「呑気に生きてると思わされる世界と自分の乖離」2024/05/29
最近ストーリーで「ラファへの関心を強く持とう」といったような内容の投稿が数珠をつなぐように流れている。
それまで、いったい何が起きているのか、大きい文脈すぎて触れずにきた僕だったけど、自分の生きのルーティンが馴染んできた感じと、いまだに関心を持たないことに流石に良くなさを感じてしまい、たくさん調べてみた。
たくさん調べたものの、一体どういう経緯でこんな事が起きているのか、本州を出たことすらない僕には到底想像できない思想が多分にあって、すごく大きいぶつかりや遠い遠い昔から続いている歴史の最中であるという点から、全て理解できた気がしなくて説明するのが恐い。
だからここには、これまで世界情勢や日本の政治やらに触れてこなかった自分の感覚と調べた後の堺俊輔の心を記したい。
云々と言い訳のような漏らしたが、今関心を持てと言われている事柄は、説明し難い大きなものとは別で、いや別でもなくて、ただ人間が大量に理不尽に虐殺される事態を作っちゃいけない、というようなものだ。のような気がする。
それは本当にそうなので、今は関心を向けて、知って、小さくても行動を起こす事が大事なんだと思う。
僕は今起きている事柄を知って、やはり自分の呑気さが辛くなった。死んだとて意味がないので死にたいとはならないけど、こうやってのうのうと文章を書いている今もすごく気味が悪く感じる。
これまでは、そんな感覚が完全に僕を支配して、自分の生活がままならなくなるので、怖くて目を背けていた。外部から摂取するコンテンツは、できるだけ自分を気持ちよくする物だけで固めようとしていた。
でもその生活がハリボテで、やはりそのスタンスすら気味悪く感じてきたので、今にいたる。
現場とは無関係に、取り巻く雰囲気や有識者の無知への批判や仁王立ちが取っ付きづらい風潮出しているのは事実としてあると思う。
そのアクションに意味はないだろう、もっとこうした方がいいだろ、そんなことをしても意味がない、自分の越のために利用するな、など。
どんな小さなことでも、考えるだけでも、が大事であることはわかるが、↑のような意見が間違いじゃない分、ごめんなさい、、となり、じゃあもう触れるのやめといた方が良いな、、と、内面の危険を感じて自分を守ることが優先になる。
人たらしめる権利について疑問を持つ機会なんてほとんどなかったんだ。何が起きているか、知識として知っても体感としてのヤバさに結びつけるのが難しいんだ。そこまで人としてできてないんだ、、。
一体どういう態度を取れば良いのか。何をすれば自分で納得できるのか全く分からないが、一先ず今起きている事がそれどころじゃない、一刻を争う苦しい辛い未来であることは背けていた日々からも受け取れた。それは未来だけでなく現在でもある。
とても辛い事が起きている。そして、その辛いことを阻止しようとしていない組織の一旦の末端に、無関心な自分がいるんだなあと理解した時、再度こわくなった。
ミレニアムボーイ、平和ボケの賜物。
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