当時の私は近所で水産加工業を営む親戚宅の手伝い(時給250円)(違法行為の重ね揚げかな?)で手に入れたマネーをBLEACHの単行本に費やしていた。
そんな穏やかな漫画生活に変化が訪れたのは2007年夏。これだけで勘のよろしい諸兄はお気づきだろう。そう、
瞳のカトブレパスである。
………。
えっ?
まさかありとあらゆるこの世のカルチャーに造詣深く挙句にこんな場末のnoteとかを読んでる諸兄が瞳のカトブレパスをご存じないわけ……
いや、ご存じてくれ………。
細かい説明は省くが、当時中学校1年生の私は、瞳のカトブレパスに出てくる細美主従とかいうエモの男共に感情をわやくちゃにされてしまい、生まれて初めて二次創作というものに手を出した(数学用の方眼ノートに描いた)。ウニの殻を割って稼いだ金で毎週ジャンプを買うようになり、2B鉛筆に力を込めてアンケートを書いた。この物語をずっと見続けていたいと願った。しかし、その願い空しく、瞳のカトブレパスは全14週で終了した。それと前後して、磯田氏の一押しであった『重機人間ユンボル』も打ち切られた。
私たちの精神は大いに荒んだ。社会に絶望し、発言小町に架空の人生相談を持ち掛けては紛糾するスレッドを見てひたすらニヤつくなどの蛮行を繰り返した。
やがて、一つの悟りを得た。
2ちゃんしかねえわ。
こんな限界村落から1票2票のアンケートを送ったところで、世界など変わるべくもない。漫画を生き延びさせるために必要なのは一人のまごころではなく大衆の扇動である。しかし、それこそ何ができる?
2ちゃんしかねえわ。
いやいやそんなこたあないだろ、と今なら言えるのだが、当時はともかく、2ちゃんねる・朝目新聞・ぼくの見た秩序 が私たちの知るインターネットのすべてだった。
その日から、私たちは1年以上に渡り2ちゃんねるに入り浸り、知恵袋を音読しながら頻繁にIPアドレスの変更を行い、兎にも角にもお互いの好きな作品の盛り上がりに挺身する、充実したネット工作生活を送っていた。
たったひとつの陰湿なやり方
さて。
00年代を少年漫画のオタクとして生きた女ならば、好きな作品が暗黒インターネットで『腐媚び』『女狙い』など呼ばわれているのを見て面食らった経験は一度や二度でないだろう。女が少年漫画を読むことは、それだけで作品の価値を下げる行為だった。少なくとも、少年漫画版に書き込む以上、私たちは女であるとバレてはならなかった。当時は本気でそう考えていた。
そもそもネットで性別バレないでしょ………というのは善良な意見で、ああいう場所では事実がどうであれ、『女』と思われた時点で発言権が無くなるのだった。よくないインターネットでは基本的に女性キャラへの性的加害コメントを行わないのは全員女なので、私たちはしょっちゅう『女臭えwww』と言われ、そのたびに知恵袋を音読し、IPアドレスの変更をした。
そのようなことを繰り返してるうちに気が付いたのだが、邪悪インターネット・コミュニティにおいて、全員が特権階級である『男性読者』側に回れる便利な手段があった。女オタク叩きさえしていれば、私たちは男になれたのだ。
なので、あの頃のインターネットに女はいなかった………みたいなことを言われているのを見ると爆笑してしまう。私と磯田氏がおったが??????????
以降、私と磯田氏は、2ちゃんの作品スレに忍び込んでは『せっかく人気あるんだから腐媚びすんなよ(藁』『おれは好きだから腐狙わないでほしいわ……』など書き込み、正しい読者の皆様と作品談義を楽しんだ。その後は2人で、呼吸を鎮めるためにジューシーを飲んだ。
(身近に熊本県民がいる人へ 気が向いたときにこの画像を見せてあげると県民の断末魔が聞けます)
そんな、陰湿で短絡的な私たちの前に現れたのが『原作版 ワールドエンドヒーローズ』だった。
ワールドエンドヒーローズ、もしかして私たちのこと救いに来てくれたんか?
