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【武道アカデミー台本】武士道とは愛だ



冒頭

愛だろ 愛
ジャパニーズスピリット。
武士道とは愛だ!

前書き

「藪内崇視の武道アカデミー」へようこそ!
ということで始まりました。

今日はですね、「武士道とは愛である」というテーマで語って行きます。
では、なぜ愛なのかってところをじっくり説明して行きますね。

武士道は武道家にとって切っても切り離せない内容だと思うんですね。
なので今回の話はチャンネルを始めた時から1番やりたかったエピソードの1つです。

概要欄に目次とタイムテーブルも載せるのでお急ぎの方は好きな項目を選んでご視聴くださいね!

僕のチャンネルはですね、音声だけでも十分楽しめると思うので、もし良ければ作業しながらとかでもね、ラジオ感覚で聞いてください。

それから、noteというアプリにも動画を貼りつけているんですけども、武道アカデミーの内容をテキスト形式で読みたいという方向けに、「台本」という形で投稿していきますので、興味ある方は、そちらもご覧ください。

チャプター 1 武士道の定義

武士道と言うのは武道家に限らず、すべての日本人が心の中で守っている根本的な倫理観だと思うんですね。
本質的なものは同じものなんですが、人によって解釈がまちまちで実は厳密な定義っていうのは存在しません。
その概念は江戸時代になってから熟成され始めました。
有名になったのは旧5000円札の新渡戸稲造と言う方が書いた「武士道」と言う本、これは海外の方向けに日本の侍の生き方や倫理観を紹介したものでした。

ただね、僕はこの武士道って本は、正直ピンとこなかった。なんでかな?って考えたら、それは日本語にはあるけど、外国にはない言葉の表現があるってことに気付いたんです。またその逆もしかりで、翻訳の時に相当苦労したんじゃないかなって思いました。

例えば、日本って神道もあれば仏教もありキリスト教もあるって言うね。
多神教ですよ。八百万の神様っていって、いろんな神様がいていいって考えなんですね。
その仏教の創始者はブッタなんですけど、ブッタは修行の果てに中道が大事って唱えたんですね。行き過ぎた修行はダメ、ゆるすぎる修行もダメ。そして、それは全てにおいて必要だと。中心でバランスを取るということ。
英語でいうところのmaybeです。多分ね、とか、どちらでも。
海外はYES or NOがはっきりしている方が良い。最初に厳密な定義は存在しないって言いましたよね!
だけど、海外の人に紹介するには、海外の定義に基づいて説明しなければならなかった。そこで、無理やり変換された部分が日本人にとっての違和感なのかなって思います。

ちなみに武士道と言う言葉が日本で最初に記された書物っていうのが戦国末期、または江戸時代初期頃に発行された甲陽軍艦です。
この書物は武田信玄の軍の戦術や戦略を記した軍学書です。

また武士道っていうのは江戸時代に武道とも言われました。だけど現在では武道っていうのは武術になってます。

チャプター 2 武士道の思想

武士道は弱き者を助けて命を重んじる道徳的思想で、この思想を実現しているかどうかを常に各々が自己チェックしていました。

多くの武士は、そこに義務感を持っていたんですね。
そこが現在も己を律する道という解釈にも通じているだろうなと思います。

武士道と言うと葉隠が有名ですよね。
「武士道とは死ぬこととみつけたり」
これは文面通りではないんですね。死ぬことが大事とか美徳という訳ではなくて、死ぬ覚悟を持ってことにあたれという教えです。

日露戦争の陸軍大将 乃木希典。
彼の武士道は、
「身を挺して仁を成す」
それは自分が死んでも人を助けると言う意味です。この時代の人はまだまだ戦争が身近にあったから国の為に人の為に命をかけるって言う信念が自然だったんでしょうね。
ここから冒頭の「愛」にさらに深く入っていきますね。

チャプター 3 商売における武士道

経営者に知って欲しいのはですね「士魂商才」と言う言葉です。商売をやっているとどうしても、儲かる儲からないで物事の判断が偏ります。
ですから拝金主義になりがちです。その精神を諫めて、そして商才を発揮することで経営者の理想を説いた言葉です。

もうお亡くなりになりましたが、僕は竹田和平さんという日本一の投資家と言われた人にお会いしたことがありまして。10年前の話ですが。
その方は、旦那道というのを説いていました。これも士魂商才と意味は似ていて、経営者とは誠実に商売をして周りや社会を支えて行きましょうという教えを説いていました。

昔から夫のことを日本では旦那様って言うじゃないですか。
本来は支える人って言う意味で敬意を持って使われる言葉なんですよね。

主婦の方からは、うちの旦那はねぇー…って良く聞く定番ですね。笑
旦那って言う語源を気になって調べたらダーナパティーというインドの言葉でした。

たまたまなんでしょうけど、僕ね竹田和平さんがお亡くなりになってお通夜の日に、知らずに和平さんの会社の本社の門の前を自転車で通ってたんですよ。
その時、あっ、和平さん懐かしいなぁって思いました。虫の知らせって言うのかな。

初めて会って名刺交換したらね、和平さんに言葉をかけて貰ってが「あんた人の役に立ちたいんだね」って言われました。

またね太閤秀吉が好きということで、なんで秀吉が好きなんですか?って聞いんですよ。
そしたらね、「秀吉は人を喜ばせる天才だった。そこを追求していけば商売繁盛間違いない。草履取りの話のヒントに子供の頃にワシは日本一になれると確信した」って仰っていて、良いお話出来たなぁってふと思い出しました。

