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マーク・トウェインが見たカメハメハ5世のハワイにおける砂糖産業
ハワイ王国では、1860年にポーハタン号と咸臨丸でホノルルを訪れた日本人が謁見したカメハメハ4世(1856~1863)が、息子が4歳で亡くなると、衝撃を受けて翌年に死去。
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カメハメハ4世の兄ロットが、カメハメハ5世(1864~1872)として即位。王権を強化する新憲法を発布するとともに、カウアイ島のサトウキビ農園主で外務大臣ロバート・ワイリーの勧めもあり、農園の労働力不足に対応する組織として移民局を創設。サトウキビ農園の発展のために移民を受け入れた。
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マーク・トウェインは1866年3月18日~7月19日、米国紙「サクラメント・デイリー・ユニオン」の特派員としてオアフ島、マウイ島、ハワイ島を取材し、25本の記事を送った。今回は、その中から砂糖産業の記事を紹介する。1835年にハワイ初のサトウキビ農園が開かれてから30年が経っていた。
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ハワイでの砂糖生産効率は、米国ルイジアナの数倍
米国ルイジアナでは、肥料を用いないで1エーカー(4047㎡)あたり2500ポンド(1134kg)の砂糖を産出できる土地はない。
ところがハワイでは、肥料を用いないで1エーカーあたりの砂糖生産高2500ポンド以下の土地はない。マウイ島では平均で1エーカーあたり6000ポンドを上回り、ウルパラクア農園では1エーカーあたり13000ポンドの収穫高を上げた。
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ルイジアナでの砂糖栽培は115年前から。50年前には150の農園があり、総生産高は2500万ポンド。
一方、ハワイ諸島の29農園の1866年の総生産高は2705万ポンドと、生産効率はルイジアナの数倍。生産高の内訳は、ハワイ島7農園735万ポンド、マウイ島12農園1390万ポンド、カウアイ島4農園370万ポンド、オアフ島6農園210万ポンド。
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ルイジアナでは、300エーカーの農園+黒人奴隷+製糖所+家畜の購入に18万ドル、砂糖生産額は年3万ドル。
ハワイでは、300エーカーの農園の購入に11万ドル、労働者1人あたり賃金は年100ドルで、黒人奴隷購入費1人500~1000ドルは不要。砂糖売上額は年18万ドル。すぐに商売として成り立つ。
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ハワイの砂糖1トンの売上額は210ドル。経費は、樽詰料16ドル+運搬料1ドル+ホノルルへの輸送料3ドル+仲買人手数料2ドル50セント+サンフランシスコへの用船料6ドル+関税60ドル+運搬料1ドル+仲買人手数料11ドル=100ドル50セント。さらに農園の諸経費と土地や製糖所や機材などの初期支出の利息を差し引かなければならない。
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ルイジアナでは、霜が降りる疑いがあったら刈りとらなければならない。
ハワイでは霜が降りることはなく、サトウキビが成熟してから4カ月間のうち、都合の良い時に刈りとることができる。マウイ島では、農園の標高差を利用して様々な段階のサトウキビを育てており、1年中、収穫作業を休むことはない。
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ルワーズ農園の建物の配置
ルワーズ農園の製糖工場はハワイのモデル。建物は奥行200フィート、幅40フィートで、天井が高く、壁は厚みのある石造り。白く塗装した堂々たる煙突と建物は、周囲の明るい緑色のサトウキビ畑の中で異彩を放っている。高い場所に設けた水路から大きな水車に水を注いで回している。
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片側には「くず」を広げて乾燥させている中国人クーリーたちの住む広い囲い地。圧搾機の旋回する気筒にサトウキビを放り込む6人のハワイ人。荷馬車いっぱいに廃棄用原料を積み込んで近所に捨てに行く白人たちの騒々しい行列。眠ったようなハワイの空気には珍しく、てきぱきとした雰囲気が漂っている。
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製糖工場の近くには、工場主の事務所、監督者の住宅、倉庫、鍛冶屋の作業場、白人従業員の宿舎、ハワイ人の小屋、中国人クーリーの住む木造長屋などがあり、マウイ島西部の東海岸にあるワイヘエを立派な村に見せている。農園と製糖工場に雇われている人の数は、家族を含めると、350人にはなるだろう。
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砂糖の作り方
