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齋藤飛鳥、ハレの日 。 「いつのまにか、ここにいる」より
2019年7月5日公開「いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46」
第6章では、齋藤飛鳥の成人の日がフォーカスされる。
当時13歳。1期生最年少として加入した彼女。
乃木坂46というアイドルグループに、春を捧げた少女のハレの日は切ない。
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2019年1月14日。葛飾区はたちのつどい。
齋藤飛鳥は、2階に用意された特別席から 所在なさげに会場を見おろしていた。
「知り合いはほとんどいなかった」と話す彼女。
しかし、その目は知っている誰かを探すことをやめない。
帰り道、岩下監督は誰もいない川べりでの散歩を提案した。
荒川に反射する太陽光線は、世界と今を白く飛ばす。
齋藤飛鳥の独白。
「過去の自分を嫌う傾向がある。それは大昔でもつい最近でも。」
葛飾区に戻ってきたのは2年ぶり。彼女は地元にいた頃の思い出を遠ざけていた。
「成人式に出ると親孝行なんだって。」
母がくれた免罪符をひしと抱き抱え、その足は中学校の同窓会へと伸びた。
退出の際、同窓生の前での挨拶を半ば強制的に押しつけられる。
齋藤飛鳥は高揚していた。
ただ、その高揚は 自分が存在したかもしれない世界をパラレル的に体感しているという刺激に対するものであり、同級生が感じているそれとは別の類いであることについて 彼女は意識的である。
それは 過去の自分(がいた世界)との迎合ではなく、あくまで自分とは断絶した世界との一瞬の重なり。
「みなさん、成人おめでとうございます。」
切ない。
この世界に存在したかもしれない自分への憧憬と いまの世界に存在する自分への安心、そしてそのことについて意識的である彼女の眼差し。これが私たちの知る「齋藤飛鳥」である。
世界と自分の対象関係を冷静に見つめる 元 少女の姿がそこにはあった。