チャプター 4 五常の徳

武士道には五常の徳。または五徳といったものがあります。これが「武士道とは愛である」を説明するのに一番わかりやすいと考えます。

定義の無い武士道に僕はそこに着地点を見出しました。

仁義礼智信

これはですね中国から伝わった儒教の教えで5つの徳目です。

仁は大きい意味での愛。

義は信念で貫き通すもの。筋を通す。
常に利益と対比される。

礼は敬意を表に表したもの。

智は道理を知り得ていること。

信は約束を守ることの大切さを説いています。

ちなみに女性だったらレディーファーストしてもらえると嬉しいですよね。日本の男性は奥手だし、レディファーストに疎い人が多いと思います。

西洋の男性で紳士と言われる人は女性を優先してお先にどうぞってドアを開けてあげて部屋に先に入れたりしますよね。

対比して日本男児の江戸時代の価値観っていうのは女性は男性の3歩後からついてこいって言いますね。

これね、普通だと日本の価値観が男尊女卑だと思いますよね?

実は裏があるんです。

もともとはね昔は、女性に喜んでもらう為のレディファーストではなく、自分の身を守る為のレディファーストなんです。ドアを開けて先に女性を中に通すことで刺客から身を守るんです。
いきなりピストルで撃たれるかもしれませんからね。

一方で日本男児の3歩後ろからついて来いは、刺客に襲われた時、自分が身を挺して守る為です。一見、上から目線で偉そうに見える行いも、ちゃんとした意味が本来あったんですね。

日本の江戸時代の識字率って物凄く高かったんですって。字の読み書きですね。
それはね、寺小屋って制度があったから。
一方、西洋では19世紀に入ってようやく、女性の地位っていうのが上がってきて、学問を志すことが許されたんですよ。如何に女性の社会に対しての受け入れが早かったのかということが証明されたエピソードだと思います。
知ると怖いレディファーストでした(笑)

チャプター 5 仁義礼智信

五常の徳に話は戻ります。
仁義礼智信、これを身につけるのは、
一体なんのため?
自分のためではありません。
全て他者が関わるものです。
一つ一つ照らし合わせてみましょう。

仁とは家族や恋人・友人というよりも、血縁関係もない他者への愛のことです。また社会全体への愛、国への愛です。

義とは固い約束。他者に無償で与える行為や自身が貫く信念。本来の正義の本質ではないでしょうか?
ボランティア、志願兵が語源になりますが、これも義に属すものかもしれません。

礼とは他者に敬意をはらい敬う心。感謝の念。想像してみて下さい。
本当にありがとうって思った時、皆さんは自然と頭がさがりませんか?

武道は礼に始まり礼に終わると言います。
まずは型を学ぶわけですが、本質である敬う心・気持ちを疎かにしてはいけません。
型だけの礼は相手に見抜かれてしまうものです。
また礼とは人の間に優劣をつけるためではありません。年上の人は間違いやすいのですが、先に挨拶をしたとかしてないとかで怒る人がいるでしょ?
本当に気持ちよくコミュニケーションを取りたければ、自分から声を掛ければ良いのです。

智とは知識を蓄えることではなく、智を開放することです。学習や経験をもって学び得た智恵を他者のために使うのです。

信とは、信じること・信頼・信用です。
個人的に信用よりも信頼は上位にあたる言葉のように思います。

如何でしょう?
仁義礼智信、全て他者がいないと成り立たない。武士道とは共生の道であり、相手をたてる術(すべ)と言っても過言ではありません。つまり武士道とは他者への心の在り方や行いを説いた道です
それ故に愛である。

はい、あなたは身近な人に、敬意をはらって日々過ごしていますか?
嫌なことも勿論あるかもしれません。
そんな時は武士道にある五常の徳に照らし合わせて、自身の心を柔軟にしてストレスから解放して下さい。

そして、極力、怒らない。
相手を許すという寛容な精神を心掛けて下さい。
僕はねー、嫌だなコイツって思っても忘れるようにしてます。
するとね、コイツ、クセがあるなーと思っても人を嫌いになることは少なくなりますよ。

終わりに 武道家の道

武道家とは己を追求する職業だと思いますが、孤高であるが故に、どうしても比較対象を求めてしまいがちになります。

僕はね、ハッキリ言って、俺の方が強いとか凄いとか言ってる武道家って大したことないって思ってるんです。

確かに力があって、技が鋭い、素晴らしい実績を持っている人はいる。
それなのに他者批判をする人は全て台無しだなって。
心技体と言いますが、心の修行を置いてけぼりにしてるんですね。
我が強い。もっと認められたい。名声が欲しい。まだまだ満足していないんだな。

己を真に追求していけば、人との闘いではなく、内面との葛藤になるずですから。
いわゆる「自分との闘い」です。
僕は武道の師匠から、妬み・やっかみ・恨みを買うことは避けなさいって教えて貰いました。
戦うのが武道家ではなく、戦いを避ける術を実践しているのが本当の武道家だと思ってます。またそれが真の侍です。

江戸時代の侍ってね、刀を抜いたら結局最後は切腹しないといけないんですね。それが侍の責任の取り方でした。
ラストサムライという映画が一時期流行りましたが、僕は時代を変えて侍も生き続けていると思っています。
ですから、ラストサムライではないんですね。
武士道の本質を理解して、心穏やかに過ごしている、皆さん一人一人が侍であり、武士道の継承者です。
ご視聴ありがとうございました。

後書き

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