農園で刈りとったサトウキビを製糖工場へ運ぶ。圧搾機で絞り出した糖液は、清浄機で不純物を選り分ける。糖液を数本のパイプを通してトレーン(鉄製の大釜)で煮詰め、かき混ぜる。次にワイツィル鍋で煮汁の水分を蒸発させ、真空鍋で糖液を沸騰させた後、冷却器へ。
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冷却した砂糖の結晶は、粉砕機で粒子にし、遠心分離器にかけて糖蜜を無数の針穴から絞り出すと、器の両側は厚さ5~8cmの明るい麦わら色の砂糖でいっぱいになる。こうして完璧に精製した砂糖は、降ろし樋を通して地下の大箱に落とすと、3人のハワイ人が樽詰め用機械で1日に400個の小樽に詰め込む。
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製糖工場の機械類の半分は蒸気で、残りの半分は水力で動かしている。続いて職人が小樽に、砂糖の品質、重量、農園名などを明記した焼き印を押す。最後に2.4km離れた港に樽を運び、スクーナー型帆船に積み込み、ホノルルを経て、米国へ。農園主は、農園の灌漑用に全長6.5kmの水路を完成させていた。
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中国人クーリーの導入
農園の主な労働者はハワイ人の男女。6~8ドルで1カ月の衣食住を支給してもらうか、8~10ドルで自活するか。労働者との契約は文書で行われ、仕事を1日休むと契約期間終了後に2日間余分に働くことに。農園主への借金で衣食を購入した場合、契約終了後の返済は免除。
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砂糖の生産高は、急速に増えている。ハワイ人の人口は、少なくなりつつある。そこでハワイ政府は、中国に代理人を派遣してクーリーを集め、農園主に5年間、1カ月5ドルで提供することになった。中国から船に乗せられた人々は、海賊の中でも一番下司な連中で、身体の不自由な者、病に冒された者もいた。
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しかし農園主たちは彼らを飼いならし、いまでは好ましく思えるようになった。かつて人間の喉を切る仕事をしていたので、サトウキビの刈り取りはお手のものだからだ。きちんと見張りさえしていれば、ペースをくずさずに勤勉に働く労働者なのだ。女たちも、カリフォルニアの女中のように生意気ではない。
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ハワイ島コナに未使用の耕作地
ハワイ島コナでは、1エーカーの土地から平均で2トンの砂糖を収穫できる。この収穫高はハワイ諸島では普通だが、ルイジアナと比べると桁違いだ。コナは海抜が高く、小雨がよく降るので灌漑の必要はない。コナの北部と南部には未使用の土地があり、地価は1エーカーで1~150ドル。
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地主は一般のハワイ人だが、土地を利用していないうえに賃貸したり売ったりする気もない、という話を聞かされたが、ある巡回牧師は旅行記にこう書いた。「北コナも南コナも耕作に適する土地は主に外国人の所有になっている。ハワイ諸島の一番良い土地の悉くが急速に外国人の手に落ちつつあるようだ。
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ある宣教師は、土地がよそ者の手にわたるのを阻止するために、個人資金1500ドルを土地に投資した。しかし、彼は、その土地を長く保有することはなかった。土地に1回も鋤を入れることなく、1万ドルで外国人に売り払ってしまったのだ」。ほかの宣教師は、このような投資行為に苦笑するばかりなのである。
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ハワイと米国との貿易を拡大する方法
ハワイとの貿易は、拡大しなければ。儲かるからだ。カリフォルニア州は毎年度末に赤字を出し、国が穴埋めをしている。
一方、ハワイは1864年、サンフランシスコにコーヒー、糖液、プル繊維、塩、砂糖、米などを輸出し、31万ドルの関税(うち砂糖26万ドル)を支払っている。
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ハワイとの貿易を保護し拡大するには、2つの方法がある。一つ目は米国議会に高い関税をいくらか軽減してもらうこと。二つ目はハワイにアメリカ人を入植させること。それには蒸気船が欠かせない。帆船は容易に貨物を運べるが、ハワイへの航海に3週間かかる。私の乗った蒸気船は、航海を10日で終えた。
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1866年6月18日に到着したスワロー号には、永住のためホノルルに来たサンフランシスコ市民も乗っていた。蒸気船アヤックス号の元機関長サンフォードもハワイに腰を落ち着けるつもり。おそらく砂糖の商売をやるのだろう。有名な砂糖生産地帯でどんなチャンスがあるのか確かめるためにマウイ島に出掛けた。
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