「ごはんおかわり自由」11/22
昨日までの、本当に夢のような空間から一転、大学に行き講義や仕事の話をして、ぐんぐん現実のむさ苦しさと息継ぎの難しさを痛感した。たぶん現実がデフォルトで昨日までが夢すぎたのだ。本当に楽しかった。
ふと、やよい軒の事を思い浮かべていた。やよい軒といえば「ご飯おかわり自由」だ。
この言葉だけで、やよい軒はどの高級飲食店よりパワーがある。加えてどの定食も80点を超える美味さ。
「ご飯おかわり自由」
なんと甘美な響きなんだろうか。
有名なアーティストが「世界は希望で溢れている」だの「明日は良い日になる」だののたまっているが、その何倍も勇気をもらえる。力をくれる。物理的にも精神的にも。
自由という響きに、こんなにも手放しに喜んで良いものだろうか、と一瞬迷いが生じるが、あの白い輝きの前では僕らは自由を選んで良いのだ。そして自由なのだ。
「おかわり」にも魅力が詰まっている。「おかわり」とは何なのだろう。「茶碗が替わる」から来ているらしいが、やよい軒では同じお茶碗に白米が追加される。でも「おかわり」。
「おかわり」。字面もかわいい。こんなにも自然に「お」が前に着く単語も多くないだろう。「かわり」とは誰も言わない。どれだけ怖いヤンキーでも「おかわり」という。すごく良い。
でもきっと、この言葉の力は時間制限があり、僕にもそろそろタイムオーバーが近づいている。
あと何歳か歳を取れば、この言葉に魅了されなくなるのだろうか。そんなのはクソだ。
やよい軒に魅了されるのもあと少しなのだろうか。悲しい。
もう少し書きたかったけどお腹減った。
ご飯食べよ
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