11/9 一人旅の孤独の正体
上海。
北京に比べて外国人の数が圧倒的に多く、ちゃんと英語が通ずる安心感がある。街のいたるところにゴミ箱が設置されていて、掃除の人もたくさんいる。見られていることを意識している街のようだ。
中国は、ご存知のようにGoogle関連が通じない。今回の中国渡航では、wechatをインストールし、バイドゥもインストール、中国内で使える乗り換えアプリも予めインストールしていったため、旅行する情報面についてはどうにかやりくりができた。
でもそれでもカバーしきれなかったのは、圧倒的な孤独感だった。
幸い、仲のいい友人達がwechatを導入してくれたこと、Google系へのアクセスを可能にするVPN も無料で使えるアプリをインストールしていたことで、ごくごく本当の最低限は人とのコミュニケーションをとれていた。
しかし、孤独だ。本当に寂しい。自分の体調が良くないタイミングもあったが、泣きたくなるほど寂しい。
観光疲れもあったと思うので、外灘をゆっくりゆっくりぶらぶらしながら、孤独感の正体を考えた。
まず、疎外感だ。
上海は比較的そうではないが、前日までいた北京では、観光客といえば9割中国人で、彼らはみーんな、団体ツアーの客である。どの観光地を回っても、団体の中に自分が埋もれてしまい、人の流れに流されてしまうので、自然と団体客を意識しつつ避けるように歩いていた。団体を意識すると、自分の孤独が際立つ。大音量で一気にしゃべり続ける団体客と、黙々と歩く自分。どうしてもそこで自分の境遇を意識してしまったのかもしれない。
次に、暇の存在。
北京の空港でSIMカードを購入し、ネット環境は合ったもののいつの間にかSIMが通じておらず、ネット環境が全くないタイミングが多くあった。VPNはWifiがある環境でしか使えないので、町歩きをしていたり、郊外の観光地で休憩していたり、電車を待っていたりするときは、必然的にネット環境が全くなくなってしまっていた。すると、全くやることが無くなってしまう。自分の手帳に日記のメモを書くか、写真を撮るか、人間観察をするかしかないが、これにも限界がある。日本ならInstagramやFacebookをチェックしたり、NewsPicksを読んだりしているが、それが全くできないのである。
つまり、長い時間、ぼーっとする事になってしまった。旅の疲れやストレスもあり、暇を持て余すことしかできなかったのだ。すると、友人のことを考えたり、日本のことを考えたりしてしまう。やはり自分が独りでいることを強く意識してしまっていた。
最後に、会話量の不足。
中国人は英語を話せる人が多くなく、私は中国語を話せない。すると、どうしても会話ができないし友達もできない。もちろん例外もいる。ホステルのベッドについてトラブルがあったとき、流暢な英語を話す中国人の女の子と話をしたり、具合が悪いというロシア人と話をしたりした。
しかし、普段やりとりしているオンライン上のコミュニケーションはぜんぜんないし、オフラインでのやりとりは、基本的に必要に迫られてしか起こらなかった。シンプルに、話し相手が欲しかったのだ。
観光の疲れももちろんあった。
日本食を食べて、観光ではないウィンドウショッピングをしたり、適宜気晴らしを入れることで、孤独感とうまく付き合えそうだ。
まだまだ続く一人旅。ひとつ学んだ。