ワールドエンドヒーローズの第一話を読んだのは、夏休みの3日目のことだった。夏休みに入った途端、磯田氏は塾通いで忙しくなり、私はウニの身をほじくり出すのに忙しかったため、毎日会うわけにはいかなかったのだ。
その日、工場帰りの私は、磯田氏に「生臭すぎる」「巨大な魚」と罵られながら、磯田宅に上がり込み、あらゆる漫画の今週号を読みにかかった。
部屋に入ると、磯田氏はただ一言『読んで』とだけ言って、某週刊少年誌を差し出してきた。新連載らしく、ワールドエンドヒーローズはその号の表紙になっていた。『へえ、新連載』『綺麗な絵だな』『主人公?っぽい子かわいいな……』読み始める前に思ったのは、それぐらいだっただろうか。
今思えば、最初っからトップギアだった。『イーター』という怪物と、特殊な能力を持つ『ヒーロー』が戦う世界。主人公である三津木慎は、ある日、『ヒーロー』である透野光希の戦闘に遭遇したことで、自分にヒーロの適正があることを知る。挙句、一話の終盤で、先輩である浅桐真大に人体強化手術を施され、『ヒーロー』として戦うことになる………。
読み終えると、磯田氏がじっとこちらを見ていた。目には、明らかな好奇の色があった。言葉もなく見つめ合ううち、先に声をあげたのは、磯田氏の方だった。
「『ワールドエンドヒーローズ』、読んだ………?」
「読んだ………」と、震える声で返した。
当時、私たちの間では、何時いかなる時も隙あらば『完全なる飼育』の竹中直人の真似をするという不文律があったのだが、そんな場合ではなかった。
「あれさあ……おもしろくない」
「いや、おもしろいよ………」
「お、おもしろいよねえ!?」
優しい主人公と優しくない世界の描写がよかった、出てくるキャラがみんな魅力的すぎる、第一話からこんなんでどうなってしまうんだ、等と2人で話し続けているうちに、次第に恐慌状態に陥った。私たち2人が推す作品が長続きするはずがない。早急に、この作品のために何ができるのか考える必要があった。こんな気持ちは、空知英秋氏のデビュー読み切りである『だんでらいおん』を読んで以来だった。
この作品を支えるために、まずは『正しい読者』にならなければならない。私と磯田氏はさっそく2ちゃんを開いた。立ったばかりのスレは、まだ2桁代の書き込みしかなく、私と磯田氏は震え慄いた。
「……なんて書く??」
磯田氏の言葉に、私はしばらく考え込んだ。邪悪インターネットにおいて、磯田氏は実行部隊であり、私はブレインだった。13になっても割り算の筆算はおぼつかなかったが、女オタクを貶めるための文法ばかりは湯水のように沸いた。
「………『絵も上手いしいいんじゃね??ストーリーはまだこっからだけど、面白そうだし…あとは腐に媚びないことだけを願うわwwww』とかで……どスカ……」
いいじゃんそれ、と小さな声で返した磯田氏は、パソコンの画面を見つめると、そのまま固まった。不思議に思って声を掛けようとしたとこで、呻くような声が聞こえた。
「やだなあ……」
「そういうこと言わないといけないの、やだなあ……」
うつむいたままの磯田氏に、かける言葉がなかった。
そう、ずっと嫌だった。
この作品を楽しみたい、ただそれだけなのに、インターネットを介した途端にしょーもないカテゴライズが始まる。そもそも、私と磯田氏は限界村立限界中学の同級生たちから『ホモ女』という二律背反みてえな蔑称で括られていたので、現実だって別に優しくない。それでも、ワールドエンドヒーローズは面白かった。誰かとワールドエンドヒーローズの話をしたかったし、もっとたくさんの人にワールドエンドヒーローズを知ってほしかった。
夏休みの間、私と磯田氏は、多忙を縫って毎週火曜に必ず遊んだ。ワールドエンドヒーローズの面白さは留まるところを知らず、私はまた、ウニほじくりマネーで少年漫画誌を買うようになった。アンケート用紙に2Bの鉛筆でくろぐろとした感想を書き、『ワールドエンドヒーローズ』に1番おもしろかったで賞の丸を付けた。一度だけ、双方の親に内緒で船とバスを乗り継ぎ、2時間かけて都会のアニメイトに行ったが、販売告知がされていたワールドエンドヒーローズの表紙絵クリアファイルは売り切れており、悲しみと喜びがかち合う胸中で2時間かけて島に帰った。
ワールドエンドヒーローズのどこが好きだったのか、思い浮かぶことは山ほどあるのに、どうにもうまく言葉にできない。
