自己紹介、寿司嫁と申します。
初めまして、寿司嫁と申します。
夫と娘と寿司を愛する専業主婦です。
専業主婦の傍らで新しい趣味が欲しいと考え、noteを始めることにしました。
そこまで本などを読むタイプではないので、稚拙な文章かと思いますが、お付き合いくださると幸いです。
このnoteは基本的に私の感想であったり、自身の経験から発見したことであったりを残していきたいと考えています。
家族、夫婦関係、育児、ライフスタイル、少子化について、私の経験から感じたことを発信していくつもりです。
それでは、まず私の経歴からご紹介します。
寿司嫁の経歴
第一章、夫と出会うまで
まず初めに、私の幼少期にはろくな思い出がありません。ただ事実を書き記しただけなのですが、自分で入力して読み返してみると、人によっては苦しくなってしまうのかなと思うので、あまり不幸話(私にとってはただの幼少期の出来事なんですがね笑)が得意でない方は第一章のラスト8行から読んでください。
私は公務員の父とパート主婦の母、兄2人と祖母の6人家族で育ちました。
兄2人は両親の期待が強く、二つの習い事に加え小学生から塾通いをしてきました。
父は学歴にコンプレックスを抱えていたため、長男(これ以降は一番上の兄を長男、2番目の兄を次男と表記します。)に幼児期からお勉強をさせては週の課題を与えていました。当然4歳児にそんな日々が耐えられるはずもなく、長男には逃げ癖がつき、特に成し遂げたものが何もないまま社会人になってしまいました。
次男は長男と比べてコミュニケーション能力はありませんでしたが、手先が器用で、頭の回転は早い方でした。そのため両親は次男に期待をしてしまい、高校入試の際には殴りながら勉強を強要してしまいましたが第一志望の高校には行けず。そのまま燃え尽き症候群となって高校一年から不登校になり、特に成功体験もないままアラフォーになった今でも引きこもりを続けています。
私が小学校低学年頃から次男は不登校になり、あんなに兄2人に干渉していた父はあまり次男には関わらなくなっていました。母は次男に構ってばかりで、放置気味に育ってしまいました。私は習い事はバレエのみで塾には通わず、家では父と母と次男の怒鳴り声から逃れるべく、同じ漫画(コボちゃん)を何度も読み返したり、同じゲームを繰り返しプレイしたり。絵を描いたりととにかく家にこもって生活していました。家族はみんな私を馬鹿にするため、てっきりそういうのが人とのコミュニケーションなんだと思い込んでいたので、もちろん友達はできませんでした。それどころが小学4年生の時には喧嘩ばかりの家庭環境に耐えられず、気に入らない男子の粗を見つけては暴力を振るっていたのでいじめの対象になってしまいました。(完全に自業自得)人とのコミュニケーションを学ぶ大切な時期を私は盛大に拗らせていたため、大学生になるまで私には友達ができませんでした。
そんなズタボロな幼少期の私の唯一の楽しみが習い事で行っていたクラシックバレエでした。体はそこまで柔らかくはないのですが、発表会で可愛い衣装を着ては全く違う自分を演じるのは私にとって嫌な現実を忘れられる瞬間なのでした。練習を一生懸命にやると、先生は少しだけ褒めてくれました。家では嫌味を言う人間しかいなかったので、そういった部分も私の自己肯定感を上げてくれたのだと思います。レッスンに熱中している間だけは居心地の悪い家庭のことを忘れることができたのです。高校生になって、バレエ教室のライバルであった子にどうしても勝てないと感じてしまい、結局やめてしまった。しかし高校生活を続けている間も「続ければよかったな」と時々思うことがある。それくらいにはバレエの思い出は私にとって宝物なのです。(この話はまた別のnoteで紹介します)
あくまで、私は両親のことは好きではありませんが、毒親とはちっとも思っていません。私をきちんと育ててくれたこと、大学までの学費を支払ってくれたこと、大好きなバレエの月謝代を払ってくれたことに対し感謝はしているのです。父と母は不器用であったと思うし、未熟な部分がたくさんあったと思うが、成人年齢まで子供を育て、きちんと教育を受けさせるという親としての責務をきちんと全うしてくれた人間だと考えています。
そんなわけで、私には家族に関する思い出が100%とは言わないが、9割は悪い思い出しかありません。今でも実家に帰省しないといけない時は気が重い。そんな生い立ちの中で私には夢ができました。それは「思いやりのある人と結ばれて、子供を産み、温かい家庭を築くこと」です。特にそれ以外の夢はなく、早いところ県外の国立大学へ行って1人暮らしを始めようと考えた私は看護学部のある大学へ進学し、夫と出会うのでした。
第二章、真の専業主婦になるまで
大学に入った私の目標はもっぱら「結婚相手を探す」ことでした。キャンパスは医学部のみで山奥で孤立しているため、彼氏を作るならサークルに入るしかありませんでした。私と夫はバドミントンサークルに入っていたのですが、医学部のサークル活動は活発で、とにかく大会への出場が多く、本格的だったのですが、私はあまりのめり込むことができませんでした。私の夫は真面目な性格だったので役員の仕事などをこなしていましたが競技自体は得意ではなく、私も夫もバドミントンが下手で、お互いに「練習行きたくないね」と言いながら仲良くなりました。
夫は父と違って私を怒ったりせず、思いやりのある人でした。すごくかっこよくて異性からモテるタイプではありませんが、居心地の良さを感じ、しきりに結婚したいとアピールして、社会人一年目の時にプロポーズしてもらいました。