キャラの名前の付け方が好きだった、戦闘と日常の近さが、その中でも前を向いて、必死に生きるみんなの姿が好きだった。三津木慎の純粋が、浅桐真大の掴めなさが、戸上宗一郎の誠実さが、佐海良輔の実直さが、志藤正義の時々差し出される本音が、伊勢崎敬のへたれた笑顔が、武居一孝の鮮烈さが、御鷹寿史の優しさが、透野光希の素直さが、頼城紫暮の折れなさが、斎樹巡のため息が、霧谷柊のかたくなさが、矢後勇成の生きざまが、久森晃人の覚悟が、北村倫理の本心が、とんでもなく大好きだった。 フィクションの中だというのに、ワヒロのキャラたちは、みんな等身大の、一人の人間だった。
女が少年漫画を愛するためにどうすればいいのか、まるで分からなかった私たちは、ただ毎週火曜日、クーラーの効いた部屋や、廃れた桟橋の傍にたむろして、ワールドエンドヒーローズについて語り合った。
それ以外に、なんの言葉が必要だったのか。
私と磯田氏は、互いに『あれは自分のために作られた物語だ』とまるきり様子のおかしいことを言い合った。当時から本気で思っていたし、今でも思っている。
ワールドエンドヒーローズは、きっと、私たちが生まれて初めて受け取った、私たちのために作られた物語だった。
第二巻(光希くん表紙で帯に『発売即日大・大・大重版!!!累計10万部突破!!―少年は、まだ、世界を知らない―』などと書いてありひどく安心した)が発売された秋口、学校で唯一、私たちのことを雑菌扱いしないで話しかけてくれる尾之上氏(ナイスガイ)に漫画を貸したら、尾之上氏からクラス中にワールドエンドヒーローズが広がり、しまいには男子達が掃除をさぼってワヒロの話をするようになった。やっぱり男子人気が高いのは重式だが、透野の二刀流がたまらんという玄人もいた。横で真面目に掃除をしていた私と磯田氏は、目を合わせるとただニチャア……と笑った。
私たちはもう、2ちゃんを開かなくなった。
私は親世代のオタクになりがちな人間なので、10巻(久森表紙)発売と同時に、番外編として白星親世代編のノベライズが発売されると知った時は狂喜乱舞し、即日磯田氏と連れ立って、限界書店まで注文に行ったが、発売後一週間経っても入荷の報がなかったため、生まれて初めて限界書店の爺さんに口答えした。
私と磯田氏は同じ高校に進学したが、相も変わらず違法ウニ労働を続ける私と違い、磯田氏は恋に部活に大忙しになりだした。それでも毎週火曜日、バイト帰りの私と塾帰りの磯田氏は、近所の公園でバインバインするパンダに乗りながらワールドエンドヒーローズの話をした。
中学2年の夏に始まったワールドエンドヒーローズは、私が島を去る高3の冬に完結した。奇しくも最終話掲載号が発売されたのはセンター試験1日目早朝だった。私と磯田氏は県内の田舎者が集められたビジネスホテルをこっそり抜け出し、道向かいにあるファミマで2冊雑誌を買い、部屋に戻ってから読めばいいものをホテルのロビーでオイオイ泣きながら最終回を読んでいるところを引率の教師に見つかりバチクソ叱られた。
素晴らしい最終回だった。
虚脱感とともに受けたセンター試験で、私と磯田氏はともに想定比アホみたいな高得点を取り、引率教師から『なんなの?』という率直な疑問をぶつけられた。磯田氏は『二次試験の面接で尊敬する人物を聞かれたら絶対に頼城紫暮と応える』と据わった眼で豪語していたが、聞かれなかったらしく後々『聞けよ!!!!!』とキレていた。
やがて春が来て、磯田氏と私が日本の東西に離れることが確定したが、ワールドエンドヒーローズが終わったことに比べたらすべてが些事だったので心穏やかだった。
島を先に出たのは私の方だったが、最後の別れの時、磯田家の門前で泣きながら『崖縁工業高校校歌を歌ってよォ~~~………』と言われた時はさすがにビビリ、ご両親もいる前でさすがにそれは……と思いながら出てきた言葉は『作曲:ネバーエンド後藤じゃん……』だった。
歌った。
2時間のフライトの末辿り着いた、まだ知らない街の空港売店では、当日付発行のワールドエンドヒーローズの最終巻が既に発売されていた。それを見てしみじみ、島から出てきちゃったなあ………と切ない気分になったりなんなかったりしつつ、最終巻を購入した。
それから
あれから8年。
ワールドエンドヒーローズ女性向けアプリゲーム化されるという第一報を聞いたときは、正直、不安の方が大きかった。
歌い踊るんですか????志藤正義が………???(それはそれでたまらんな……)
いや、志藤正義が歌い踊らんらしいと聞いてからは、余計に不安になった。なんせここは田中靖規先生の漫画が2作連続短期打ち切りになる世界なのだ。正直女性向けソシャゲへの造詣は国立大学文系学部の研究予算が如き貧しさだったが、歌とダンスとボーイズ巨大感情を兼ね備えていないとどうにも厳しいらしい、ということぐらいは知っていた。いけるか、ワヒロくん、ボーイズ巨大感情全振りで!!?????
いけた。
いけていた。
別にボーイズ巨大感情全振りでもなかったのだが、ともかくソシャゲになったワールドエンドヒーローズはめちゃくちゃイケていた。原作全17巻分の内容が濃縮還元されたような読み味じゃ……とニヤニヤしながら進めていたが、原作で謎だった部分がメインストで補完されることもあり、その仕事の丁寧さには舌を巻いた。
もう大人になった私は、上司の陰口や上司のハブりや上司が毎日聞かせてくる昔付き合ってたオランダ人彼氏との性行為の話などにへろへろになって生きており、毎日部屋に帰ってワールドエンドヒーローズを起動すると比喩ではなく涙が出た。
ワヒロのキャラ達は、相も変わらず優しかった。
その優しさは、いつもさり気なかった。臆病ですらあった。翌日の仕事に行くのが嫌だと思っているうちに日付が変わってしまった夜は、いつも久森のいたわりボイス①を聞いてから寝た。
月並みな言葉かもしれないが、ワールドエンドヒーローズは私の救いだった。
この歳にもなって、人間関係を築くのが著しく下手な、それでもこの社会で生きてゆきたい私に、指先だけで触れて、笑ってくれるゲームだった。
ワヒロがサービス開始されてからの1年半で、私は仕事を辞め、住む場所を変え、まったく未経験の世界に飛び込んだ。その全ての瞬間に、ワヒロが隣にいてくれてよかった。
これから先待ち構えていただろう親世代編次世代編がアプリとして楽しめないことは悔やまれるが、こればっかりはどうしようもない。せめて、最後は大声で言いたい。
ありがとう、ワールドエンドヒーローズ。
………。
…………………?
えっ
ワールドエンドヒーローズは2018年にサービス開始されたスマートフォン用アプリであり、原作漫画なんてものは存在しない……?????
じゃ、じゃあ、2010年にPS2で出されたコンシューマー格闘ゲーム『ワールドエンドヒーローズ endless battle』は………???
スタジオぴえろ製作で首都圏では金曜夕方6時から放送されていたが地元にはテレ東系列の局がなかったため日曜朝5時30分から(アンパンマンの前の枠)放送されており疲れたオタクが気の狂った時間に起床するしかなかったアニメ版ワールドエンドヒーローズの、中村豊氏原画による久森の戦闘が拝める術式メイン戦闘回は……???
熊本名産・辛子蓮根は地底王国からもたらされたものだった……???
なんということだ………。
いやそもそもワールドエンドヒーローズは様々な作品を下敷きに2018年だからこそ生まれたエンターティメントであってそこを無視して適当な回顧だけで00年代ジャンピ漫画呼ばわりした挙げ句脚本イラストその他諸々の人々のクリエイティビティを無下にするような妄言を吐くのはいくらなんでもオタクの横暴じゃないですか????
ハイ…………。
ここだけ読んでくれたら後はもうどうでもいいです
ワールドエンドヒーローズに出会ってから約2年、物語の面白さに熱狂する気持ちと並行して、このゲームに救われた、という思いがずっとあった。
思い返せば、必死に応援していた作品が打ち切られまくったあの頃からずっと、エンタメ、ひいては世界に対する無力感があった。もうこれ以上世界に絶望したくない、と思って、アニメ・漫画から離れて生活していた時期もそれなりにある。
あんな思いをするのはもう嫌だなあ、と思って逃避していたソシャゲという媒体で、ここまで『この世界は私が思っているよりずっと素晴らしい場所なのでは??』『どんなに微力な思いでも案外報われるときが来るのでは??』という気分にさせてもらえるとは、インストールしたときの私は考えもしなかった。
もう何も望まないから、どうか、どこまでも歩いてゆくあなたの背中を見せてくれ、と思っていた。今いる地点が目的地なのか、来る8月まで私には分からないが、これからもその背中を見ていたい。ずっと愛してる。
ワールドエンドヒーローズくん、2008年のわたしを救いにきてくれて、どうもありがとう。
………。
…………………?
もしかして………???
あなた、ワールドエンドヒーローズのダウンロードをまだされていらっしゃらない……????
開催中のイベント(~6/9)をちょこちょこするだけで過去の報酬カードが手に入れ放題であり、メインストも佳境も佳境ともかく今始めたらなにもかもが順風満帆こんな僕でも10億を手に入れ彼女ができました!!!!という感じなのに……???
そう、それでいいんだ……そのままインストールボタンを押して……。
……なニィ!!!!?ダウンロード時間が長い!??????
うるせえ〜〜!!!!
ミートソースでも煮てろ!!!!!!!!!!!!
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𝙒𝙊𝙍𝙇𝘿 𝙀𝙉𝘿 𝙃𝙀𝙍
𝙊𝙀𝙎.
.。.:*・゜+.。.:*・゜+.。 おしまい .。.:*・゜+.。.:*・゜+.