私は看護師になってからというものの、別にやりたい仕事ではなかったので仕事には身が入らず
、さらにコミュニケーション能力の低い私は先輩からきつく当たられることが多く、ストレスから仕事のミスが増えてしまいました。人に上手に相談できない性格もあってますます悪循環になり、コロナの流行を期に2年半で小児科クリニックに転職してしまいました。小児科クリニックでも人間関係に悩み、そうこうしている間に妊娠し、つわりがきついのを理由に小児科クリニック勤務も半年でやめてしまったのでした。
病棟看護師の仕事も続かず、つわりが原因とはいえクリニックの仕事も続かなかった私の自己肯定感はかなり下がっていました。時には夫にあたってしまうこともありましたが、娘が生まれてからその可愛さ、成長の速さを見て「私はこの子の母になるために生まれてきたんだ…。」と思うようになりました。
とはいえ、現在は共働きが主流の時代。ほとんどの家庭が1歳から子供を預けて働いています。自分だけが働いていないのは、なんだか怠けているような気がして後ろめたさを感じてしまいました。「他の人たちは労働と並行して子供を育てているのに、私は育児しかできていない…。」娘が生まれてすぐは、まだ大学の同期も出産してはいなかったので、余計にそう感じてしまいました。さらに、ありとあらゆる子育て支援が共働き中心に作られているのです。保健師訪問の際には、「仕事に戻られますか?」と聞かれますし、育児相談で子どもが仕上げ歯磨きをさせてくれなくて困っていると相談したら、「旦那さんに協力してもらいましょう。」だけ。夫は勤務医なので、帰る時間は読めません。19時に帰って来れれば早い方ですし、子供が生まれたからといって定時帰宅はできません。20時の寝かしつけの時間に間に合うように夫が帰ってくる前提で話を進められるので、少し孤独感を感じてしまいました。私が子供の頃は寝る前に父親が帰って来ない家庭なんてゴロゴロありました。
そんな私が専業主婦として割り切れたのは、夫が新しい病院に転勤した時のこと。新しい病院では部長がシングルマザーで、もう1人役職に就いていない上司と、産休を控えた部下と同期が1人ずついました。部下と同期が産休および育休に入り、3人体制で仕事をこなしていましたが、今度は上司に病気が見つかり、しばらく非正規雇用で働くこととなってしまいました。部長もシングルマザーであるため、緊急事態が起こらない限りは定時で帰宅して、しばしば有給をとっている状態であったので部署内で1番残業しているのは夫になってしまいました。子供が寝た後で毎日ヘトヘトで帰ってくる夫。お昼ご飯もまともに食べれていません。産休で2人休んでいても、当部署には5人の医師が在籍していることになっていました。部署内をほぼ2人で回している状態なのに…。
世間一般では共働きが主流で、育児中のパパは残業しないのが当たり前。パパでも育休が取れるのは当たり前。女医さんも育休と時短勤務が取れるようになった。(ほんの10年前は産休だけとるか、退職して非正規雇用になるしかなかった)しかし、うちの夫は定時帰宅の部長と産休に入る女医さん、のサポートをしているのに、共働き社会の皺寄せを一気に引き受けているのに、取りたい時に有給すら取れない…。うちには2歳児がいるのに。病院を下支えして残業や当直を引き受けて時代遅れの労働をしている夫がなんだかいないことにされているような気がしたのです。
その瞬間、私の中で何かが弾けました。「なーにが共働きじゃ!ボケえ!!!頑張っているのは子育てしながら働いているママだけか?!!!うちの夫みたいに残業、当直、フォローをぜんぶ引き受ける生贄がいねぇと回んねぇクソ社会じゃねぇか!!!せめてうちの夫みたいな生贄を透明人間にするんじゃねぇ!!!」と。
共働き中心のこの世の中では、うちの夫のようなブラック労働が必要不可欠な人間のことを誰も評価してくれませんし、守ってはくれません。守れるのはただ1人、私だけなんだと。私は専業主婦を辞めるわけにはいかないと…。
それからの私というのは、専業主婦をすることに対するうしろめたさは微塵も湧かなくなりました。子供の成長と夫を支えるという重要な役割に徹することに決めたのです。
寿司嫁の主張
社会人になり、実家に子供を産み育て、専業主婦として夫を支えているうちにいくつか気づいたことが私にはあります。それは「共働き中心社会とはいえど、まだまだ定時帰宅も育休も取れずに働かなければならない人間がたくさんいること」、「共働き中心社会にがらりと組み替えたのに、出生数は下がるばかりであること」、「別に共働きがしたいわけではなく、寂しさや専業主婦への後ろめたさから働こうと決めた人もいるということ」の3つです。特に私が主張したいのが、共働き中心社会は本当に人々を笑顔にしているのかということです。
私は自身の経験から共働き中心社会のデメリット。現代における専業主婦の重要な立ち位置を始め、家族のありかたについてのnoteを書いていきたいと思います。あくまで個人の感想を自由に書き連ねるだけですので、過激な表現や偏見もあるかと思いますがお付き合いいただけると幸いです。
(追記:あまりにも夫の労働環境が劣悪で、このままでは過労死してしまうと感じた夫は辞表を用意して部長の元へ向かいましたが、何かを察した部長が2月に2人目を出産予定の私たち家族のために来年度4月に1カ月の育休を取らせてくれることを約束し、また、日直の回数を減らすことを約束してくださいました。ありがとう!部長。そして病院!!!)
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